カタカナ語の不思議:
先ほど、余程「英語の実践的学習法」を記載した時に触れようかと思ったが考え直したことがあった。それは”stewed prune”の”stew”のカタカナ表記だった。私のカタカナ語排斥論に対して時偶「そこまで拘るのは嫌みだ」と厳しく批判する方がおられるので、一寸躊躇ったのだ。
この”stew”はカタカナ語で「シチュー」と表記される広辞苑に「肉・魚介・野菜などを煮汁の中でゆっくり煮込んだ料理」とある「シチュー」のことだ。”stewed”となっているのはその動詞形の過去分詞(形容詞用法)で動詞では「肉・果物などをとろ火でとろとろ煮込む」という意味となると、ジーニアス英和にある。発音記号では勿論「ステイユー」とカタカナで書けるかのようになっている。それが我が国では発音しにくかった為か、勝手に「イ」を挟んで「シチュー」になってしまったようだ。良くある事だ。
ここまでで「そんなことどうでも良いじゃないか」という声も聞こえてくるような気がする。それはそれでも結構。だが、何時でも言ってきたように「カタカナ語をお使いになることを阻止する気はない、それは英語を離れてカタカナ語として戸籍を得てしまったいるのだから。せめて元の単語はこういうものだと知っていて頂ければそれで十分」なのだから。
何時でも不思議に思うことは「何処の何方が勝手にカタカナ語を創り出して広く遍く使わせるようにしているのかな」なのだ。それにつけても思うことは「カタカナって便利のようだが、罪作りでもあるな」ということ。
先ほど、余程「英語の実践的学習法」を記載した時に触れようかと思ったが考え直したことがあった。それは”stewed prune”の”stew”のカタカナ表記だった。私のカタカナ語排斥論に対して時偶「そこまで拘るのは嫌みだ」と厳しく批判する方がおられるので、一寸躊躇ったのだ。
この”stew”はカタカナ語で「シチュー」と表記される広辞苑に「肉・魚介・野菜などを煮汁の中でゆっくり煮込んだ料理」とある「シチュー」のことだ。”stewed”となっているのはその動詞形の過去分詞(形容詞用法)で動詞では「肉・果物などをとろ火でとろとろ煮込む」という意味となると、ジーニアス英和にある。発音記号では勿論「ステイユー」とカタカナで書けるかのようになっている。それが我が国では発音しにくかった為か、勝手に「イ」を挟んで「シチュー」になってしまったようだ。良くある事だ。
ここまでで「そんなことどうでも良いじゃないか」という声も聞こえてくるような気がする。それはそれでも結構。だが、何時でも言ってきたように「カタカナ語をお使いになることを阻止する気はない、それは英語を離れてカタカナ語として戸籍を得てしまったいるのだから。せめて元の単語はこういうものだと知っていて頂ければそれで十分」なのだから。
何時でも不思議に思うことは「何処の何方が勝手にカタカナ語を創り出して広く遍く使わせるようにしているのかな」なのだ。それにつけても思うことは「カタカナって便利のようだが、罪作りでもあるな」ということ。