新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「~して貰って良いですか」

2016-04-27 07:11:58 | コラム
過剰敬語:

先頃、疑問に思って採り上げた掲題の「~して貰って良いですか」のような言い回しに対するついて、国文学者のKS氏から下記のような意見が寄せられたので、此処に紹介する次第。

>引用開始
お尋ねの件ですが、このごろ「過剰敬語」というのがしばしば問題になっています。

特に相手にモノを頼む際にそうなることが多いようです。「お願いします」で充分なところを「お願いできますか」と言ってしまうなど。 私も「月曜日締め切りでお願いします」と言えばいいのに、ついつい「月曜日締め切りでお願いできますか」と言ってしまいます。

最近の若者は、昔以上に空気を読む習性があり、相手に拒絶されること・相手に負担をかけたと思われることをおそれます。それがこの「お願いできますか?」的な「疑問文」の蔓延につながっているようです。

場合によっては、「月曜日の締め切りでお願いしてよろしいでしょうか」とか「月曜日のしめきりでお願いさせていただいてよろしいでしょうか」とかどんどん敬語がエスカレートしていったりします。それで「必要な範囲を越えて過剰な敬語は、かえって意思伝達を不明確にする」ということで、就活生や新入社員を教える立場の人間は、「ただ敬語は重くすればいいというものではない」という指導をしているみたいです。

「してもらっていいですか?」も、こうしたトレンドを受けて発生してきたいいまわしだと私は考えます。 「してください」だと、自分の意志に相手を従わせようとした感触が残るのでしょう。

言葉はたしかに世につれてかわっていくもので、たとえば「貴様」や「おまえ」はもともとは「敬称」でした。しかし、「してもらってもいいですか?」はそういう変化とはまた違う、「人間関係の過剰な閉塞感」に根ざした言いまわしだと私は感じます。

言葉の「経年による自然な変化」は、年長者から見ると「乱れ」のように感じられても、そこに一定の合理性があります。しかし「敬語の過剰・インフレ」は、大したことではないことを物凄く重い敬語で言うことで、重々しい敬語をつかうべきオケージョンとの落差をなくしてしまうわけですから、そこに合理性があるかどうかは微妙です。

そういうわけで、私は「してもらっていいですか?」的な言い方にあまり好感を持っていません。おそらく割合早く、消えていく言いまわしなのではないかと見ていますが、どうなるでしょうか。
<引用終わる

私は「国語教育が乱れた結果で敬語の使い方が若い者たちに徹底できていないこと」が「~して貰って良いですか」のような奇怪な表現を生み出したと思っていたが、過剰敬語であるとは知らなかった。KSさんのお陰で勉強になった次第。KSさんに感謝して終わる。