マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖書について…その① 聖書って何? そして 『いましめる。』

2017-02-17 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

今日は金曜日。 
金曜日は、聖書通読会。聖書100週間の日。 
1985年9月3日以来~31、5年間~今日に至るまで、毎金曜日に、聖書通読のために仲間が集まる。

32年間程も読み続ける、
                 聖書って何?
  
                            私のイラストで刺繍をした、『聖書カバ―』

  聖書とは、
  神と人間との歴史における出会いの物語。と書かれています。

『神は、かって預言者たちによって、多くのかたちで、又多くのしかたで先祖に語られましたが、
 この終わりの時代には、御子によって私たちに語られました。』 ヘブライ人への手紙 1章1&2節

  こんなイエスの言葉もあります。

  『聖書はわたし(イエス)について証しをするものだ。
  わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。』
                                          ヨハネ福音書 5章36&40節

更に。

  32年間程も読み続ける、
                 聖書の魅力って何?

                          聖書は、世界中の、永遠のベストセラーだとか?

人がこの世に創造されて以来・・・今日に至るまで、
その本性は変わらない。 同じような歴史が繰り返されている。 との発見が面白い。

  人間学のような、歴史学のような・・・奥深さが、聖書の魅力です。

そして。

今日は2月17日。年間第六金曜日。

夕方のちょいランで、プロテスタント教会の『掲示板・今週の一言』をチェック。

    『今週の一言』 は 『いましめる』

今日の通読会は、ヨブ記。
ヨブ記の中に、こんな『言葉』がありました。

      『見よ、幸いなのは神の懲らしめを受ける人。
      全能者の戒め(いましめ)を拒んではいけない。
彼は傷つけても、包み、打ってもその御手でいやしてくださる。六度苦難が襲っても、あなたを救い出す。』
                                                       ヨブ記 5書17~19節

   ヨブを襲う、予期せぬ、『突然の不幸』。
『彼ほどに無垢で正しく、神を畏れ、悪を避けて生きている者はいない』とその信仰を褒められるヨブを襲う不幸。

   なぜ? どうして私に? いっそう死なせて下さい! と悩むヨブ。

   『突然の不幸』は、神の懲らしめ、戒めであり、
        必ず来る救いを信じて、『いましめ』を拒んではならない。 と説得する友人。

     苦悩の日々が、ヨブの信仰を、益々深くしていくのです。

 そして。

もう一つ。  聖書の『神の言葉』

       『主はモーセに仰せになった。共同体全体に告げてこう言いなさい。

心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。』
                                                 レビ記 19-17

      神は、兄弟は愛し合いなさいと言われるように、厳しさを求めます。
       右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しいなさい! と言われる神です。
   不当な扱いに憎むような兄弟をも、憎むのではなく、戒めなさい。 と言われる神です。
     戒めなければ、兄弟が受けるべき罪を、あなたが負うことになる! と言われるのです。


神様! 突然に襲う『いましめ』はご勘弁ください! でも信仰は深めて下さい! と願う私です。

勿論、学んで、知ってはいる私ですけどね。

『わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。』
                                             
ローマの信徒への手紙 5章3&4節

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
何回も繰り返して読む、『My バイブル』のような『本』、をお持ちですか? 
私は、読む度に心が前向きになれる、繰り返し繰り返し読む『3冊』があります。 

***************

今日のランニング 3㎞ 2月ラン距離合計:15㎞

17時。プロテスタント教会の『掲示板』をチェックしたくて、走りました。 
 お一人で、教会を開いた女牧師さんも年を重ねました。 御近所さんの親しさで、私の応援にも熱が入ります。


『サードエイジ』の言葉を御存知ですか? 私はその真っ只中。 そして 『神戸シルバーカレッジ』

2017-02-16 21:31:23 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。

  御存知でしたか?      『サードエイジ』

                『サードエイジ イメージ写真』              ネットより。

   子育てを終えて、仕事を終えて・・・『第二の人生』 の『言葉』は知っていました。


   社会学的に。
  高齢者は、前期高齢者(65歳~74歳) と 後期高齢者(75歳以上)、に分類される。
   その分類で、
高齢者は、前期高齢者:『サードエイジ:3代』 と 後期高齢者:『フォースエイジ:4代』 に分かれて、呼ばれるそうです。


