イヤな世の中になったものだ:
曽野綾子さんは怒っていた。
6日の産経の「透明な歳月の光」のコラムで、新築の病院の電話でしか予約を受け付けないデイジタル化された制度を批判しておられた。私も何も病院だけではない「何々なら1を」や「これこれなら2を」と音声ガイダンスを極めて不愉快に思う後期高齢者の一人だ。こういう合理化はICT化が進んだ現代では当たり前だろうが、PCは言うに及ばずスマホとやらも扱ったことがない高齢者には拷問のようなものだと思う。
今やそういう不自由な高齢者が全人口の30%にも迫ろうという時代だとの認識が欠如していないか。大分以前に知った数字だが、高齢者の中でPCを持っているのは精々20%程度で、その中で使いこなしているのはそのまた数%だそうだ。イヤな時代になったものだ。我が旧制中学のクラス会で開催の通知をPC宛てに送れる先は10%くらいだと幹事が嘆いていた。
2007年だったかにANAと共同運行しているUnited航空に成田でチェックインした際に、所謂「タッチパネル」方式が導入されていて、アメリカにもないシステムだと驚かされたものだった。PCを扱う経験をしていたので何とか切り抜けたが、対応出来ないお客の為にその端末の前に係員を貼り付けていたのは果たしてこれが人員の合理化かと尋ねたい気分にさせられた記憶がある。
この「音声に従って」を日本郵政がいち早く導入し、書留類をこちらの不在を狙ったかのように配達しては「不在票」なるものを残していくのだ。その音声に従いたくても従えない家内は、わざわざ放置して健康の為の散歩をかねて新宿北郵便局まで片道30分を厭わずに取りに行っている始末だ。その固定電話のボタンを間違いなく押さねばならぬ煩わしさには「Japan Postは未だ未だお役所だなー」と不愉快にさせられる。
クロネコヤマトは不在票に記載されている係員の携帯電話にかければすぐに「直ぐに参ります」と来てくれるのと好対照だ。あれは自分たちの為の合理化に過ぎない。ICT化の進歩はとんだ罪作りなことをしたものだ。お世話になっている国立国際医療研究センター病院(NCGM)も何年か前に再来の手続きから支払いまでを機械化されたが、その端末の近所には常に誰かが回ってきていて途方に暮れている高齢の患者さんを助けておられる。目下家内がお世話になっている病院でも自動支払機の前には女性が張り番に立っておられる。大病院ではとっくの昔にカルテから何から電子化されているのは誰でもが承知の事実だろう。
話は変わって「乙武洋匡とその不倫」だ。
私は乙武なる人物は偉いものだなとは思っていた。だが、座右の銘として「マスコミが過剰にチヤホヤすると言うか持て囃す人乃至は物は胡散臭い」を掲げているので、乙武氏には何れ何らかの意外な災難が降りかかるのではないかと密かに勝手に考えていた。ところが今回の言わばオウンゴールのような不倫報道である。持て囃された時、高評価を得たことほど危ないことはないということを、週刊誌に証明されてしまった。
その辺りは明日にもモンゴル勢を押しのけて横綱になれるかのように持て囃された琴奨菊も実力不足の自滅ではあっても、マスコミに要らざる手助けをされてしまったと思えば解りやすくないか。私は乙武氏が今後どのように努力して失地を回復するかよりも、今後ともマスコミの過剰な褒めそやしで新たな道化役者が出てこないことの方を重要視したい。
それほど持ち上げられることによる意識せざる慢心か驕りというものは危険なことなのだ。かく申す私だって、20年ほど前に何度か講演のご依頼を受けて「先生、お鞄をお持ちします」など言って頂いた時には危うく舞い上がるところまで行ったので、此処は自戒せねばと懸命に自分に言い聞かせていた経験があるから言うのだ。だからその心の隙を突いていくマスコミは嫌いなのだ。
最後にタクシーの初乗り¥410案。
これまたオリンピック狙いというかその下準備というのは如何にもそれらしいと思う。だが、昨年の入院が続いた最悪の時期には精々¥1,000以下でも行けそうなほど近いNCGMにも安全を期してタクシーを頻繁に利用したものだった。それが乗り方次第では¥730ででも行けそうだとなれば利用させて頂くかと思った。しかし、何と今後さらにこの運賃を申請するタクシー会社が増えて初めて国交省が検討に入り、実施は来年の4月からだと報じられた。何だ、それではこれからも極力摂生に努めて来年の春まで生き長らえねばその恩恵に浴することは出来ないだと知った。
矢張り何事につけても規制は可及的速やかに撤廃して頂きたいものだと痛感した今日この頃である。
