ケリー国務長官の社交辞令か:
広島をアメリカの国務長官として初めて訪問したケリー氏の言動には、アメリカの閣僚としての高い戦略性と、もしかして考え過ぎかも知れない社交辞令を巧みに操るアメリカ人の国民性を感じていた。長年彼らの世界で過ごしていると、彼らの社交性の高さ(”sociable”でも良いだろうが名詞形では”sociability”)を痛感していたし、我々には容易に真似が出来ない、極言すれば「良くもあれほど心にもないお世辞が言えるものだ」と感心させられていたものだった。
私的なことで恐縮だが、英語が全く解らない家内でさえ、私の通訳で聞くアメリカ人の甘口の社交辞令の上手さに気味悪さを感じて「よくぞ、あれほどお上手が言えるもの」と感心し、「巧みな社交辞令をそのまま受け入れる訳にはいかない。何処までが本心か解らないのが怖い」と言って、その日米間の文化の違いを見出していた。即ち、単なる世辞とは思わせない巧妙な表現を巧みに操ってみせる能力が高いという意味。
私は何もケリー長官が心にもなかった、無計画にあの場でオバマ大統領にも広島訪問を勧めると発言したのではなく、慎重な打ち合わせを重ねてあの場で最も効果的なスピーチは何が適切かは予め決められていたと考えている。その趣旨を彼ら独特の社交性をまぶして述べた辺りに、彼の国務長官としての端倪すべからざる能力を見せつけられた気がした。私は決してあのオバマ大統領云々は思いつきではないし、十分の根拠がある練りに練ったものだと推理している。
果たせるかな、我が国のマスコミは「オバマ大統領の広島訪問の可能性と、その訪問が実現した場合の効用」を大きく採り上げていた。私はアメリカの大統領という激職では5月に迫ったサミットとその前後の予定は既にびっしりと立てられていると察するし、もしも本当に訪問が計画されるならば、ケリー長官の見聞録に基づく以前に組み込まれていたとしか思えないのだ。そこを、先ずケリー長官に先乗りさせて、その結果で進言するという形を採った辺りに作戦と社交性の影を見るのだ。
W社の我が事業本部の副社長が日本の客先を訪問する為に出張してきた場合には、突発的な訪問先を日本に来てから組み込むとか、大きな変更は先ず不可能なように、それこそ分刻みとまでは言わなくとも「時間刻み」の予定は立ててあったものだ。ましてや、大統領やケリー氏のような重要閣僚ともなれば大使館も兎も角、我が国の厳重な警備体制に突発的なスケジュールを組み入れるのならば、事前に通告していないことなどあり得ないと思う。
私はもしもアメリカ大統領の広島訪問が実現すれば画期的以上のものだと思うが、それ以上にアメリカのと言うか「民主党政権」の日本重視策が見えるような気がしてならない。私はこれまでに何度も「アメリカの民主党政権は我が国に対して冷淡である」と指摘し続けてきたが、この広島に関する姿勢を見れば、如何にも我が国にきつく当たるが如き政策を打ち上げているトランプ氏と比較すれば、かなり対照的であると思わずにはいられなかった。
まさか、アメリカの民主党は共和党、就中トランプ氏の指名争い首位独走に危機感を覚えて、対応策乃至は対抗手段を講じ始めたのではと、密かに疑っている次第だ。中国がケリー長官の広島行きと大統領の広島訪問の可能性に対して早速批判的なことを言い出したのも、そこに見える日米の同盟関係の強化に危機感と不快感を感じている現れだとも考えている。
広島をアメリカの国務長官として初めて訪問したケリー氏の言動には、アメリカの閣僚としての高い戦略性と、もしかして考え過ぎかも知れない社交辞令を巧みに操るアメリカ人の国民性を感じていた。長年彼らの世界で過ごしていると、彼らの社交性の高さ(”sociable”でも良いだろうが名詞形では”sociability”)を痛感していたし、我々には容易に真似が出来ない、極言すれば「良くもあれほど心にもないお世辞が言えるものだ」と感心させられていたものだった。
私的なことで恐縮だが、英語が全く解らない家内でさえ、私の通訳で聞くアメリカ人の甘口の社交辞令の上手さに気味悪さを感じて「よくぞ、あれほどお上手が言えるもの」と感心し、「巧みな社交辞令をそのまま受け入れる訳にはいかない。何処までが本心か解らないのが怖い」と言って、その日米間の文化の違いを見出していた。即ち、単なる世辞とは思わせない巧妙な表現を巧みに操ってみせる能力が高いという意味。
私は何もケリー長官が心にもなかった、無計画にあの場でオバマ大統領にも広島訪問を勧めると発言したのではなく、慎重な打ち合わせを重ねてあの場で最も効果的なスピーチは何が適切かは予め決められていたと考えている。その趣旨を彼ら独特の社交性をまぶして述べた辺りに、彼の国務長官としての端倪すべからざる能力を見せつけられた気がした。私は決してあのオバマ大統領云々は思いつきではないし、十分の根拠がある練りに練ったものだと推理している。
果たせるかな、我が国のマスコミは「オバマ大統領の広島訪問の可能性と、その訪問が実現した場合の効用」を大きく採り上げていた。私はアメリカの大統領という激職では5月に迫ったサミットとその前後の予定は既にびっしりと立てられていると察するし、もしも本当に訪問が計画されるならば、ケリー長官の見聞録に基づく以前に組み込まれていたとしか思えないのだ。そこを、先ずケリー長官に先乗りさせて、その結果で進言するという形を採った辺りに作戦と社交性の影を見るのだ。
W社の我が事業本部の副社長が日本の客先を訪問する為に出張してきた場合には、突発的な訪問先を日本に来てから組み込むとか、大きな変更は先ず不可能なように、それこそ分刻みとまでは言わなくとも「時間刻み」の予定は立ててあったものだ。ましてや、大統領やケリー氏のような重要閣僚ともなれば大使館も兎も角、我が国の厳重な警備体制に突発的なスケジュールを組み入れるのならば、事前に通告していないことなどあり得ないと思う。
私はもしもアメリカ大統領の広島訪問が実現すれば画期的以上のものだと思うが、それ以上にアメリカのと言うか「民主党政権」の日本重視策が見えるような気がしてならない。私はこれまでに何度も「アメリカの民主党政権は我が国に対して冷淡である」と指摘し続けてきたが、この広島に関する姿勢を見れば、如何にも我が国にきつく当たるが如き政策を打ち上げているトランプ氏と比較すれば、かなり対照的であると思わずにはいられなかった。
まさか、アメリカの民主党は共和党、就中トランプ氏の指名争い首位独走に危機感を覚えて、対応策乃至は対抗手段を講じ始めたのではと、密かに疑っている次第だ。中国がケリー長官の広島行きと大統領の広島訪問の可能性に対して早速批判的なことを言い出したのも、そこに見える日米の同盟関係の強化に危機感と不快感を感じている現れだとも考えている。