        
『サードエイジ論』 を広めたのは・・・

    イギリスの歴史家、ピーター・ラズレット(1915-2001)。
 第二次世界大戦中は、日本語を学び、軍事情報の翻訳や暗号の解読をしていました。 
     彼は、『サードエイジ』を迎える人々のいる国の一つに、「日本」を挙げました。

           『人口高齢化が進んだ先進国』  こそ、
   『退職後の高齢者が人生の全盛期を迎えることのできる国々』 である。

            ・・・・と。 人口高齢化とエイジングを、とても肯定的に捉えました。


  
ここで、出てくるのが・・・

            『サードエイジ大学』。 とは?

1973年。44年前。
フランスのトゥールーズで、ピエール・ベラが、
比較的健康で活動的な高齢者(サードエイジャー)に、『学習の場を提供する目的』で

      ・・・世界初の 『サードエイジ大学』 を創設しました。

そして。


1983年。 フランスより10年遅れて。
退職を迎えたラズレットは
 イギリス・
ケンブリッジ大学内に、『サードエイジ大学』 を創設。

このように・・・

人口高齢化とエイジングを肯定的に捉えた 『サードエイジ論』は、人々に、強い影響を与えました。
高齢者への見方は
心身ともに衰弱し、年金という政府からの収入に頼らざるをえない者という否定的なものから、
       『健康的で、年金で不自由なくいきいきと生活する者』 へと変化したのです。

 

     イギリス型『サードエイジ大学』 では、
高齢者自身がグループリーダーと共に、『人生の意味』を見つけ、洞察できるように、
講義では、講師と学生(高齢者)との間の、『階層的構造』ができあがるのも、避けています。

  
  『サードエイジ大学』での 『サードエイジャー』 の自治と自立を強調したのです。


そして。 

1993年(平成5年9月) イギリス開校より、11年後。
ラズレットの独自の『サードエイジ論』に基づき、

   神戸に、イギリス型:『サードエイジ大学』:『神戸市シルバーカレッジ』 が開校したのです。


     私は、『サードエイジ』 真っ只中。

『健康的で、年金で不自由なくいきいきと生活する者』 へと変化するために、入学しようか?否か?
     『To be or not to be, that is the question.』 迷っています。

  今回入学すれば、4つ目の『大学入学』です。
若かりし頃の『国際政治学』。 大好きでした。
60歳を向かえる頃から、若者と共に『哲学』。 そして 若い大学院生と共に『旧約聖書学』 と。 楽しかった。
そして今、
『サードエイジ』の方たちと共に、『国際交流・交流コース』で、学ぼうかな 
   
友人から勧められた、3年間の『キャンパスライフ』 の検証でした。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、どの年代でいらっしゃいますか? 老若男女・・・それぞれに輝きましょう!

***************

今日のランニング 12㎞ 2月ラン距離合計:12㎞

5時半。2度。 無人。静寂。 無心に足を運んでいると、無我の境地、観想の境地に、なったりする。
    心が整えられる『至福の時間』も、7時半で終了。  感謝。感謝。


腰に貼って・・・『ホカロン』初体験。 そして 『イエスが両手をその目に当てられると、見えるようになった。』

2017-02-15 23:16:51 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

   初体験・・・     『ホカロン』
 
 薄着のおしゃれでお出かけ。
 寒い一日で、冷えが気になって、生まれて初めて『ホカロン』体験。

使わないのが、『まだ若い!冷えは我慢できる!』と、自称アスリートおばさんのプライドでした。

温かい心地良さに、感動! つまらぬプライドは捨てることにしました。
   私も、素直になって、便利なものは利用することにしました。
          自称アスリートおばさん返上ですかね まいった。まいった。


今日は2月15日。 年間第六水曜日。

  『今日の福音 イエスの言葉』

『人々が独りの盲人をイエスのところに連れてきて、触れていただきたいと願った。

     イエスが両手をその目に当てられると、
  
   (盲人は)よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。』
                                      マルコ福音書 8章22-26

      イエスに手を当てて頂くだけで・・・
      見えない目が見えるようになったら、どんなに嬉しいことでしょう!

