新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月13日 その2 本人確認

2016-04-13 17:47:19 | コラム
二重の確認が必要に:

本日、家内が手術後に装着していた誂えの(カタカナ語では「オーダーメード」になるようだが、断るまでもなく英語ではない)コルセットの代金の90%の償還請求が出来ると病院で教えられたので、主治医の証明書と業者の領収書に加えて本人を証明する健康保険証を持参して区役所の支所に出かけた。念のため私が付き添っていった。事前に電話で持参すべき書類一式を確認してあった。

ところがである、一旦受け付けられた後で、女性の係員が保険証以外にもう一つ本人である事を証明する資料、即ちマイナンバーカードか運転免許証か住基台帳カードは持っていないかと問いかけてきた。そして申し訳なさそうに「マイナンバー制度発効以降本人確認が厳しくなりまして」と教えてくれた。威張る訳だが、夫婦ともかの軽佻浮薄な名称のカードなど持っていないし、家内は他の二つも持っていなかった。これでは出直しかと思えば、質問形式の書類で代用可能とかで首尾良く一度で事が足りた。

カタカナ語を忌み嫌う当方は、こちらからお願いして作って頂いたわけでもない「社会保障・税番号制度」だったかの「マイナンバー」などと軽々しい渾名をつけた感覚が理解不能でもあるし、我が家のメインバンクの担当の女性に教えて頂いた限りでは「あのカードを作る必要はない」ので、放置しておいた次第。だが、今日意外なところでそのカードが必要と判明したし、区役所でも電話での照会の時点では気が付いていなかった模様だった。

今日、個人情報の保護であるとか、本人確認の重要性の度合いが高まってきたことは十分に理解出来るが、何となく過剰である気もしてならない。そうではあっても、私は、家内も含めて、あんな名称のカードの交付を申請する気はない。尤も所管の官庁が前非を悔いて漢字の名称に変えると言うならば、考え直してやっても良いが。

アメリカ人の社交辞令の巧みさの裏にあるもの

2016-04-13 16:45:38 | コラム
アメリカ人の社交性の高さが怖い:

畏メル友の一人、佐藤一氏が私が昨日に論じたアメリカ人の社交性について下記のようなご意見を寄せて下さいました。

>引用開始

本当に社交辞令の上手な国です。口先だけのオバマ大統領の最後のシメとして広島訪問はシナリオに織り込み済みでしょう。ケリー長官の発言で米国世論を見て判断するのではないでしょうか?かつての強い米国であれば、まずありえなかった広島慰霊です。それだけ、弱くなっている証拠とも言えます。日本以外に米国の家来がいなくなったからかもしれません。

曽野綾子さんの本で「友好とは共通の敵があり、今はお互いに殺しあわないこと」とありました。同盟や友好も同じかもしれません。それをわが国だけが勘違いしているのかも・・・?

>引用終わる

これに対して、私の考えは以下のようなものでした。

「ご意見に賛成です。私は20年以上もアメリカの大手製造業の会社の東京駐在員として勤務し、何らかの対外的な発言をするまでの作戦会議に座っていましたし、私自身の意見も述べていましたから、彼らの練り上げた発言の裏に何があるかを承知していました。それを知っていれば「良くあれほど巧言令色鮮仁的なお上手が言えるものだ」と感心していました。兎に角、褒めるのが上手いのです。交渉事でも何でも、何か褒めるか、肯定的なことから入ってきた場合にはそこには裏があると思う方が正確でしょう。

あのケリー長官の発言にして「この原爆資料館を見て感動しない人はいないはずだ」とは言いましたが、自分自身が感動したか突き動かされたとは言っていないと聞こえました。その辺りが彼らの上手さです。仰せのように、遺憾ながらオバマ政権下でアメリカの弱体化は歴然としております。それだからこそ、習近平に舐められる訳です。」