今日は日曜日。主日。ミサです。
朝8時過ぎ。
ミサに向かうMy車の横

『ツーリングを楽しむバイカーたち』

素敵~!









毎日曜日。いくつものツーリンググループ。同じ時間帯に見かける風景です。
”車から降りて、ツーリングに参加したいな~!” と。毎日曜日に思う私です。
”思うだけでも・・・まだまだいける!”
と。 自分のモチベーション・チェックです。
朝9時。
ミサ祭壇に15個のろうそく。 『My教会の15人の成人式』

おめでとう!




ベービーたちや小さいお子さんたち。そのパパやママ。
そして 新成人たち。
今日は、若い人たちが多かったミサでした。
”次世代も大丈夫!” と。嬉しく確信した私です。
12時。
風邪流行の今。健康食。 『小豆入り玄米 卵飯』

初めての味。 美味い!
私の玄米飯は小豆入り。
時々訪問させて頂く 『日常の食事のブログさん』 の記事。
『お夜食。中途半端なお腹にいい感じの卵飯。
香り高い玄米少しに(お椀温めてね)、美味しい卵、生ワサビを下ろしたもの添えて、醤油でガッと。美味い!』
”おいしそう! まねしちゃお!” と。 おいしさと健康のダブルの私です。
2時。
教会から帰ってくると門扉にビニール袋がぶら下がっていました。
新聞紙に包まれた・・・ 『採りたて大根』

”おでんだ!”

おでん材料を取り揃えて、おでん作り完了。
ご趣味の農園作物を、時々、門扉に引っ掛けて下さるHさんに電話。
「ご馳走様でした。お蔭様で今晩はおでんです。』と。 「いいえ。僕は今朝はひっかけていませんよ。」
「
神様からの贈り物だと思えばいいんじゃないですか!
」 ですって!
”ええ~
どなたでしょう? 神様?” と。楽しい推測の私です。
最後。
今日は、『主の洗礼の祝日』
『今日の福音の御言葉』
『そのとき、洗礼者ヨハネは、こう宣べ伝えた。
「わたしは水であなたたちに洗礼を授けるが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
そのころ、
『イエスはヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。』

レオナルド・ダ・ヴィンチ作品。 マルコ福音書 1章7節&8節
以下。
司式司祭の説教。一部です。
「皆様! ヨルダン川にいらしたことはありますか?
ヨルダン川は、どこにでもあるような、小さな川ですよ。
今日は、ヨルダン川で洗礼を受けて そして 洗礼を授けるイエスの話です。
イエスは、ヨハネの勧めに応じて、ヨハネから洗礼を受けました。
イエスの受けた洗礼は、『水の洗礼』 であり 『悔い改めの洗礼』 です。
イエスは、その後。
自ら。 『霊の洗礼』を、人々に授けます。
では・・・
『水の洗礼』= 『悔い改めの洗礼』 とは何ですか??
ヨルダン川を、こちらの川岸 ~ 向こう川岸に、渡るということです。
まず。
『こちらの川岸』とは、
人の日々の生活です。肉の生活です。
ヨハネが勧める通り。
自分の日頃の生活を反省し、悔い改めて、罪の告白をして・・・
ヨルダン川の水の中を通り、
ヨルダン川の『向こう岸』に渡りました。
そして。
『向こうの川岸』とは、
水を通って・・・生まれ変わることです。
もう悪いことはしない。 自ら決心をすることです。
それでは・・・
もう一つ。
『霊の洗礼』= 『イエスの洗礼』 とは何ですか??
『ヨハネの洗礼』と同様に。
ヨルダン川を、こちらの川岸 ~ 向こう川岸に、渡るということです。
『こちらの川岸』とは、
人の日々の生活です。肉の生活です。 同じです。
そして。
自分の日頃の生活を反省し、悔い改めて、罪の告白をして・・・
ヨルダン川の水の中を通り、
ヨルダン川の『向こう岸』に渡るのです。
生まれ変わるのです。 こちらも同じです。
両者には、大きな違いがあります。
『イエスの洗礼』 は・・・
ヨルダン川を渡り終わった人に、無償で、『霊の世界』が準備されていることです。
『今日の第一朗読』
『わたしの道は、あなたの道を、
わたしの思いは、あなたの思いを、はるかに超えている。
それは
大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、
種まく人には種を与え、 食べる人には糧を与える。』
イザヤ書 55章8節~10節
『種や糧を与える』 とは 『霊的に生きること』 です。
イエスの洗礼の 『川の水』 とは 『聖霊』 のことです。
イエスの洗礼は
『聖霊の洗礼』 を通って、向こう岸にわたるのです。
そちらで。 向こう岸で。
『霊の世界』 で 『永遠に生きる者』となることです。」と。司祭の説教。
『イエスの洗礼』を受ける人には、無償で、『永遠の命』が与えられる。 と再確認の私です。
以上。
日曜日色々。 穏やかな主日の一日でした。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
昨日の『青春18切符旅行』からの帰宅は、11時過ぎでした。楽しい旅でした。 明日御報告申し上げます。
朝8時過ぎ。
ミサに向かうMy車の横




素敵~!










