今日は7月4日。水曜日。 台風の影響で日本列島・全国的に大雨の一日。
『今日の第一朗読』
『主は言われる。
正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ。』
アモスの書 5章14-24節
そして。
今日は・・・
『聖エリザベト(ポルトガル) 記念日』
聖エリザベトの生涯は、正に、聖人の生涯でした。
14歳の時。 アイゼナハ(ドイツ連邦共和国)で、ルートヴィヒ4世と結婚。仲睦まじく幸福な結婚生活を送り、三児を出産。
1223年(16歳)。 フランシスコ会修道士が訪れ、エリーザベトは『アッシジのフランチェスコの教え』に触れ、信仰心を篤くした。
『アシジの聖フランシスコの 平和を願う祈り』 自作。myタペストリー

『神よ、わたしをあなたの平和の使いにして下さい。』

夫・ルートヴィヒ4世は妻を庇った。 その夫婦愛はすばらしいものでした。
1227年(20歳)。 最愛の夫・ルートヴィヒ4世が、第6回十字軍に従軍中に疫病のため、死去。未亡人となる。

1228年(21歳)。 夫の遺骨を修道院に埋葬した後、師父であるコンラートのいるマールブルク(ドイツ共和国)に赴く。
エリザベトは、聖フランシスコ会に入会し、
テューリンゲンから化粧料の代金として受け取った2000マルク・全額を寄進し、
マールブルクに病院を建設して、貧民・病人のために尽くした。
エリザベート自身も、師父・コンラートによる厳しい監督、監視の下、貧民のような生活をした。
『今日の第一朗読』
『イエスは、わたしたちのために命を捨ててくださいました。
そのことによって、わたしたちは愛を知りました。
だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。
世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、
どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。
子たちよ、言葉や口先だけでなく、行いをもって誠実に愛し合いましょう。』
ヨハネの手紙Ⅰ 3章14-18節
1231年(24歳) 死去。
聖エリザベトの生涯は、正に、聖人の生涯でした。
エリーザベトの墓には、死の直後から奇跡が起き始め、巡礼者たちが来るようになりました。
1235年(死後4年後)。 教皇グレゴリウス9世は、エリーザベトの生涯を調べ、聖人にふさわしいと…列聖した。
エリーザベトは、未亡人、病人、パン焼き職人、織師の、『守護聖人』とされている。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来られる時、右側にいる人たちに言う。
「さあ、わたしの父に祝福された人たち、
天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
はっきり言っておく。
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」』
マタイ福音書 25章31-4節
イエスは、わたしたちがイエスに倣って生活するようにと、『模範』として、神から遣わされたのです。
エリザベトは、イエスの生涯を『模範』とし、神の元へ帰りました。
イエスは、『たとえ話』 をなさいました。
『私たちは、人において、イエス・キリストに会うことができるのです。』と。
貧しい人、困っている人・・・私たちの世話を必要とする人たちの中に、キリストの姿を見ることができる。』 と。
キリストは、人の助けを必要とする人々の中で、私たちを迎えておられるのです。
神は全ての人の救いを望んでおられるので・・・全ての人を導き、全ての人の中で働いておられるのです。
1235年(『列聖』と同時)。 師父・コンラートの属するドイツ騎士団は、聖エリザベトの墓所の上に教会を着工。
1283年(死後48年後)。完成。 『聖エリーザベト教会』
ドイツ、ヘッセン州マールブルクに位置し、
ドイツ騎士団により、聖女エリザベートを称えて、建設された教会。聖女エリザベートの墓が設けられたことで、『教会』は中世後期における『聖地巡礼地』の一つとなった。
『今日の叙唱』
『聖なる父、全能永遠の神、
聖人を通して示されたあなたの栄光をたたえ、感謝の祈りをささげます。
あなたは聖人たちの信仰の証しによって、
いつも教会に新しい力を注ぎ、限りない愛を示してくださいます。
わたしたちもその模範に励まされ、取り次ぎの祈りに支えられ、信仰の歩みを続けます。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
御当地は台風の影響がございましたでしょうか。心よりおも舞い申し上げます。
引き続き明日もお気を付けください。 お元気で!