カタカナ語排斥論者は嘆く:
近頃、政治家に加えてマスコミというか評論家や著名人がしきりに使われるカタカナ語に「ウインウイン」がある。あらためて言うまでもないが、その意味はジーニアス英和にもあるように「(交渉などで)双方が満足できる」ことだ。だが、ここには困ったことに使い方に誤りがあるのだ。それは“win win”はOxfordには“only before noun”であって形容詞となっていることだ。カタカナ語ではほとんど名詞として使われている。
私はカタカナ語排斥論者だが「どうお使いになろうとご随意に。但し、それは英語ではなく我が国で何処かの通信社が創り出したか、先人が苦心して編み出した純粋の日本語であるとお心得を」と言って来た。だから、件名は敢えて「無駄な抵抗」としたのだ。
私は我が国でカタカナ語を濫用するか、創り出す方々の語彙の広さには尊敬すべき点があると思っているともずっと言ってきた。私はお恥ずかしながら22年以上もアメリカの会社の一員として働きながら、こういう表現があるとは承知していたが“win win”などという難しい表現を使う機会などなかった。使えた記憶がある表現は“It appears we are in no-win situation.”だけだった。これは当に反対で「決して勝つ見込みのない」か「うまくいきそうにない」とジーニアス英和に出ている。しかも、チャンと“situation”という名詞の前で使っていた。
もうこれくらいで良いだろう。格好が良いと思ってカタカナ語を幾ら使っても私の知ったことではないが、“win win”は形容詞であって名詞の前に置くべき言葉であることくらいは、政治家もマスコミの方々も知っていてくれないのでは如何なものかと思う。この程度が我が国の科学としての英語教育の成果では情けないではないか。そんな連中が小学校から英語を学ばせようというのも困ったものだと思うが。
近頃、政治家に加えてマスコミというか評論家や著名人がしきりに使われるカタカナ語に「ウインウイン」がある。あらためて言うまでもないが、その意味はジーニアス英和にもあるように「(交渉などで)双方が満足できる」ことだ。だが、ここには困ったことに使い方に誤りがあるのだ。それは“win win”はOxfordには“only before noun”であって形容詞となっていることだ。カタカナ語ではほとんど名詞として使われている。
私はカタカナ語排斥論者だが「どうお使いになろうとご随意に。但し、それは英語ではなく我が国で何処かの通信社が創り出したか、先人が苦心して編み出した純粋の日本語であるとお心得を」と言って来た。だから、件名は敢えて「無駄な抵抗」としたのだ。
私は我が国でカタカナ語を濫用するか、創り出す方々の語彙の広さには尊敬すべき点があると思っているともずっと言ってきた。私はお恥ずかしながら22年以上もアメリカの会社の一員として働きながら、こういう表現があるとは承知していたが“win win”などという難しい表現を使う機会などなかった。使えた記憶がある表現は“It appears we are in no-win situation.”だけだった。これは当に反対で「決して勝つ見込みのない」か「うまくいきそうにない」とジーニアス英和に出ている。しかも、チャンと“situation”という名詞の前で使っていた。
もうこれくらいで良いだろう。格好が良いと思ってカタカナ語を幾ら使っても私の知ったことではないが、“win win”は形容詞であって名詞の前に置くべき言葉であることくらいは、政治家もマスコミの方々も知っていてくれないのでは如何なものかと思う。この程度が我が国の科学としての英語教育の成果では情けないではないか。そんな連中が小学校から英語を学ばせようというのも困ったものだと思うが。