まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

サナトリウムで踏むものは

2003年07月22日 20時18分00秒 | 日々雑感
わたしの家では、足踏みミシンを使っている。

かれこれ三十年近く使われているのではないだろうか。

電子部品が使われていないので壊れる気配がない。

ただ、動かすためのベルトは消耗品であるので、たまにブチッと切れる。

それを取り替えて使い続けているのだ。

母は電動ミシンを買ったら、と言うがスピード調節がたやすい足踏みが好きだ。

大きくて場所を取るのが玉にきず。

中学の頃、家庭科の成績は万年2であった。

不器用なせいもあるが、あまり人の話を聞いてないわたしは

先生の説明を聞き漏らすらしく、言われたとおりのことが出来なかった。

提出も遅れがちで、せっかく縫い上げた物を目の前でほどかれたときは悔しかったな。

しかし、そんなわたしが今は縫い物を楽しむのだ。

きっかけは生地屋で働いたことだ。

それまで、針の種類も糸の太さも生地との相性も知らなかったわたしだったが

働くうちに必要に迫られ、段々に覚えた。

そうこうするうち、端布を使って何か縫ってみたくなった。

簡単な袋を縫ってみんなに見せると、思ったより好反応であった。

それに気をよくして、徐々に凝った物を縫うようになった。

思うに家庭科の成績が悪かったのは、やる気と興味がなかったせいだろう。

好きこそものの上手なれ、かな。

中島らもさんのエッセーに「怖いもの」として

怒っているのに無言のままミシンをかけ続ける女房・・・というのがある。

確かにねぇ。

でも、男からすりゃ怖いかもしれないけど、あれでなかなか気が晴れるのだ。

頭にきているとき、ガーガーと掃除機をかけたり思いっきりミシンをかけたりするのは

あてつけでもあり、気晴らしでもあるのだ。

近頃、体調が悪いのでどこかで静養したいと思う。

薄幸の美女が静養するのは高原のサナトリウムであろう。

しかし、日光にも当たれないわたしは日中の散歩もままならず手持ち無沙汰であるに違いない。

憂鬱と退屈と寂しさを紛らわすために、わたしはミシンを踏むのだ。

待てよ、あれ持って行くのはちょっと大変かしら。




コメント
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