      見えない目を見えるようにして下さるイエスは、誰なのでしょう?
イエスは、三位一体の神と聖霊と共に、見えるもの見えないものすべての造り主、全能の神です。

        『神にできないことは何一つない。』 ルカ福音書 1-37

          ただ一つ。
    見えない目を見えるようにしていただくには、私たちの信仰が、問われるのです。
          信仰が、人を救うのです。

                        私たちの信仰が強められるように、祈りましょう!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
心が素直になれたら、いいことづくしですね。 素直に、謙虚にまいりましょう!  


St.Valentin's Day 長い愛の一日。 そして 『聖人たちはあなたの恵みに強められ、いのちをささげて御子キリストをあかししました。』

2017-02-14 23:24:20 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

      St.Valentin's Day
今日は、愛する人に愛を告白する日だとか!  私も一日頑張りました。

午前中。

私たち夫婦の愛の始まり。結婚。
        

         仲人さんの実家の酒造。  『分佳人』

      
        仲人さんの兄上が継いだ『アリサワ酒造』

初めて、夫から、仲人さんを紹介されたら・・・仲人さんは私の父の麻雀仲間でした 世間は狭いですよね。
優しかった仲人さんを偲んで・・・神戸では2店にしか置いていない『分佳人』を買いに出かけました。

   Valentin's Dayに『愛の原点』に戻って、愛の再確認は、大切なことですよね。


午後。

『普遍の愛』とは何か?

     スコセッシ監督、遠藤周作『沈黙』を映画化。 20年越しの願いが実現へ。
         

     私たち夫婦。 『沈黙』の『本』の再読を終えて『映画』を観てきました。    

1991年。『沈黙』出版後25年目。
米オハイオ州にあるイエズス会系のジョン・キャロル大学で、『沈黙と声―遠藤周作の著作』と題した学会を開催。
遠藤は、米国人教授と対談を行い、「日本人と外国人の『沈黙』の読み方の違い」について論じたそうです。

『沈黙』の主人公は外国人司祭。
日本文学でありながら、日本だけにとどまらない視点が必要になるのがこの作品の興味深い点。

遠藤自身、
「私はつねに日本と西洋との関係をテーマに扱っているから、自分の文学が外国の読者からどう読まれているかは、やはり作者として興味がある。
外国人と日本人とでは私の作品の読み方が違うのが、私にとっては非常に面白い」と述べている。

    Valentin's Dayに、
    『普遍の愛』、私たち夫婦の『信仰の原点』について話しあえたことは、有難い時間でした。


そして。
夜。

   私から夫への    『バレンタイン・プレゼント』
  

      『北海道鮭 と 明石鯛 カルパチョ』 
with 息子夫婦からのバレンタインプレゼント:『IL CONVENTINO』 美味

         『デザート』
      

 息子夫婦からのバレンタインチョコ:『DOMORI』    いとうまし

  Valentin's Dayに、『家族の愛』の再確認は、親であることの幸せの再確認でした


そして。

今日は2月14日。 『聖チリオ隠世修道者 聖メドジオ司教 記念日』

    兄弟の二人は、すぐれた教育を受け、宣教のために、モラビアに赴いた。
       二人で、スラブ語の『典礼書』を作成。 やがて、ローマに赴任。
         弟・チリオは869年に同地で亡くなる。 
・メドジオは司教になり、ハンガリーに赴任、福音宣教に献身。多くの反対にあい、チェコで885年に死亡。

    『今日の叙唱』

   『聖人たちはあなたの恵みに強められ、いのちをささげて御子キリストをあかししました。
      弱い人間の中にあなたの偉大な力が示され、十字架の道を行く者の中に、
         人の知恵をはるかに超えるあなたの愛が輝き出ます。』


  信仰の世界は、この世の喜び以上に神への愛に生きる信仰者によって、継がれていくものですね


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様のバレンタインデイはいかがでしたか? 愛する人と共に、更なる愛を 誓い合えましたか? お幸せに!


