新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月10日 その2 昨年4月10日に掲載したもの

2016-04-10 18:32:12 | コラム
思えばよくぞ遠くまで来られたものだ:

以下は昨年の今日、4月10日に掲載したものです。あれからもう1年かと思うと、正直なところ感無量であり「遙か遠くに来たものだ」なのです。あの頃は何かを信じて一所懸命に病院の外来でのリハビリテーションに通っていましたが、まさか現在の53 kg前後の体重まで回復出来るなどとは考えてもいませんでした。本当に有り難いものだと、治療して下さった先生方に感謝あるのみです。勿論家内にも。

ところが、兎角この世は住みにくいもので、私の復調を待っていたかのように家内の椎間板ヘルニア(すべり症)が悪化して手術を受けて経過は順調でも、謎のCRPの値が不安定の為長期入院を余儀なくされている次第です。何方かが「あなたの昨年の長期入院が奥様の体調を悪化させたのでは」と言われましたが、反論出来る余地がありません。悲しいことです。

>引用開始
4月8日の国立国際医療研究センターでのリハビリテーションの結果では「体調の回復が漸く軌道に乗ってきたので、安心して見ていると担当の療法士に言われて、一安心出来ました」とでもなるでしょうか。あの大病から退院後未だ僅か7週間です。楽観は許されまいと思います。

8日には週一度のリハビリテーションに行ってきました。結果は言うなれば”I’m so pleased to advise you ~.”とでも言えますが、循環器系の患者を担当する2人の療法士に「もう安定期に入っていて、安心して見ていられるところまで心電図、心拍数、20分間のエアロバイク漕ぎの前後の血圧の数値が安定している」と言われました。

「但し、心不全の度合いを表すBNPの値が4月1日の血液検査では2月末の1300という最悪の値から600まで下がっていたのは結構だが、未だ『心不全状態』から脱出出来ていないので、へ標準値の100を目指して食生活等には従来通りというよりも、より一層の注意を」とも言われました。しかし、「行動範囲は拡大しても良く、電車に乗ることも可とするが、歩行速度は息が苦しくならないように調節すること」との許可も出ました。

私は良かったとは思いましたが、「長くて真っ暗なトンネルの先に漸く微かな灯りが見えた」程度の受け止め方で、まだ先は長いと考えております。愚息は「退院後の時間の経過なりの成果と思っている方が無難である」と楽観を許しません。なお、体重は学生時代の49 kg台にまで減少し、BMIの数値が21となり、これは良いことなのですが、これ以上に減少は要注意と警告されました。

この分では、これから先の私の精進如何では、半ば諦めていた友人たちに会いに行く事や多くの会合への出席も可能な日が来るかも知れません。だが、何とかしてこれらを希望的観測に終わらせたくないもの。
>引用終わる

エンブレム談義

2016-04-10 08:07:46 | コラム
東京オリンピックのエンブレム候補:

8日に一般からも公募した2020東京オリンピックのエンブレムの候補の四作が公開された。此処でいきなり結論めいたことを言ってしまえば、このオリンピックの準備段階で森喜朗元総理がのさばっている限り余り良い結果は期待出来ないかと危惧している。それに日銀総裁になり損なった元大蔵事務次官・武藤敏郎氏が重要な役目を担っていることも、何となく縁起が良くないような気がしてならない。解りやすく言えば、畑違いのように思えてならないという意味でもある。

そこで、候補に挙げられた四案である。何故杉山愛が幕開けに登場するのかと違和感を持たされていたテレビ中継では、一見して全部に魅力がないと感じた。恐らく調査に調査を重ねて何処からも因縁をつけられず、且つまた東京オリンピックを象徴するに相応しいものを選考したのだろうが、無難だったということが特徴がない平凡な物になってしまったということかと思って眺めていた。私は誰かが言っていた招致活動のエンブレムが最も良いと思うが、それがIOCとやらの規定で使えないのが残念だと今でも考えている。

武藤という方の存在が良く解らないと言ったが、その選考委員に王貞治だの杉山愛だのを選んでいるのも良く解らない。それぞれの競技種目に長年携わっていたことと審美眼とオリンピックの意義とどういう関連性があるのかななどと思ってしまう。幅広い分野から権威者を選んで委員を依頼したというのであれば、何となく言い逃れのように聞こえる。

実は、今日まで「エンブレム」(=emblem)とは如何なる意味で使われている言葉かについては全く関心がなかった。長年の英語の世界暮らしでも使った記憶がない言葉だった。運動選手だけではないが多くの洒落者が着ている紺のブレザーの胸ポケットについているのが「エンブレム」で、その所属するクラブなり何なりの象徴のお飾りだろう程度にしか考えていなかった。そこで早速ジーニアス英和を引いてみた「②象徴的な模様、記章、紋章、標章」が当たっていると思う。それなら何で素直に「記章」とでも言わないのか。カタカナ語にした方が権威があるとでも言いたいのかと、カタカナ語排斥論者はつい考えてしまう。

次にはOxfordも見た。” a design or picture that represents a country or an organization”よりも、2番目に出ている”something that represents a perfect example of a principle”の方が面白い気がしたが、両方ともしっくりこなかった。何れにせよ、「エンブレム」というカタカナ語は最早漢字で表せない領域に入ってしまったと思わせてくれる。兎に角、あの森元総理の指揮下でもオリンピックが「上手く行く」ことを祈って終わる。