昨日は、静岡市美術館で「オディロン・ルドン 夢の起源」を見てきました。
相変わらずなんですが、ほーとんど知識のないまま見てきております^_^;
そういわれてみれば、なんとなく、このクモは見たことがあるよーな・・・という程度・・・
このクモシールがあちこちに貼ってありました。
クモ嫌いな人は要注意!!ですな。
さて、オディロン・ルドンという人はフランス・ボルドーで生まれ、若い時代は「黒」一色でのわりと怪奇的な幻想的な絵を描き、50歳代を過ぎてから急遽、色鮮やかな美しい系の幻想的な絵を描くようになった、という人だそうでして。
彼が若いころ、絵を勉強し始めたころに影響を受けた人の絵とかもあり、この前にこの美術館でやってた「レオナール・フジタ展」と同じように、その一人の画家の人生を流れとして見ていく、という感じかな~?
まぁ、この人に限らず、人間全般に言えることかもしれないけど、人間ってアナログな生き物なんだな~と改めて思ったりして。
っていうのは、この彼の画風のように若い時代と円熟期と、傍から見ると真反対の画風というか、180度自己の主張(?)をひっくり返したように、それまでの自分の芸術論、美論とかを一気に否定して反対の方向へ進んだ・・・ように見えるかもしれないけど、たぶん本人からしてみれば、それは別に全然矛盾しているわけでもなく、それまでの自分を否定しているわけでもなく、脈々とつながる自身の必然の流れ、という感じなんだろうなぁ~と思ったりして。
デジタルみたいに、白か黒、1か0みたいにチャキチャキを切り替えるわけじゃなくて、0から1の間をアナログのダイヤルみたいにビミョーにそのバランスを変えながら、いつのまにか気づくとメインの色まで変わっていた、っていう感じかなぁ?
人間って、真っ白でも真っ黒でもなく、グレーの中を歩む生物なんだなぁ~という感じ。
そのグレーの色合いが、白が多いか黒が多いか、その場面場面、瞬間瞬間によって変わる、っていうか。
そして、そのグレー度を「これは(どちらかと言えば)白=だから白」「これは(どちらかと言えば)黒=だから黒」と、判定する別の人もそれぞれ自分のグレーの中で判定を下すわけだから、当然その人のグレー度によっても判定が異なってくる、というかねぇ。
人間は、その微妙なアナログなバランスの中で生きていく、それを感じ学ぶことが「大人になる」ってことかな?って思ったりしてねぇ。
子供のころは、デジタル的な「善い事」「悪い事」に二分対立だけで済んでた世界が、大人になるとそう単純に割り切れないことを知る、っていうかね。
デュロンの若いころに影響を受けた人の中に、美術系の人はもちろん、科学系の人もいて、その化学系の学者が描いた植物画というか解剖図的なのも非常~に美しい。
図鑑的な描き方なんだけど、美しいんだよねぇ。
科学と芸術って、一見対立、水と油、理性と感性、みたいな感じに思えるけど、実際は案外近い存在でもある、っていう事も言えるなぁ、と思ったりね~
実際、ルドンに影響を与えたという別の画家は、「幻想的なモノの横には写実的なモノを置くことでより幻想世界が深まる」みたいな事を言って、それをルドンは生涯守ったみたいな解説があったけど、それもこれと通じるんだろうなぁ、と思ったりしてね。
前半の黒の絵と、後半の色彩の絵・・・どちらが好きか?っていう投票もありまして、その方法もなかなかユニークで、観客が色のついた○シールをそれぞれ投票する側のポスターに張っていくと、最終的にルドンの絵が完成する!!という。
私は、モノクロの方に投票しました(笑)
で、展示場に入るまでのエントランスなんですが・・・
なんか、いつもと違う?と思ったら・・・
現在、ロビーで展示されているのが今村源氏の「わた死としてのキノコ」という展示なんですね~。
中央には、巨大なキノコが浮かんでいます。
机にもキノコ
張り巡らされた電線みたいなヤツは、キノコの菌糸をあらわしていたんですね~!!
これ、写真にしちゃうとわかりにくいんだけど、菌糸を模した針金で人体が作られています。
売店にも、キノコグッズとかキノコ本が沢山っ!!