毎日曜日。いくつものツーリンググループ。同じ時間帯に見かける風景です。
”車から降りて、ツーリングに参加したいな~!” と。毎日曜日に思う私です。
”思うだけでも・・・まだまだいける!”
と。 自分のモチベーション・チェックです。
朝9時。
ミサ祭壇に15個のろうそく。 『My教会の15人の成人式』

おめでとう!





ベービーたちや小さいお子さんたち。そのパパやママ。
そして 新成人たち。
今日は、若い人たちが多かったミサでした。
”次世代も大丈夫!” と。嬉しく確信した私です。
12時。
風邪流行の今。健康食。 『小豆入り玄米 卵飯』

初めての味。 美味い!

時々訪問させて頂く 『日常の食事のブログさん』 の記事。
『お夜食。中途半端なお腹にいい感じの卵飯。
香り高い玄米少しに(お椀温めてね)、美味しい卵、生ワサビを下ろしたもの添えて、醤油でガッと。美味い!』
”おいしそう! まねしちゃお!” と。 おいしさと健康のダブルの私です。
2時。
教会から帰ってくると門扉にビニール袋がぶら下がっていました。
新聞紙に包まれた・・・ 『採りたて大根』

”おでんだ!”


おでん材料を取り揃えて、おでん作り完了。
ご趣味の農園作物を、時々、門扉に引っ掛けて下さるHさんに電話。
「ご馳走様でした。お蔭様で今晩はおでんです。』と。 「いいえ。僕は今朝はひっかけていませんよ。」
「



”ええ~

最後。
今日は、『主の洗礼の祝日』
『今日の福音の御言葉』
『そのとき、洗礼者ヨハネは、こう宣べ伝えた。
「わたしは水であなたたちに洗礼を授けるが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
そのころ、
『イエスはヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。』

レオナルド・ダ・ヴィンチ作品。 マルコ福音書 1章7節&8節
以下。
司式司祭の説教。一部です。
「皆様! ヨルダン川にいらしたことはありますか?
ヨルダン川は、どこにでもあるような、小さな川ですよ。
今日は、ヨルダン川で洗礼を受けて そして 洗礼を授けるイエスの話です。
イエスは、ヨハネの勧めに応じて、ヨハネから洗礼を受けました。
イエスの受けた洗礼は、『水の洗礼』 であり 『悔い改めの洗礼』 です。
イエスは、その後。
自ら。 『霊の洗礼』を、人々に授けます。
では・・・
『水の洗礼』= 『悔い改めの洗礼』 とは何ですか??
ヨルダン川を、こちらの川岸 ~ 向こう川岸に、渡るということです。
まず。
『こちらの川岸』とは、
人の日々の生活です。肉の生活です。
ヨハネが勧める通り。
自分の日頃の生活を反省し、悔い改めて、罪の告白をして・・・
ヨルダン川の水の中を通り、
ヨルダン川の『向こう岸』に渡りました。
そして。
『向こうの川岸』とは、
水を通って・・・生まれ変わることです。
もう悪いことはしない。 自ら決心をすることです。
それでは・・・
もう一つ。
『霊の洗礼』= 『イエスの洗礼』 とは何ですか??
『ヨハネの洗礼』と同様に。
ヨルダン川を、こちらの川岸 ~ 向こう川岸に、渡るということです。
『こちらの川岸』とは、
人の日々の生活です。肉の生活です。 同じです。
そして。
自分の日頃の生活を反省し、悔い改めて、罪の告白をして・・・
ヨルダン川の水の中を通り、
ヨルダン川の『向こう岸』に渡るのです。
生まれ変わるのです。 こちらも同じです。
両者には、大きな違いがあります。
『イエスの洗礼』 は・・・
ヨルダン川を渡り終わった人に、無償で、『霊の世界』が準備されていることです。
『今日の第一朗読』
『わたしの道は、あなたの道を、
わたしの思いは、あなたの思いを、はるかに超えている。
それは
大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、
種まく人には種を与え、 食べる人には糧を与える。』
イザヤ書 55章8節~10節
『種や糧を与える』 とは 『霊的に生きること』 です。
イエスの洗礼の 『川の水』 とは 『聖霊』 のことです。
イエスの洗礼は
『聖霊の洗礼』 を通って、向こう岸にわたるのです。
そちらで。 向こう岸で。
『霊の世界』 で 『永遠に生きる者』となることです。」と。司祭の説教。
『イエスの洗礼』を受ける人には、無償で、『永遠の命』が与えられる。 と再確認の私です。
以上。
日曜日色々。 穏やかな主日の一日でした。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
昨日の『青春18切符旅行』からの帰宅は、11時過ぎでした。楽しい旅でした。 明日御報告申し上げます。