マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

いつも一緒・・・『二身一体』 そして 『数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。』

2018-07-17 05:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 7月17日。連日の猛暑日。

 いつも一緒・・・    『スマホ  ロザリオ
 
 
『二身一体』          小さなロザリオが私のスマホを守ってくれる。

鳴り出したスマホを手にする時・・・
スマホとロザリオと私が、『三身一体』。 気持をスマホの向こうにいる人に向ける。 ”どなたかな?”

スマホで呼び出されて応答する時・・・
スマホとロザリオと私と友人、『四身一体』。心を一つにして、おしゃべりが始まります。

    目に見えないスマホの相手だらからこそ、心がこもるように話をする。
                                  ・・・そう心がけています。


そして。

今日は7月17日。年間第十五火曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。
 

   コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。

お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、
これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。

カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。

お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。」』
                               マタイ福音書 11章21-24節

イエスは、
公生活のはじめの頃・・・
ゴラジンやベトサイダやカファルナウムで、宣教をはじめました。

ゴラジンやベトサイダやカファルナウムで、『神の言葉』を話し、沢山の『奇跡やしるし』を行いました。

ところが。

その町の人々は、
イエスを受け入れなかったのです。
イエスのなさる奇跡を見ても・・・そこに、『神の働き』を認めませんでした。『イエスの愛』を見出すことはできませんでした。

   イエスは、
   御自分の示す愛と慈悲に、人々が反応してくれることを期待したことでしょう。
   人々の無関心を見て、非常に悲しんだことでしょう。

   
   人の『無関心』は、人間にとって、イエスにとっても、一番つらいことです。

   人の『愛情』を受け入れてくれないどころか、無関心でいられるということは、 一番悲しいことです。


とうとう。

イエスは、
悲しみを乗り越えて、人々の無関心を叱り始めたのです。
人々の『無関心』 は 『陰府にまで落とされる罪』である、と言われたのです。

  
    キリスト者の私たちも、日々毎日の生活の中で、『イエスの愛』を見出すように致しましょう。

                  ・・・イエス様を悲しませないように、心がけてまいりましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お暑い毎日です。くれぐれもご自愛ください。 お元気で!