曽野綾子さんは怒っていた。
6日の産経の「透明な歳月の光」のコラムで、新築の病院の電話でしか予約を受け付けないデイジタル化された制度を批判しておられた。私も何も病院だけではない「何々なら1を」や「これこれなら2を」と音声ガイダンスを極めて不愉快に思う後期高齢者の一人だ。こういう合理化はICT化が進んだ現代では当たり前だろうが、PCは言うに及ばずスマホとやらも扱ったことがない高齢者には拷問のようなものだと思う。
今やそういう不自由な高齢者が全人口の30%にも迫ろうという時代だとの認識が欠如していないか。大分以前に知った数字だが、高齢者の中でPCを持っているのは精々20%程度で、その中で使いこなしているのはそのまた数%だそうだ。イヤな時代になったものだ。我が旧制中学のクラス会で開催の通知をPC宛てに送れる先は10%くらいだと幹事が嘆いていた。
2007年だったかにANAと共同運行しているUnited航空に成田でチェックインした際に、所謂「タッチパネル」方式が導入されていて、アメリカにもないシステムだと驚かされたものだった。PCを扱う経験をしていたので何とか切り抜けたが、対応出来ないお客の為にその端末の前に係員を貼り付けていたのは果たしてこれが人員の合理化かと尋ねたい気分にさせられた記憶がある。
この「音声に従って」を日本郵政がいち早く導入し、書留類をこちらの不在を狙ったかのように配達しては「不在票」なるものを残していくのだ。その音声に従いたくても従えない家内は、わざわざ放置して健康の為の散歩をかねて新宿北郵便局まで片道30分を厭わずに取りに行っている始末だ。その固定電話のボタンを間違いなく押さねばならぬ煩わしさには「Japan Postは未だ未だお役所だなー」と不愉快にさせられる。
クロネコヤマトは不在票に記載されている係員の携帯電話にかければすぐに「直ぐに参ります」と来てくれるのと好対照だ。あれは自分たちの為の合理化に過ぎない。ICT化の進歩はとんだ罪作りなことをしたものだ。お世話になっている国立国際医療研究センター病院(NCGM)も何年か前に再来の手続きから支払いまでを機械化されたが、その端末の近所には常に誰かが回ってきていて途方に暮れている高齢の患者さんを助けておられる。目下家内がお世話になっている病院でも自動支払機の前には女性が張り番に立っておられる。大病院ではとっくの昔にカルテから何から電子化されているのは誰でもが承知の事実だろう。
話は変わって「乙武洋匡とその不倫」だ。
私は乙武なる人物は偉いものだなとは思っていた。だが、座右の銘として「マスコミが過剰にチヤホヤすると言うか持て囃す人乃至は物は胡散臭い」を掲げているので、乙武氏には何れ何らかの意外な災難が降りかかるのではないかと密かに勝手に考えていた。ところが今回の言わばオウンゴールのような不倫報道である。持て囃された時、高評価を得たことほど危ないことはないということを、週刊誌に証明されてしまった。
その辺りは明日にもモンゴル勢を押しのけて横綱になれるかのように持て囃された琴奨菊も実力不足の自滅ではあっても、マスコミに要らざる手助けをされてしまったと思えば解りやすくないか。私は乙武氏が今後どのように努力して失地を回復するかよりも、今後ともマスコミの過剰な褒めそやしで新たな道化役者が出てこないことの方を重要視したい。
それほど持ち上げられることによる意識せざる慢心か驕りというものは危険なことなのだ。かく申す私だって、20年ほど前に何度か講演のご依頼を受けて「先生、お鞄をお持ちします」など言って頂いた時には危うく舞い上がるところまで行ったので、此処は自戒せねばと懸命に自分に言い聞かせていた経験があるから言うのだ。だからその心の隙を突いていくマスコミは嫌いなのだ。
最後にタクシーの初乗り¥410案。
これまたオリンピック狙いというかその下準備というのは如何にもそれらしいと思う。だが、昨年の入院が続いた最悪の時期には精々¥1,000以下でも行けそうなほど近いNCGMにも安全を期してタクシーを頻繁に利用したものだった。それが乗り方次第では¥730ででも行けそうだとなれば利用させて頂くかと思った。しかし、何と今後さらにこの運賃を申請するタクシー会社が増えて初めて国交省が検討に入り、実施は来年の4月からだと報じられた。何だ、それではこれからも極力摂生に努めて来年の春まで生き長らえねばその恩恵に浴することは出来ないだと知った。
矢張り何事につけても規制は可及的速やかに撤廃して頂きたいものだと痛感した今日この頃である。