巣鴨の17号線沿いにAPA HOTELが:
18日に家内の退院を機に1週間遅れで、桜も散ってしまった後の巣鴨の染井霊園に亡母の墓参りに行った。染井まではJR巣鴨駅から10分以上は歩くが、既に主治医の許可を得ていた。幸いに好天に恵まれて17号線沿いに歩いて行くと、確かとバスの営業所があった場所の大きな建物が建築中になっていた。何事かと掲示板を見れば「14階建てのAPA HOTEL」だった。
そのまま巨大な戸田記念講堂のところで右折するとAPAの偉容が良く見えたのだった。以前の都バスの営業所がどういう形になっていたかの記憶は定かではないが、そのAPAの裏側になる場所にこぢんまりと縮小し移転?していた。記憶にある限りでは巣鴨信金があった以外はビジネスとは縁遠い場所にホテルが出来るとは、巣鴨も変わったものだと思わずにはいられなかった。と言うのは、そこには17号線を挟んでかの地蔵通りがあるのだから。
因みに、APAはここから見える歌舞伎町にも新築したし、職安通りと明治通りが交差する辺りにも大分以前から開業している。如何に大都市のホテル不足が取り沙汰されていても、あのような調子で連続的に新規に開業しても経営上に問題を生じないのかと、他人の疝気を気に病んでいる次第だ。
折角ここまで来たのだからと、墓参りを済ませた後で少しだけ地蔵通りを歩いてみたが、そこには「これまで何故なかったのか」と思っていた回転寿司店も出ていた。確か昨年末に亡父の墓参に一人で来た時にはそんなものがなかったと思わずにはいられなかった、地蔵通りの小さな変化だった。それも兎も角、家内が思い切って手術を受けたお陰でそこまで歩けるようになっていたのは誠に結構なことで、両親も草葉の陰で喜んでくれているだろうと陳腐なことを思いつつ、巣鴨駅から高田馬場駅に向かった。
何故高田馬場駅かと言えば、未だ階段の昇降を禁じられている家内の為には、エレベータもエスカレータもない新大久保駅は使えないのだから。しかも、高田馬場駅前から1時間に1本だけの我が家の前で止まるバスがあるのだ。シルバーパス保持者としては利用しない手はないのだ。
18日に家内の退院を機に1週間遅れで、桜も散ってしまった後の巣鴨の染井霊園に亡母の墓参りに行った。染井まではJR巣鴨駅から10分以上は歩くが、既に主治医の許可を得ていた。幸いに好天に恵まれて17号線沿いに歩いて行くと、確かとバスの営業所があった場所の大きな建物が建築中になっていた。何事かと掲示板を見れば「14階建てのAPA HOTEL」だった。
そのまま巨大な戸田記念講堂のところで右折するとAPAの偉容が良く見えたのだった。以前の都バスの営業所がどういう形になっていたかの記憶は定かではないが、そのAPAの裏側になる場所にこぢんまりと縮小し移転?していた。記憶にある限りでは巣鴨信金があった以外はビジネスとは縁遠い場所にホテルが出来るとは、巣鴨も変わったものだと思わずにはいられなかった。と言うのは、そこには17号線を挟んでかの地蔵通りがあるのだから。
因みに、APAはここから見える歌舞伎町にも新築したし、職安通りと明治通りが交差する辺りにも大分以前から開業している。如何に大都市のホテル不足が取り沙汰されていても、あのような調子で連続的に新規に開業しても経営上に問題を生じないのかと、他人の疝気を気に病んでいる次第だ。
折角ここまで来たのだからと、墓参りを済ませた後で少しだけ地蔵通りを歩いてみたが、そこには「これまで何故なかったのか」と思っていた回転寿司店も出ていた。確か昨年末に亡父の墓参に一人で来た時にはそんなものがなかったと思わずにはいられなかった、地蔵通りの小さな変化だった。それも兎も角、家内が思い切って手術を受けたお陰でそこまで歩けるようになっていたのは誠に結構なことで、両親も草葉の陰で喜んでくれているだろうと陳腐なことを思いつつ、巣鴨駅から高田馬場駅に向かった。
何故高田馬場駅かと言えば、未だ階段の昇降を禁じられている家内の為には、エレベータもエスカレータもない新大久保駅は使えないのだから。しかも、高田馬場駅前から1時間に1本だけの我が家の前で止まるバスがあるのだ。シルバーパス保持者としては利用しない手はないのだ。