萩の花
今朝のランニング途中で見つけた萩。 秋は、確実に、そこまで来ている。
(朝、撮れなかったので、もらった写真。)
物事の仕上げには、苦しみが伴う。
若かった時は、試験の度に・・
勉強が間に合っているだろうか?出来るだろうか?と、
勉強の仕上げの試験に向かって、苦しんだりした。
子育ての時期には・・・
子どもが大きな転機を迎える度に、
私の教育で良かったのだろうかと、子供の仕上げ!を悩んだりした。
そして今朝の朝ランの2時間中では・・・
最後に迎える、だらだらと10分ほど続く上り坂を登り切り、
”これで家だ”と思いながら走る最後の5分ほどの、仕上げの道程の・・・
長くつらかったこと。
いつもは、爽快に終わることの多い朝ランでも、
今日のように、仕上げの5分を、長くつらく感じるときがある。
時々起きる、そんな”時”は、
”なんのために走っているのか?”
と、自分の行為を、改めて、自分の中に位置づけるために、
神に与えられる時のように、思える。
人には意味のないような個人的行為には、本人にしか感じられない”意味”がある。
その”意味”を自分の中に深めていくために、続ける個人的行為を、
単なる楽しみにだけの行為と位置づけるには、
仕上げの苦しみが、もったいない。
友人二人とランチ 前菜
友人との何げないおしゃべりの中に・・・
私の走る”意味”を、再確認するヒントがあった
明日からの走りが、叉、楽しみになってきました