『神の沈黙』 と 『人間の沈黙』 そして 『今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。』

2017-02-13 22:57:33 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

今、話題の映画。             『沈黙』 

                                             夫用と私用の二冊。
      
         半世紀ほども前の学生時代に読んだ『本』。
      『映画』を観る前に、夫と二人で、『本』を読み返しています。
    学生時代の読後の感想は、年を重ねた今、その読後感想は変わったのか?
  『映画』を観る前に、我が信仰宣言を、しっかりと、我にしておかなければならない。

          神は、沈黙しているのか?

      『主は、風の中に主はおられなかった。
   風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。
   地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。
       火の後に、静かにささやく声が聞こえた。』  列王記上 19章11&12節

     神は決して沈黙はしていません。 その声は『ささやく声』なのです。
 
 天地創造以来おしゃべりの止まらない神。  『天地創造 アダムの創造』        ミケランジェロ作品

人が、自らおしゃべりをやめて、黙して、静かにしていると『神のささやく声』は聞こえるのです。

            
                『アダムの左手と神の右手』  
                              『アダムの創造』の部分。
           父なる神の手が、アダムに生命を吹き込む図像。

 天地創造以来・・・

     『神のささやく声』 は 『人間の沈黙』においてのみ、聞こえるということですね。


そして。

今日は2月13日。年間第六月曜日。

     『今日の福音 イエスの言葉』

『ファリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論をしかけた。
   イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。

 「はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」
                                       マルコ福音書 8章11-13


      『神の声・ささやき』を、おしゃべりが過ぎて、聞こえにくくなっている私たちです。
         同様に。
      『神のしるし』も、自分の思いが強すぎて、見えにくくなっている私たちです。

 イエス・キリストの誕生以来・・・
 全聖書の預言の対象は、イエスの十字架上の贖罪において、完成成就。

  『イエス』こそが、唯一、最後に、不変に、私たちに与えられた、『天からのしるし』なのです。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
時代が変わって・・・諸々が変わります。
その中で、永久不変のものを捜すのは、大仕事ですが、面白いですね。 人生の醍醐味です。


光る朝陽と光る海 そして 山。 そして 『人間の前には、生と死が置かれている。』

2017-02-12 09:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

   朝陽が昇り・・・         海面にその光が届く。
 
                    光る海面               須磨の海。朝9時。電車から

        『不変』が生み出す美しさに、畏敬の念がこみ上げてきます。
         一日の始まり。 事の始まりは、希望も込めて、美しい。

そして。

今日は2月12日。週の始まり。年間第六主日。

今日の第一朗読。

  『人間の前には、生と死が置かれている。 望んで選んだ道が、彼に与えられる。』
                                        シラ書(集会の書) 15章17節

17節に先立って14節

   『主が人間を造られたとき、自分で判断する力をお与えになった。』  同 14節

      神は、人間に、すべてに先立って『自由』をお与えになられたのです。
      人は、自由に、意志と責任に基づき、『自分の道』を選んでいくのです。

続けて。

    『主は、不信仰であれとは、だれにも命じたことはなかった。』  同 20節

      神は、生と死=信仰の道と不信仰の道、人間の前に、二つの道を置かれた。
      人は、自由に、信仰の道か?不信仰の道か? どちらかを選び取るのです。

生と死。

   『死』は、一人ぽっち。他人や過去との比較。ひとりよがり。頑な。果てしない欲望。
   『生』は、微笑みと謙虚さ。静けさ。優しさ。家族愛。夫婦愛。人類愛。他人の喜びは自分の喜びの生き方。そして 信仰。

   
  『自分の生き方、生き様』は、自分で決めるのではなく、自分の前に準備された道を選びとるのです。
       生か? 死か? 二者択一するのです。三者はない。人生は厳しい。


  
人生・・・    たゆまず。あせらずいそがず。でも…おこたることなく。

                    山のごとく動ぜず。          結託して頑張りましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の幸せはどんなイメージですか? 充実の、新しい1週間でありますように!


