新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月24日 その2 日米間の企業社会の文化の違い

2016-04-24 17:02:30 | コラム
舛添都知事の豪華海外出張に思う:

舛添都知事の海外出張における経費の使い方に批判の声が高い。橋下徹元大阪府知事にして前大阪市長は「都知事はそんなに偉いのか」と皮肉っていた。私は偉さの段階で出張旅費の範囲が決められている事の方がおかしいと、アメリカの会社員たちが言っていると思えてならないのだ。私は日本の会社でその偉さの順番に従った旅費規程を経験した後に、実費精算方式のアメリカの会社に転身したので、偉さの順でない方が遙かにやりやすかった。

その実費精算主義の背景にあるものは舛添都知事が言っているように「ホテルの部屋で海外の偉い方に会うかも知れないので」にはその都知事としての格式を主張したいことがあるのだろうと少しは理解出来る。だが、その為に彼自身が最高級のホテルのスイート・ルームを取るのは如何なものかと思ってしまう。お客様が見えるかも知れないと主張するのはややこじつけの感がある。

W社ではアメリカのAAAの格付け会社の社員としてその都市の一流ホテルに泊まるのは当然という誇りがあったし、会社として全米のこれというホテルには年間一定以上の宿泊を確約して所謂”corporate rate”という格安の部屋代が保証されていた。また、大きな都市に事業部の大半が出向くような”Convention”(業界の大会のようなものを指す)の場合は、幹事役がスイート・ルームに泊まり、事業部長でも普通の部屋に泊まっていた。

それは、客先等からの来客に備えてスイート・ルームに酒類から炭酸飲料まで一定以上の範囲の飲み物を適当なつまみ等とともに常備していたものだった。これは部員たちが外に出て行く必要がないようにとの配慮でもあるが、こういう形を採るのがアメリカの企業の普通のやり方のようだった。事実、こういう各社のスイート・ルームを訪問して商談の機会としているのがアメリカの習慣かと私は解釈していた。

舛添都知事が自らの格式を誇示しようとしたのならば、一寸筋が違うのではありませんかと言いたくなる。来客があって盛り上がってしまったような場合に寝室で寝ていられるかということもあるが、その部屋にいる以上出ていって挨拶せねばならないことにもなるのだ。私にはスイート・ルームの効率的な使い方をご存じではないのではと思わせてくれる

また、航空機にしてもその上場企業にしてその格付けに相応しいクラスに搭乗するように定められているが、偉さの順番でエコノミークラスにしか乗ってはならないなどとは定められていない。それでは出張旅費が予算を超過するのではないかとの心配もあるだろうが、そんなことはない。予算には予め出張旅費が精密且つ厳密に設定されており、各人が自分の予算の範囲内に収まるように十分に注意して行動するように出来ている。

その予算の全ての費目でその範囲を大きく超過するとか残すような好い加減な設定や、活動は許されないのだ。アメリカの企業では「予算」というものはこのように精密に来年度分を設定しておくのが各人の責任であると言うこと。W社ジャパンでは前月までの予算の使用状況と残高を費目毎に通告されるので、常にそれを脳裏において動いていたものだった。

舛添都知事に対する批判から一寸逸れてはしまった感もあるが、予算に見る日米間の企業社会における文化の違いをあらためて思い出して、論じてみた次第だ。だからと言って、桝添都知事のご参考に供したいなどと大それた事は考えていない。

新日本語への疑問 #2

2016-04-24 08:10:21 | コラム
劣化なのか時の流れなのか:

1970年頃だったか、韓国の中小の規模財閥のオウナーのご子息で、UCLAに留学中だったSHK氏と語り合ったことがあった。彼は流石にかなり立派な英語を話していたが、その話題の中に言葉の変化があった。彼が「私が話している韓国語が最も現代的で、時代の最先端を行っている」と誇らしげに言っていたのが印象的だった。言葉とはそういうものだったのかとあらためて思い知らされた感があった。念のため申し上げておけば、私は当時はアメリカの会社に転身していなかった。

その「時代とともに変化する」という現象だが、私は現在我が国に現れて(私が好むと好まざるとに拘わらず)広まりつつある新日本語が時の流れを映していると言うよりも、カタカナ語の氾濫とともに日本語の劣化のように思えてならない。即ち、決して好ましい現象だとは思えないのだ。そこで、その中から思い付くままに悪い例に入ると思っているものを採り上げてみよう。

「1000円からお預かりします」:
これはどう考えてもおかしいのだが、完全に戸籍を得ている。これでは「1000円以上を預かります」という意味のようにも思えるだが、実際にはそう言いたくて使われているのではない。私は「1000円頂戴します」と「1000円お預かりします」が何処かで混同してこのようになったと考えている。老爺化した私はこう言われて何度か店員をたしなめたことがあった。こういう言葉を何の疑問にも思わずに使う常識の欠如と感覚が情けないのだ。

「~になります」:
と言って料理屋で料理を運んでくるのも今や普通のことだ。これも立派な新日本語だと思う。「それでは、今は何なんだ」と突っ込むのが陳腐なギャグにあった。「~で御座います」か「~を持って参りました」辺りが本来の日本語だろう。私は「1000円からお預かりします」とともに彼らの用語集に規定されているのだと、本気で疑っている。

これらは新日本語のほんの一部に過ぎないのだと思うが、「悪貨は良貨を駆逐する」という例えが示すようにあっと言う間に普及する。私はこの現象は持論である「言葉は耳から入るものが最も良く定着する」事の典型的な例だと思っている。それは、アナウンサーたちが使う言葉が怪しげになっただけではなく、テレビ局が使うタレントやら芸人たちがこの手の言葉を乱用することも大いに負の貢献をするからでもあるのだと信じている。結論的に言えば、私は劣化だと思いたいのだが。