ぐぐ・・・最近の私のマイ・ブームがキノコだって言うことを、何故知っているのだっ!!と、ついつい誤解しちゃうようなツボな展示でございました。
しかも、こちらは鑑賞無料なんだよね~。
顔出しのクモもあり。
さすがに、やる人いないんじゃないかな~?と思ったら、結構皆さんやってるようでした^_^;
相変わらずなんですが、ほーとんど知識のないまま見てきております^_^;
そういわれてみれば、なんとなく、このクモは見たことがあるよーな・・・という程度・・・
このクモシールがあちこちに貼ってありました。
クモ嫌いな人は要注意!!ですな。
さて、オディロン・ルドンという人はフランス・ボルドーで生まれ、若い時代は「黒」一色でのわりと怪奇的な幻想的な絵を描き、50歳代を過ぎてから急遽、色鮮やかな美しい系の幻想的な絵を描くようになった、という人だそうでして。
彼が若いころ、絵を勉強し始めたころに影響を受けた人の絵とかもあり、この前にこの美術館でやってた「レオナール・フジタ展」と同じように、その一人の画家の人生を流れとして見ていく、という感じかな~?
まぁ、この人に限らず、人間全般に言えることかもしれないけど、人間ってアナログな生き物なんだな~と改めて思ったりして。
っていうのは、この彼の画風のように若い時代と円熟期と、傍から見ると真反対の画風というか、180度自己の主張(?)をひっくり返したように、それまでの自分の芸術論、美論とかを一気に否定して反対の方向へ進んだ・・・ように見えるかもしれないけど、たぶん本人からしてみれば、それは別に全然矛盾しているわけでもなく、それまでの自分を否定しているわけでもなく、脈々とつながる自身の必然の流れ、という感じなんだろうなぁ~と思ったりして。
デジタルみたいに、白か黒、1か0みたいにチャキチャキを切り替えるわけじゃなくて、0から1の間をアナログのダイヤルみたいにビミョーにそのバランスを変えながら、いつのまにか気づくとメインの色まで変わっていた、っていう感じかなぁ?
人間って、真っ白でも真っ黒でもなく、グレーの中を歩む生物なんだなぁ~という感じ。
そのグレーの色合いが、白が多いか黒が多いか、その場面場面、瞬間瞬間によって変わる、っていうか。
そして、そのグレー度を「これは(どちらかと言えば)白=だから白」「これは(どちらかと言えば)黒=だから黒」と、判定する別の人もそれぞれ自分のグレーの中で判定を下すわけだから、当然その人のグレー度によっても判定が異なってくる、というかねぇ。
人間は、その微妙なアナログなバランスの中で生きていく、それを感じ学ぶことが「大人になる」ってことかな?って思ったりしてねぇ。
子供のころは、デジタル的な「善い事」「悪い事」に二分対立だけで済んでた世界が、大人になるとそう単純に割り切れないことを知る、っていうかね。
デュロンの若いころに影響を受けた人の中に、美術系の人はもちろん、科学系の人もいて、その化学系の学者が描いた植物画というか解剖図的なのも非常~に美しい。
図鑑的な描き方なんだけど、美しいんだよねぇ。
科学と芸術って、一見対立、水と油、理性と感性、みたいな感じに思えるけど、実際は案外近い存在でもある、っていう事も言えるなぁ、と思ったりね~
実際、ルドンに影響を与えたという別の画家は、「幻想的なモノの横には写実的なモノを置くことでより幻想世界が深まる」みたいな事を言って、それをルドンは生涯守ったみたいな解説があったけど、それもこれと通じるんだろうなぁ、と思ったりしてね。
前半の黒の絵と、後半の色彩の絵・・・どちらが好きか?っていう投票もありまして、その方法もなかなかユニークで、観客が色のついた○シールをそれぞれ投票する側のポスターに張っていくと、最終的にルドンの絵が完成する!!という。
私は、モノクロの方に投票しました(笑)
で、展示場に入るまでのエントランスなんですが・・・
なんか、いつもと違う?と思ったら・・・
現在、ロビーで展示されているのが今村源氏の「わた死としてのキノコ」という展示なんですね~。
中央には、巨大なキノコが浮かんでいます。
机にもキノコ
張り巡らされた電線みたいなヤツは、キノコの菌糸をあらわしていたんですね~!!
これ、写真にしちゃうとわかりにくいんだけど、菌糸を模した針金で人体が作られています。
売店にも、キノコグッズとかキノコ本が沢山っ!!
ぐぐ・・・最近の私のマイ・ブームがキノコだって言うことを、何故知っているのだっ!!と、ついつい誤解しちゃうようなツボな展示でございました。
しかも、こちらは鑑賞無料なんだよね~。
顔出しのクモもあり。
さすがに、やる人いないんじゃないかな~?と思ったら、結構皆さんやってるようでした^_^;