二つ目のバレンタインチョコレート。 そして 『イエスは、七つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、人々に配った。』

2017-02-11 23:35:35 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

夫へ。            『バレンタインチョコレート』 

                                            昨日に続き、『二つ目』

            『イタリア製チョコ & イタリア製ワイン』    
  イタリアづくし。 息子嫁から、夫へ、『バレンタインプレゼント』が届いた。
  毎年。 お嫁さんからのプレゼントは、胸が高鳴る、外国製珍味が届く。
  2月14日。 『バレンタイン当日のディナーで、飲んで、食べようね。』  ご機嫌な夫です。
  私からは。 『バレンタイン・ディナー』を料理して、バレンタイン・プレゼントにしよう!


そして。

今日は2月11日。年間第五土曜日。

    『今日の福音 イエスの言葉』

『そのころ、また群衆が大勢いて、何も食べる物がなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。

「群衆がかわいそうだ。 もう三日もわたしといるのに、食べ物がない。
空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れ切ってしまうだろう。中には遠くから来ている者もいる。」

イエスが「パンはいくつあるか」とお尋ねになると、弟子たちは、「七つあります」と言った。
そこで、
イエスは地面に座るように群衆に命じ、七つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、
人々に配るように弟子たちにお命じになった。

               弟子たちは群衆に配った。』

     
 『人々は食べて満腹した。およそ四千人の人がいた。』   マルコ福音書 8章1-10

   
   イエスは・・・
パンを取り、感謝の祈りを唱えて、これを裂いて、人々に配るように弟子たちにお渡しになられました。
     

『最後の晩餐』の時も・・・

『イエスは、パンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われました。』
  
                  『最後の晩餐』             レオナルド・ダ・ヴィンチ 1498年作品

            『これはわたしの体である。』   マルコ福音書 14章24-25

   奇跡です。
                『パン』 は 『イエス御自身』です。

       イエスは、
       『パンの形』で、御自身を、弟子たちに、お渡しになったのです。
         更に。        
イエスは、『私の記念としてそれをおこないなさい』と、パンを人々に配るように、弟子たちに命じられたのです。

『最後の晩餐』以来・・・
今に至るまで。

           イエスは、
           ミサの時に、司祭の手を借りて、
           『パン』の形で、『御自身』を、私たちに与え続けておられるのです。

同時に。

    イエスは、『聖書』においても、『御自分』を表し、人々の霊魂を養っておられるのです。

     『人はパンだけで生きる者ではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。』
                                                 マタイ福音書 4-4

 


  神は、沢山の作物を育てて、私たちの体を養って下さる方です。満腹にして下さる方です。
    同時に。
  神は、『御聖体』 と 『御言葉』で、私たちの心を養って下さる方です。平安を下さる方です。

 


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『パン』でお腹がいっぱいになって・・・ 『御言葉』で霊魂が癒されて・・・
     『愛のバレンタインチョコ』で心が暖かくなって・・・。 嬉しいですね。
皆様も、『バレンタインチョコ』を、頂くだけでなく、プレゼントして、大切な方の心を暖かくして差し上げて下さいね。


恒例のバレンタインチョコレート。 そして 『親切な言葉は蜜の滴り。魂に甘く、骨を癒す。』

2017-02-10 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

               『バレンタインチョコレート』 

                『手作り生チョコ』    
     毎年。 聖書通読会・聖書100週間の仲間が、作ってお持ち下さる。
     おいしい。 仲間の親切に支えられて、『聖書100週間』が続くのです。 
     コーヒーブレイク。 フル回転で疲れた皆の頭を、癒してくれます。           

今日は2月10日。金曜日。

毎週金曜日は、聖書通読会:聖書100週間の日です。

今日の通読範囲は『イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言』

      『親切な言葉は蜜の滴り。 魂に甘く、骨を癒す。』 箴言 16-24

 

      最近・・・

         『親切な言葉』に、出会いましたか?

