マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

命のつながり・・・桃栗三年柿八年 そして 『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。』

2021-10-05 11:06:46 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
10月5日。火曜日。快晴。

柿のおいしい季節です。

   天高く・・・    『柿の木』
 
                    お見事です。ご近所さん。
 

     『柿の木』に関して、
     偶然にも、※二人の友人※からお電話を頂きました。


 ※若い友人。
 「祖父から受け継いだ小さな畑に8年前に植えた柿が今年初めて三つだけ実をつけました。
     『桃栗三年柿八年』は本当ですね。 面白いですね。」  と。


      ”素敵ね。ご自分で育てた柿の味は特別でしょう!
        来年は鈴なりでしょうね。 楽しみね♡♡”    
                   と、お返事した私です。

もう一人。

  ※とてもお元気で精力的な80歳の友人。
  「友達がお宅の庭になったからと二つの柿を持ってきてくれました。
     あまりにもおいしいので、私も植えましょうと考えて、
     その柿の種を半日ほど水につけて柔らかくしておいたのよ。
     そして植えようとしながら・・・
      『桃栗三年柿八年』ということを思い出して、
   私は自分の柿を食べれるのかしら? と考えちゃったのよ。 さびしいわね。」  と。

    
      ”素敵ね。ご自分で育てた柿の味は特別でしょう!
   8年後の大きな夢があれば、元気いっぱいでその日を迎えられますよ。 
                 大丈夫。大丈夫。♡♡”
                       と、お返事した私です。
 

     なるほどね。
     柿一つでも・・・考えることが、年齢によってまるで違ってきます。
     二人のお電話で、考えさせられます。

      前者の友人は、限りのない希望の世界に生きておられるのです。
      私は、後者の友人と同じです。
      『八年後の大きな夢』を持って・・・
      『限りある命』を思いながら・・・
      残された時間を、元気でいたいものです。

      二人の友人の電話に感謝した今朝でした。
                 感謝!感謝!


そして。

今日は10月5日。年間第二十七火曜日。

『今日の入祭唱』

     『見よ、主は御目を注がれる。
   主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。』
         詩編 33章18節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは ある村にお入りになった。
  すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
      彼女にはマリアという姉妹がいた。

  マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。
  
     『イエスとマルタとマリア』    フェルメール作品

  マルタは、
  いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、
  そばに近寄って言った。
   「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、
       何ともお思いになりませんか。
       手伝ってくれるようにおっしゃってください。」

  主はお答えになった。
   「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
      しかし、必要なことはただ一つだけである。
     マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」』
         ルカによる福音書 10章38-42節


    今日は、
    イエスに給仕する姉のマルタ と イエスの言葉を聞く妹のマリア です。

    マルタとマリアの家を訪ねたイエスを、二人は喜んで迎えました。
    マルタは、一生懸命におもてなしの準備をし、忙しく働きました。
    マリアは、一生懸命にイエスの話を聞いて、静かに座っていました。


    イエス様は、
    そんなマルタに感謝こそすれ、
    マルタの『言葉』を非難をするようなお気持ちはなかったことでしょう。
    ただ、一生懸命で利口なマルタに、期待をなさったのでしょう。
    そこで、マルタに『お声』をかけたのです。
       『必要なことはただ一つだけである。』と。


イエスの生前。
何人かの婦人たちが、イエスや弟子たちの世話をしていました。
そして。
イエスの死後。
この婦人たちが、イエスの体に香油を塗るために、一番先に墓に行きました。
   その後、この婦人たちは、イエスから、
『イエスの復活』を弟子たちに伝える『使命』を頂いたのです。


     マルタは、
     イエスに話しかけるときに、『主よ!』 と呼びかけます。
     これは、マルタに、イエスへの『信仰』がすでにあることを表わすのです。
     イエス様は、
     ※マルタの『信仰』と『能力』を認めて、
      マルタが弟子たちの世話をするだけでなく、
      マルタが、イエスの死後は、『宣教』にも励んで欲しいと願ったのでしょう。
      一方。
     ※マリアの『イエスの言葉』への熱心さを認めて、
      マリアも、姉を助けつつ、『宣教』にも励んで欲しいと願ったことでしょう。


      今は、男女参画、万民参画の時代です。
      互いの人格を尊重し、喜びも責任も分かち合いつつ、
      一人一人の個性と能力を発揮しながら、宣教活動を進めたいものですね。

      
『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。』
     ルカによる福音書 11章28節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
男が・・・ 女が・・・ なんて考える時代は終わりましたね。
日本も変われるはずです。一人一人が楽しく生き生きと致しましょう。 お元気で!