10月1日。金曜日。曇り。
大型台風の接近です。
今日の金曜日も
台風に影響されない
オンラインクラスです。
『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/ea/f19d1baa4b2d165c19b4734bae93885c.jpg)
旧約聖書完読まで、残すところ、今日と次回の計2回になりました。
一回の全聖書完読に4年近くかかるのに・・・
今回の仲間の中には、全聖書通読4回目の方もいます。
2回目3回目と、繰り返して読まれる方がほとんどです。
考えてみれば、
お人を理解するには・・・
一回お目にかかっただけでは、その方の『本質』は解りませんよね。
幸いに、お人も私たちも年を重ねていくに連れ、
いろいろの経験を重ねて、理解力はどんどん成長します。
そして、会う度に、お人の持つ『魅力』を理解するようになるのです。
同様に、
『生きた神』の姿が書かれた『聖書』を読むことは・・・
一回読んでそれで解ったということはなく、
何回も、何十回も読み続けて、理解を深めていき、
ついには、聖書の『魅力』のとりこになります♡♡
『聖書』が『生涯の友』として離れられなくなるのです。
お人も聖書も、理解が深まるイコール愛が深まる、ということですね♡♡
有り難いことです。
今日の通読範囲は、詩編の中の『嘆願の詩編』です。
『賛美の詩編』は、全150編の詩編の中の半分以上の、80編です。
大変な通読量です。
『嘆願の詩』は、
神を信頼して助けを願い求め、与えられた助けに感謝をささげて歌うのです。
助けを求める。信頼を示す。感謝を表わす。のです。
聖書100週間創設者のルドールズ神父は助言します。
『詩編』で祈る者に特に教えられる※『三つ』※を心に留め、
詩編を味わい唱えましょう。 と。
※神ご自身は、どのようなお方か。
※自分自身は、どのような者か。
※神にどのように語りかけたらよいか。
今日の私たち仲間は、
『全聖書の心』といわれる『詩編』の祈りの味が、
自分の中で、一層豊かな味わいになっていくはずです。
今日も、仲間の皆様と、聖書を読む喜びを分かち合えることは、
なんという喜びでしょう! 楽しみです。
感謝!感謝!
そして。
今日は10月1日。年間第二十六金曜日。
『聖テレジア(幼いイエスの)おとめ教会博士 記念日』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/4e/7f54a7103ff8c9c457bc37030002586e.jpg)
1873年。 フランスのアランソン市に、
信仰深いマルタン家の末娘として生まれた。
1877年。4歳。 母の死を機に、父と4人の姉とともにリジューに移った。
テレジアは、2人の姉たちのいるリジューのカルメル会に入ることを望んだが、
年が若いという理由で入会はすぐには許可されなかった。
1888年。15歳。 彼女の熱い望みがかなえられて、リジューのカルメル会修道院に入った。
謙遜と福音的な素直さ、そして
神に対する絶対の信頼にもとづく生活を送り、
言葉と模範によって、修練者などに同じ生き方を教えた。
人々の救いと教会の発展のために自分の命をささげた。
肺結核による苦しみの多い闘病生活での霊的な体験は、
彼女をますます神の愛に開かせた。
1897年。24歳。 「神よ、私はあなたを愛します」という言葉を残し、死去。
テレジアの『自叙伝』は、今日でも世界の多くの人々に読まれている。
1897年。24歳。 「神よ、私はあなたを愛します」という言葉を残し、死去。
テレジアの『自叙伝』は、今日でも世界の多くの人々に読まれている。
また、書簡集『幼いイエズスの聖テレーズの手紙』が残されている。
祈りをもって宣教したテレジアは、『宣教の保護者』といわれている。
祈りをもって宣教したテレジアは、『宣教の保護者』といわれている。
『今日の集会祈願』
『父である神よ、
あなたは、小さい者、自分を低くする者に天国を備えてくださいます。
聖テレジアが示した信頼の道をわたしたちも歩み、
聖女の取り次ぎに支えられて、栄光の命にあずかることができますように。』
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 イエスは言われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/30/bbb73e28a8330f2c61a994ccadca72c0.jpg)
「コラジン、お前は不幸だ。
ベトサイダ、お前は不幸だ。
お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、
これらの町はとうの昔に粗布をまとい、
灰の中に座って悔い改めたにちがいない。
しかし、裁きの時には、
お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽い罰で済む。
また、カファルナウム、お前は、
天にまで上げられるとでも思っているのか。
陰府にまで落とされるのだ。
天にまで上げられるとでも思っているのか。
陰府にまで落とされるのだ。
あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、
あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。
わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」』
ルカによる福音書 10章13-16節
今日、
イエスは、72人を任命し、ご自分が行くつもりのすべての町や村に、派遣しました。
その時に、彼らに、『大事なこと』を話したのです。
旧約時代。
神の選民として選ばれたイスラエルの人々は、預言者の言葉を聞かないこともありました。
同様に。
イエスの時代。
イエスが『神の言葉』を話しても、聞かない人が多くいました。
コラジン、ベトサイダ、カファルナウム、
それらは、ガリラヤ湖に面している町で、
又、カファルナウムにあったペトロの家を、イエスはご自分の宣教の拠点となさいました。
イエスは、それらの地で、話しをし、病人さんたちを癒されました。
ところが、
イエスが愛したそれらの町の人たちは、
イエスの話に耳を傾けることなく、
改心しなかったのです。
そこで、
イエス様は、それらの町の人々は、
『裁きの日』には、
異邦人の町のシロやシドンより厳しく裁かれるでしょう。
と、厳しい言葉をおっしゃったのです。
これは、イエスの『改心』への呼びかけの『言葉』でもあったのでしょう。
イエスの『呼びかけ』に、答えるのか? 答えないのか?
無関心ではいられません。
私たちも同様です。
いろいろの出来事やお人の言葉から、イエスの呼びかけを感じます。
そんな時は、一瞬立ち止まって、考えてみるのもいいですね。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『主に心を頑なにしてはならない。今日こそ、主の言葉に聞き従わなければならない。』
詩編 95章8&7節 アレルヤ、アレルヤ。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
昨日で緊急事態宣言が解除されました。人の流れが多くなることでしょう。
ということは、今まで以上の自粛生活で、事態を慎重に見守ってまいりましょう。
今日は金曜日で、一週間の仕事も一段落、『花金』です。
安全で、有意義な週末をお祈り申し上げます。 お元気で!