何気ない『支援の言葉』 『好ましい評価の言葉』 『励ましの言葉』 『優しさを感じさせる言葉』 等等。

      心が疲れている時、元気がない時・・・

       『親切な言葉』 は心にしみますね。
 『親切な言葉』は、蜜のように甘く、魂を潤し、骨を癒す。 と箴言は教えるのです。その通りですよね。

          『親切な言葉』は、
       『挨拶』が始まりです。 『ありがとう』もその一つです。
    相手を大切に思い、尊重しているからこそ出る、『親切な言葉』ですよね。

      どんな時にも・・・

   心が嬉しさで満たされ、元気になり、自分に自信が持てるようになるのが、『親切な言葉』です。
     今日の聖書通読会の仲間からも、『親切な言葉』を沢山もらいました。 感謝!感謝!

 
      逆に考えれば・・・

『不親切な言葉』
 や 『否定的な言葉』は、聞く人の魂を傷つけ、骨まで腐らせてしまう。 ということになります。


       アウシュビッツ強制収容所の『生き残りの女性の言葉』
       15歳のとき、列車でアウシュビッツに連れてこられた彼女は、
一緒に来た8歳の弟が靴をなくしたのを見て『なんてバカなの!自分のこともできないなんて!』と言いました。
    悲しいことに、これが彼女が弟に言った『最後の言葉』になりました。 弟は戻れなかったのです。
       彼女は誓いを立てました。
    『ここから生きて戻れるなら、耐えられないような言葉は二度と言わない。』と。
    お姉さんは、ついもれた弟への『一言』故に、『善く生きよう』 と誓ったのです。
                                               新聞の『人生相談』記事の一部です。

 
     私も、蜜の滴りのように、魂に甘く、骨を癒す『親切な言葉』を掛けることのできる者になりたい!
                                                と、心から願った今日でした。

皆様!
御訪問に心より感謝申し上げます。 
もうバレンタインチョコは用意なさいましたか? 
     『親切な言葉』を添えて、まずは、自分の一番身近な人にプレゼントしましょうね。


『天地創造:第六の日』・・・神は御自分にかたどって人を創造された。『人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。』

2017-02-09 23:24:59 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 今日は2月9日。年間第五木曜日。
         『今日の神の御言葉  男女の創造』

             『主なる神は言われた。
      「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

       主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。
   人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
      そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。
       
       眠っている間に女を創造。 『人類の創造』     シャガール版画

     『主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。
        「ついにこれこそ、わたしの骨の骨。私の肉の肉。
      これをこそ女と呼ぼう。まさに、男から取られたものだから。」

    こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
                                      創世記 2章18-25

まずは・・・

     『神は御自分にかたどって人を創造された。』 創世記 1-27

神の天地創造。          『楽園』                  シャガール作品。

聖書に続けて書かれています。

 『主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。 
            『楽園』の部分      『土の塵で形づくられたアダム』


疑問・・その①

   なぜに?
   神は、無から、人を創造されたのでしょう?

『神は愛です。そのあふれるばかりの御自分の愛を注ぐ対象が欲しかったのです。』 
                                 ・・・ある司祭が言われた言葉です。

        『神の本質』は、『愛』、愛の交わりに開くことであり、
『造られた人の本質』は、その神の愛に応えて、神への愛に交わりを開くこと。 なのかもしれませんね。


        
             『楽園』の部分      『美しいイブ』


疑問・・・その②

    なぜに?
    神は、最初から、男女一人づつ、造らなかったのか?
      又。
    なぜに?
    神は、アダムが全く意識なく眠っている間に、アダムの肋骨をとり、エバを造られたのでしょう?

    『神の愛の御業は、私たちが気づかぬ間に、知らないうちに、成されていることが多い。』
                                               ということでしょうか?

疑問・・・その③

     なぜに?
     アダムとイブは、人祖だと言われているのに、『父母』が現れるのでしょう?

