7月18日。猛暑の夏休み。
夏休み第二弾・・・ 『新しい出会い』
沢山の天使たちとの出遭いを求めて・・・ 『カンボジア』
準備を着々と進めています。
VISAを取得しました。現地知識習得もバッチリです。出国地・福岡空港行の新幹線切符を取得中。
同行仲間。
リーダー(知り合いのお元気な92歳神父)と、20代の若者たち10人程です。
見知らぬ若者たちとの出遭いを求めて・・・『カンボジア』
今年の夏は、人生観が変わってしまうかも?!
出遭いが私を待っている!
そして。
今日は7月18日。年間第十五水曜日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスはこう言われた。
「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。
これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、
幼子のような者にお示しになりました。
そうです、父よ、これは御心に適うことでした。
すべてのことは、父からわたしに任せられています。
父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。」
マタイ福音書 11章25-27節
神様は、
ご自身の知恵を、
高ぶった人ではなく、へりくだった人に、又、幼子のような者にお示しくださる、とおっしゃるのです。
ラッキー! 私にもチャンスがある!
『謙遜には知恵が伴う。』 箴言11ー2
当時は、
律法の研究者たち、金持ち、偉い人、等・・・自分の力に頼れる『立派な人』がいました。
立派な人たちは、『愛である神』のかたどりのイエスを必要としなかったかもしれません。
一方、
律法を研究できないどころか守れない人達、貧しい人たち、等・・・自分の力では救われないと思う『謙遜な人』がいました。
謙遜な人たちは、イエスの話を受け入れ、イエスを信頼し、イエスから『救い』を期待しました。
イエスは、このような『小さな人々』 を助けようとなさったのです。
神は、イエスを通して、御自分の『愛』を現されたのです。
小さな人・素直な人は、『神の愛』を信じました。 『神の愛』に頼ったのです。
思い出します。
『81歳の友人の洗礼式』
昨年の復活祭
友人の『言葉』が忘れられません。
『私のような無能な者が洗礼を頂いていいのでしょうか?有難くて、涙が止まりません。』
正に、『神の愛』が81歳の友人の心に宿った瞬間の洗礼式でした。
小さな者たちの顔に、喜びの笑顔があふれ出ました
イエスは、
小さな人々を大切にして、『神の福音』を知らせました。そして、その『実り』に喜ばれたことでしょう。
勿論。
立派な人々も大切にして、『神の権能を持つイエス』を示しました。そして、その『不作』を悲しまれたことでしょう。
謙遜こそが、信仰の決め手ですね。
『今日の拝領唱』
『わたしたちが神の子であることは、
神が、「アバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。』
ガラテアの信徒への手紙 4-6
神を「我が父よ」と呼ぶ人は、イエスの霊が宿った、『神の子』なのです。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
小学校の1学期終業式がありました。いよいよ本格的夏に突入です。暑さを乗り切りましょう。 お元気で!