7月28日。猛暑。大風接近。
台風で応援チームの野球中止・・・ 『前菜』
食卓で夕食。
最近は野球観戦に合わせてテレビ前での夕食が多い。
我が子教育時代では考えられないスタイル。
だいたい、我が家の教育時代は、我が家にはテレビと漫画がなかった。
テレビに勝る美食?と 尽きないおしゃべりで、子供の心を満足させていた。
年代に合わせて、ライフスタイルがあるものですね。
『林住期』の私たち夫婦は、人生の黄金期、心の求めるままのライフスタイル時代です。
『家住期』真っ只中の我が娘は、人生の収穫期、テレビと漫画を置かず、心と戦いながらのライフスタイル時代です。
それぞれの年齢にふさわしい心構えと知恵をもつことは、人生を充実させる。
そして。
今日は7月28日。年間第十六土曜日。
土曜日は、金曜日に続いて、『聖書通読会・聖書100週間』
『今日の通読 使徒パウロの言葉』
『信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 13-13
50~52年頃。
使徒パウロは、ギリシャの港町・コロントに来て、
『ギリシャ・コリント』
一年半ほど滞在して宣教し、コリントにもキリスト者の共同体ができた。
56年頃。
パウロは、コリントの教会に起きている問題を聞いて、新赴任地・エフェソから、この手紙を書き送った。
イスラエルとは全く異なる社会環境や文化の、異教の地で、
福音に従って生活する者が、いろいろの困難や誤解に直面しても、
確かな教えに基づく確固と信仰を持つようにと、励ましました。
『信仰』
私たちの『信仰』の基本は、『キリストの受難、十字架、復活』 にある。
『わたしたちは、今は、鏡におぼろげに映ったもの(神の姿)を見ている。
だがその時には、顔と顔を合わせて見ることになる。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、その時には、はっきり知られているように、はっきり知ることになる。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 13-12
今は、信仰により、神のお姿を見ています。
その時、神に出会う時は、神のお姿を顔と顔を合わせて見ることになり、『信仰』は消え去る。必要なくなる。
『希望』
私たちの『希望』の基本は、自らの望みの源泉であられる神に対していだく、『救い』 にある。
『知識はすたれよう。 わたしたちの知識は一部分だから。
完全なもの(神・キリスト)が来たときには、部分的なものは廃れよう。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 13-8
今は、信仰により、『神の救い』 を望んでいます。
この世の苦しみの中で、必ず、『苦しみの同伴者・イエス』がおられて、共に歩んでくださるという『希望』。
神の慈悲に『希望』を抱く私たちです。
そして。
その時、神が来られる時は、人間は『その中』に住みうる現実が訪れるので、『希望』は消え去る。必要なくなる。
最後に。
『愛』
神と人間について言われる事柄のうち、最も深く、究極的なことが、『愛』 です
『神は愛である』(ヨハネⅠ8-16)。 『神の愛・アガペー』は『自己否定的で、喜んで自己を他者に与える愛である。』(ヨハネⅠ3-16)
十字架上で、人類の救いのために、ご自分の命を差し出すイエスの愛です。
『愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みをいだかない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 13-4~7
愛は、決して滅びない。神と顔と顔を合わせて神を見るその時には、『信仰』も『希望』も消え去り、『愛』だけが残るのです。
『信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。』
『愛を追い求めなさい。』 コリントの信徒への手紙Ⅰ 14-1
神の愛と同様に、神なる霊から与えれる兄弟愛も、最大の賜物であり、いつまでも、残るのです。
以上。 今日の聖書100週間の私の発表でした。お粗末様でした
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
先日の水害の大被害に続き、今日は台風による大被害が日本列島を駆けめぐっています。
皆様の御当地はいかがでしょうか? 心からお見舞い申し上げます。 お元気で!