新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

平成28年熊本大地震

2016-04-15 18:05:49 | コラム
被災者に心からなるお見舞いを:

昨14日の夜9時過ぎだっただろうか、直下型地震の小型のようでリビングルームで座っていた椅子が軽く突き上げられたように感じた。だが、テレビの画面には地震を知らせる掲示は出てこなかったとは言え、明らかに天井から釣り下げられた電灯が揺れて地震を示していた。所在なく眺めていたテレ朝のドラマが、その後暫くして犯人が判明するところで熊本に震度7地震があったと報じられて後、ニュースに切り替わって。

私は熊本市の地震と聞いて真っ先に閃いたことが熊本城が無傷で終わるだろうかという懸念だった。その後の経過は今更私が此処で論じることでもあるまい。熊本県民はお気の毒だと思ったと同時に、あれほど東京を襲ったらどうなると学者やマスコミが騒ぎ立てる割には何で大きな災害は東京を避けて通るのだろうかと訝ったと同時に、我と我が身の幸運を何処かの何方かに感謝せねばなるまいと思っていた。キリスト教信者でない以上、此処では「神様」を持ち出したくないのだが。

昨年の鬼怒川の堤防決壊といい今回の大地震といい、自民党の安倍内閣で良かったとつくづく考えている。言うまでもないが、神戸の大地震は村山内閣だったし、福島の原発の事故の際には史上最悪と言っても誤りではないだろう菅直人が総理大臣だった。今朝には自衛隊が現場で炊き出しをしている場面がニュースで流れていた。安倍内閣を何かと言えば批判する連中とマスコミは、こういう比較をキチンとするべきだ。

こういう時に不謹慎だと批判されそうなことを一言言わせて頂ければ、九州の方が何かを語られるとほとんどの場合に文章の終わりに「~ですね」となってくるのだ。何人かの九州出身の方に尋ねてみたが、先ずそういうことを意識しておられなかった。そこで今回の地震の場合に、九州のテレビ局のキャスターなり誰なりが現場で報道すると兎に角「~ですね」がしきりに出てくるのが特徴だ。「それがどうした」と言われそうだが、そう思って聞いていればその報道をしている人が現地の出身者かそうでないかが解るのである。現に、ほとんどのキー局がキャスターを派遣していた。

それにしても、毎回大きな災害が発生する時に避難場所が体育館であるとか、公共施設の大きなホールであるとか、およそ多くの避難された方を収容するには誠に不適切な場所であるのは、何とかならないものだろうかと思ってテレビのニュースを見ている。何時何処を地震が襲うと予想したり予告する暇があるのであれば、地方自治体でも何処で不慮の事態に備えて、予めもう少しましな場所なり設備を用意しておけないものなのだろうかと、行政なのか災害対策当局なのか知らないが、その能力に疑問を感じてしまう。

テレビの連中もおかしなことを言う。前夜に地震が発生して避難してこられた方々が「暖かいものを食べたいだろうか」とか「風呂に入りたがっておられるだろう」などと言うのだ。地震発生から未だ24時間も経っていないのに、それはないだろうと突っ込みたくなった。大きな地震から何とか逃れてきた方々の関心事は家がどれほどの損害を被ったか、家財は安全か等を思いやられる方が先ではないのかなと思いながら聞いていた。

5年前になってしまった3.11の際には幸運にも25階建ての13階の我が家は何ら被害がなかったが、階数によっては足の踏み場もないほど破壊された部屋もあったと聞く。大災害の時には運不運は紙一重のように思わせてくれる。安倍総理の指揮の下に熊本市とその近郊の速やかな復興・回復を祈って終わる。