上司と話していて・・・と書くとおじさんを想像されるかもしれないが
一回りくらい年下だ。
だからなんだというわけでもないけれど、
長く働くということは、周りがどんどん若くなってゆくということだよ・・・
どこへ行っても自分が一番ペーペーだったのに
いつの間にか最年長に近くなっている。
時の流れは早いものだ。
で、わたしよりはだいぶ若い上司が「もう、別にいつ死んでもいいと思ってる」と言う。
いかにも深刻な話のようだが、たまたま昼休みに顔を合わせたので
世間話をしていただけだから、何かの拍子にそんな話になったのだろう。
小さな子供もいるのに、なんてことを・・・と思ったが
まあ、それとこれは別かもしれないし「死んでもいい」と言っただけで
「死にたい」と言ったわけではない。
彼は大病をして生死の境をさまよってから、死ぬのが怖くなくなったのだそうだ。
一度死んだと思えばもうこの世に未練はない、とまで言うのだが。
わたしは未練あるなーと言ったら「何に未練があるの?」
何に・・・
生きることに。
生きることに未練がある。
わたしも、10代や20代の頃はいつ死んでもいいやーと思っていた。
その頃は死がまだまだ遠いところにあるのでそんなことを思いがちだ。
それと、若い頃は簡単に絶望して簡単に厭世的な気分になったからだ。
その絶望は解決することなく果てしなく続くように思われた。
ネバーエンディング絶望。
しかし、年を重ねるにつれて絶望→解決、或いは悩んでいたことがいつの間にかどうでもよくなる、を繰り返すうちに
例えひどく悩んだり絶望することがあっても、そのうちどうにかなるということに気付いた。
これはほとんどの中年がたどる、ごく当たり前の道だろう。
悪く言えば青年期より鈍感になり、生きすれたということになるが
鈍感になることや、生きすれることは必ずしも悪いことではない。
こうなるとやっぱり、もっと生きたいなーと思う。
つらいことがあったときは尚更、もっといい目を見てから死にたいという欲が出る。
そんなわたしが、たまに(ああ、今日死んでも悔いがないなー)と思うのだが
それは、仕事がうまくいって、周りの人にも親切にしてもらって
しかも、明日は休みで友人と遊びに行く約束まで決まってる・・・そんな日。
そんな日に死ぬのならば幸せだろうなーと思う。
なんで遊びに行った後じゃなくて前の日かと言えば
わくわくして、楽しみな気持ちのままが、すごく幸せだと思うから。
毎日そんな素敵な日ばかりじゃないから、
明日も欲張って生きたいと思うのだ。