マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖書100週間・聖書通読会・・・『マルコによる福音書』 そして 『自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。』

2021-10-29 09:15:12 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
10月29日。金曜日。晴れ。

今日の金曜日も、
聖書100週間・聖書通読会。
オンラインクラスです。


      『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』 
   
 
        何と便利なオンラインクラスなのでしょう!    
        遠く離れている仲間と、
        一瞬にして、目の前で、臨場感豊かに、お話が出来るのです。
        今日も、コロナ禍の心配なく、会が開催されるのです。
                 有り難いことです。感謝です。
         
 
先週から始まった新約聖書。
新しい生き方、キリスト教の始まりです。
すべての人々に開かれる『神の国』の実現である、
『新しい時代』の始まりを、イエスは告げたのです。


         新約聖書通読会の始まりは
        マルコによる福音書からでした。

     先週の、マルコによる福音書1章~8章は、
     イエスが12人の使徒を選んで、
     一気に、安息日から安息日までの1週間・7日間で、
        『使徒たる者の姿』を、
      ご自分の『宣教の姿』から教えるものでした。


       『サタン、引き下がれ!
    あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。』マルコ 8:33 
      と、ご自分の『死と復活』の予告をなさるイエスに、
     人間的に当たり前と思える発言をするペトロに向かって、
       ”神の思いは人間の思いとは違うのである。
           神に従いなさい!”
     と、使徒たち皆に、使徒の『究極の心構え』を教えて、終わりました。


     今日の通読範囲は、『マルコによる福音書 9章~16章』
        先週とは、うって変わって、
           一気に、
         イエスの『言動』を、
      最後の『イエスの受難と復活』まで、語り尽くします。


        イエスは、その生涯において、
        ご自分の『言動』によって、
    人々の改心を呼び覚し、信仰にまで行き着かせたのです。
       

      キリストの時代の人たち同様に・・・

    私は、マルコによる福音書を読み終えた今回は、
    改めて改心をし、
    私の『歩むべき道』を示されたように思いました。
    イエスの示す『新しい道』に入り、その生き方に従って歩むのです。
    そして、
    この『良い知らせ』を、世の隅々まで告げ知らせなさいとのイエスの声が、
    聞こえてくるのです。


       今日も、新世界・新約聖書に一歩踏み入れた仲間の皆様の
            発表がとても楽しみです。
               感謝!感謝!



そして。

今日は10月29日。年間第三十金曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、あなたは命の道を教えてくださいます。
 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、永遠の喜びをいただきます。』
        詩編 16章11節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『安息日のことだった。
 イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、
     人々はイエスの様子をうかがっていた。

  そのとき、
     イエスの前に水腫を患っている人がいた。
    
  そこで、
  イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。
 「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
    
        彼らは黙っていた。

  すると、
   イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。
        そして、言われた。
   「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、
  安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」

     彼らは、これに対して答えることができなかった。 
          ルカによる福音書 14章1-6節


      今日のイエス様は、
      安息日に、律法の専門家たちやファリサイ派の人々の前で、
      病人を癒しました。

   安息日は、
   イスラエルの人々にとって、
   神の恵みを感謝する日であり、
   また、イスラエル人がエジプトから救われた日を感謝する日でした。
   神にささげる日であり、労働をすることは許されない日でした。
     
     それでも、
     イエス様は、安息日に、病者を癒されるのです。


   イエス様は、安息日に、
   ファリサイ派の議員の家で食事をする前に、
   律法の専門家たちやファリサイ派の人々に
   「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」と尋ね、
      人々が返事をしないのを見届けて後に、
        病人さんを癒されたのです。


    ファリサイ派の人や律法学者は、
    安息日は、仕事を休む日。
    困っている人を助けるより、律法を守ることが大切なのです。
      病人の癒やしは、安息日以外の日にすれば良い。
      『安息日ファース!』を考えていたのです。
  一方、
    イエス様は、
    安息日であるからこそ、
       『人々の幸せファースト!』を考えるのです。
       イエスにとって、『安息日』は『救いの日』。
          神の恵みを感謝する日です。


    イエス様は、
    ファリサイ派の人や律法学者の方々に、
    安息日に対する考え方を直すようにと、呼びかけておられるのです。
    ファリサイ派の人や律法学者の方々は、
    考え方を変えるつもりはないのです。
    それどころか、イエスの間違いを、指摘するのです。


      ここに両者の間で、『争い』が起こるのです。
    イエスの『愛の業』を、
    賛美する者とそれを悪く解釈する者の、二者の『争い』が始まりました。
    『イエスは反対をうけるしるしとして定められています。』
     と、イエスの誕生時に預言されたとおりでした。ルカ 2章34節
   

    私たち・キリスト者も、
    安息日・主日には、御ミサにおいて、キリストとともに食卓につきます。
    ミサで、キリストから力と癒やしを頂いた後に、
    困っている人の力と癒やしとなれる、そんな主日が送れたら良いですね。
       祈ってまいりましょう。

 
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。
    わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。』
     ヨハネによる福音書 10章27節   アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は金曜日、今週のお仕事も終わりでしょうか? お疲れ様でした。
皆様の明日からの週末が素晴しく穏やかな日々でありますように。 お元気で!