祈りとは?
『キリスト信仰者の源泉』
『だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。』
ルカ福音書 5-16
イエスは、
『祈る時間』を、大勢の群衆でいつも忙しくされていましたが、設けていました。
『祈る時間』を、最優先の最重要なこととして、一日の時間の中に組み込んでいました。
今日は2月20日。年間第七月曜日。
『今日の福音 イエスの言葉』
『イエスは三人の弟子とともに山を下りた。 群衆の中のある者が言った。
「息子は霊に取りつかれて、ものが言えません。霊を追い出してほしいと弟子たちに申しましたができませんでした。」
イエスは、汚れた霊をお叱りになった。霊は叫び声をあげて出て行った。
弟子たちは、「なぜ、私たちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。
イエスは、『この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ』と言われた。』
マルコ福音書 9章14-29節
『祈り』とは、
神との交わり、神との対話を意味しています。
神と人との交わりは、人間の能力を超えることであり、神からの『賜物』なのです。
『祈り』とは、
父親が、病気の息子の回復を願い、弟子やキリストに哀願したことなのです。
自分の力では解決不可能なことを、全能の神に祈願することなのです。
父親の息子の回復を願う『叫び』であり、懺悔、祈願、弁明、感謝、賛美、等等。
病者の回復が、親の祈りを通して実現するようにと、全能者に願いことなのです。
信仰の父祖。 『アブラハムの祈り』
『主は(75歳の)アブラハムに言われた。
「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」
アブラハムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、カナン(現イスラエル)に入った。
アブラハムは、そこに主のための祭壇を築き、主の御名を呼んだ。』 創世記12章1-9
アブラハムは、神に信頼して、見も知らぬ所に無事に到着して・・・・
最初にしたことは、主のために祭壇を築き、偉大な神へ祈りを捧げました。
アブラハムの祈りは、神への賛美と感謝でした。
ユダヤの預言者、民族指導者。 『サムエルの祈り』
『少年サムエルは司祭エリのもとで主に仕えていた。
サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。
主は来てそこに立たれ、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」
サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」
サムエルは成長していった。
主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。』
サムエル記上 3章
サムエルのように、いつも耳を澄ませていれば、『神の言葉』を聞き逃すことがないのです!
サムエルの祈りは、神の言葉を聞き逃すことがないようにと願うことでした。
古代イスラエルの民族指導者。預言者。 『モーセの祈り』
『イスラエルの民が逃亡したとの報告を受けると、
エジプト王ファラオは、民に対する考えを一変して、イスラエルの人々の後を追った。
主はモーセに言われた。
「杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。
そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。」
主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。』 出エジプト記 14章
『神にできないことは何一つない』 ルカ福音書 1-37
『祈り』とは、全能の神を信じて、信頼して、我が身を委ねることです。
古代イスラエルの王(在位:前1000年 - 前961年)。 『ダビデの祈り』
『どうかわたしの罪をお赦しください。どうかわたしを清めてください。
あなたのしもべを、驕りから引き離し、支配されないようにしてください。
主よ、わたしの岩、わたしのあがない主よ。』 詩篇19章12-15
ダビデの祈りは、自分の犯した重罪の赦しを、
唯一罪からの赦しを与えることができる神に請う、『痛悔の祈り』です。
『ダビデは、神の前に悔い改めて、二度と同じ罪を犯すことはありませんでした。』
人は、罪を犯したならば、それを隠さず、すぐに神の御前に心から悔い改めることが必要なのです。
ダビデは、こうも祈りました。
『主よ、あなたはわたしを極め、わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も語らぬ先に、主よ、あなたはすべてを知っておられる。』
詩篇139篇
神は、「全知全能の神」。 すべてを知っておられる神に、
「私の心を、私の思いを知ってください」と、自分を明け渡していくとき、「知識」が「信仰」に変わるのです。
そのとき、神と私の人格の交わり、一対一の関係の中に生きることができるようになるのです。
イエス・キリストの養父。 『ヨセフの祈り』
『主の天使がヨセフに現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。
マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。
その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。
その名はインマヌエルと呼ばれる。「神は我々と共におられる」という意味である。』
マタイ福音書 1章18-25
ヨセフの祈りは、神の偉大な業を全うするために、深い信仰を請う祈りでした。
ヨセフの祈りと、ヨセフの神への信頼が、イエスを育てたのです。
私たちも、人の親として、ヨセフの心の強さと深い信仰が頂けるように、祈り続けましょう!
最後は。
キリストの母と祖母。 『マリアとアンナの祈り』
聖母マリアの母:アンナは、
長く子供が無く、夫:ヨヤキムと二人が老齢となってから初めて子供を授かることを天使から告げられた。
これを受けてアンナは子供を神に捧げることを約束した。
アンナとヨアキムは、エルサレム神殿のお陰でマリアを授かったと信じており、
3歳に達したマリアをエルサレム神殿に奉献した。
聖母マリアも、
『聖霊があなたに降り、男の子を産む』と天使から告げられ、男児・キリストを産みました。
二人の母の祈りは、聖霊の働きを信じ、我が子の成長を祈り続けることでした。
イエスは言いました。
『あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が、報いてくださる。』 マタイ福音書6-6
『祈り』とは、静かな場所で、怠ることなく、神と私の内に沈み込むことです。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
春前の、三寒四温の日々です。 体調を崩されませんように。 春はそこまで来ています!