7月17日。連日の猛暑日。
いつも一緒・・・ 『スマホ と ロザリオ』
『二身一体』 小さなロザリオが私のスマホを守ってくれる。
鳴り出したスマホを手にする時・・・
スマホとロザリオと私が、『三身一体』。 気持をスマホの向こうにいる人に向ける。 ”どなたかな?”
スマホで呼び出されて応答する時・・・
スマホとロザリオと私と友人、『四身一体』。心を一つにして、おしゃべりが始まります。
目に見えないスマホの相手だらからこそ、心がこもるように話をする。
・・・そう心がけています。
そして。
今日は7月17日。年間第十五火曜日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。
「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。
お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、
これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。
カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。
お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。」』
マタイ福音書 11章21-24節
イエスは、
公生活のはじめの頃・・・
ゴラジンやベトサイダやカファルナウムで、宣教をはじめました。
ゴラジンやベトサイダやカファルナウムで、『神の言葉』を話し、沢山の『奇跡やしるし』を行いました。
ところが。
その町の人々は、
イエスを受け入れなかったのです。
イエスのなさる奇跡を見ても・・・そこに、『神の働き』を認めませんでした。『イエスの愛』を見出すことはできませんでした。
イエスは、
御自分の示す愛と慈悲に、人々が反応してくれることを期待したことでしょう。
人々の無関心を見て、非常に悲しんだことでしょう。
人の『無関心』は、人間にとって、イエスにとっても、一番つらいことです。
人の『愛情』を受け入れてくれないどころか、無関心でいられるということは、 一番悲しいことです。
とうとう。
イエスは、
悲しみを乗り越えて、人々の無関心を叱り始めたのです。
人々の『無関心』 は 『陰府にまで落とされる罪』である、と言われたのです。
キリスト者の私たちも、日々毎日の生活の中で、『イエスの愛』を見出すように致しましょう。
・・・イエス様を悲しませないように、心がけてまいりましょう!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お暑い毎日です。くれぐれもご自愛ください。 お元気で!