   『父母は、男女を作った創造の親、神である。』  とも考えられる、というのは私の考えです。


エデンの園に置かれた男女は、『父母と離れて一体となり』、互いに助け合い&切っても切れない仲となります。
二人は、神のかたどりとして互いを自分自身のように愛し、命を注ぐことができる相手ができたということです。    
                 
      『一体』とは・・・
      一つの体ということ。
      相手が痛めば自分のことのように痛む。 相手が喜べば自分自身のことのように喜ぶ。
      相手が興味をもつことには自分も興味が沸いてくる。
           互いに、共鳴、共感があって、『
一体』ですよね!


最後に。

      『天地万物は完成された。』 『神はこれを見て良しとされた』 創世記 2-1 1章


   神は、私たちが気づかぬうちに、私たちに必要なものをすべて、準備して下さる方です。
         神を信頼して、安心して・・・
               アダムとイブのように、夫婦仲良く過ごしたいものですね。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
既婚の方は夫婦仲良く、未婚の方は御両親様をお大切に。 神の創造に感謝して、楽しくまいりましょう!


自家製の美味しい 『リモンチェッロ』はいかがですか! そして 『主なる神は、土の塵で人を形づくり、命の息を吹き入れられた。』

2017-02-08 17:42:38 | ワイン。おいしいもの。お勧めスポット。

           自家製の美味しい 『リモンチェッロ』

         
         自家製ラベルを貼って・・・  
                    出来上がりました!

1月20日・・・スピリタスウォッカにレモンを漬け込みました』

  新鮮なレモンを、綺麗に拭いて、皮を薄くむいて、ガラスの容器に入れ、アルコールを注ぎ入れました。
           これを10日間寝かせました。

2月1日・・・『シロップを加えて、更に、漬け込みました。』

    鍋に水に入れ砂糖を加え5分間沸騰させた後、冷ましたシロップを加えました。
           これを1週間寝かせました。

そして今日。
2月8日・・・  『濾して瓶詰めをしました。』

     
     
濾す時は、ガーゼを使ったりするのが良い・・・とネットのレシピです。

         私は・・・コーヒーフィルターを二重にして、濾しました。

      
透明な美しい黄色になりました。  

濾した後は、ご自分のラベルを貼ったりして、冷蔵庫に、またはフリーザーに、保存します。
                       アルコール度が高いですから凍結しないそうです

     キンキンに冷やして飲むそうで・・・
 今日一日冷やして…明日、飲みます。 楽しみです。 飲みにいらっしゃいませんか?


そして。

今日は2月8日。年間第五水曜日。

    『神の御言葉  人の創造』

主なる神は,土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり,その鼻に命の息を吹き入れられた。
      人はこうして生きる者となった。

主なる神は、人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。

主なる神は、
人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。ただし
善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。
       食べると必ず死んでしまう。」』          創世記 2章4-17


        こういうことでしょうか?

    神は、塵から人を作り、その鼻に命の息を吹き入れて、生きる者としました。
       
神こそ、人の生命の源です。

   しかし、その直後・・・。

   神は、エデンの園の木々の中に、その実を食べると死んでしまう『善悪の木』も植えました。
       神こそ、人の命を奪われる方でもあるのです。

        なぜに?

        神は、命を与え、同時に 命を奪うのでしょうか? 
        『善悪の木』を植える必要性は、何だったのでしょうか?

       神が、人に生命を与えたということは・・・
             『神と人との関係』が生まれたということです。

        つまり。

       神の愛故に、人は生命をあたえられたということは・・・
 人は、命の与え主である神と正しい関係を保つ時に、『真の生き方』 ができる。ということです。

      人は、神との関係を正しく保たなければならない。・・・ということです。

            人は、生きることにおいて・・・
   神との関係を正しく保ち、神に従順である時、生命が続くということです。
      一方。
   神に不従順である時、神の裁きを受け、生命の破滅が来る。 ということなのでしょう。

     『主が息吹を取り上げられれば、彼らは息絶え、元の塵に返る。』 詩篇104-29

            『神は愛』なのです。
     私たち人間を、最も親密にかかわり、最も思いやって下さる方なのです。
    そんな神に従順な生き方で・・・神の祝福に預かり、生命を長く保ちましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私は、神の造られた果実で、酒を造る。 神は、自力で、土から人を造る。 神は全能の神です。 脱帽!