新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月7日 その2 Super Bowl観戦記

2017-02-07 10:17:22 | コラム
1年のうちでも最大の楽しみの行事:

とは言ったが、これは「アメリカ人にとっては」と注釈をつける必要がある。言うなれば、アメリカの文化だ。だが、私は昨日はこのためにあったようなものだった。現実のアメリカを離れて久しいものがあるし、NFLでは何処が有力なスーパーボウル出場候補なのかといったような関心こそ薄れたが、この試合だけは見逃すまいという心構えは変わっていない。NHKのBSの中継開始前に準備万端整えて正座はしないで待っていた。

試合開始前に全く聞いたこともない男性歌手が"Oh say can you see ~”とアメリカ国歌を歌い出すと、最早パスポートを失効させてしまい健康上も海外渡航を諦めた身には「もう何処でも良いから、あのスタジアムでアメリカ国歌を聴く機会はなくなったのか」と感傷的にもなったし、あれほど頻繁に通っていたアメリカが無性に懐かしくなって危うく落涙しそうになった。俺も歳をとったものがと痛感した。

さて、試合である。ニューイングランド・ペイトリオッツ(New England Patriots)はかの有名なQB(クオーターバック)のTom Bradyが何度もスーパーボウルを制していたので良く知っているが、相手のアトランタ・ファルコンズについてはほとんど知識がなく、新聞報道でQBがRyanと知らされていた程度だった。だが、何れにせよ、経験豊かなペイトリオッツが勝つだろうと勝手に決めていた。

ここで得意のカタカナ語に触れておきたい。我が国では“Patriot missile”なる兵器が出てきた際にはマスコミは何処の通信社の指導を受けたのか一斉に「パトリオット・ミサイル」と表記した。お笑い種だ。しかし、ことがフットボールとなると掌を返して「ペイトリオッツ」と表記する。節操がないのかな。

試合の展開は意外なものだった。第1Q(15分間)が無得点で終わったのも珍しかったが、最初の攻撃でペイトリオッツがアッサリとパントに終わったし、ファルコンズも不発だった。だが、ペイトリオッツはBrady(ブラデイーではなく、ブレイデイーである)の調子も一向に上がってこないままに第3Qにはファルコンズに28対3と大きく差をつけられてしまった。3点ということはTD(タッチダウン→6点)が取れてなかったという意味だ、念のため。

これでは、ひょっとしてファルコンズの逃げ切りもあるのかと疑うほどBradyのパスが効果を発揮していなかった。だが、第4Qに入ってからは本来の冴えを見せ始めファルコンズを抑える傍らTDも獲って、28対12と16点差にまで迫った。フットボールをご存じの方には解ることだが、この差はTDを2本獲って尚且つ「トライ・フォ・ポイント」というラグビーならばコンバートに相当する場面でキックによる1点ではなくプレーをして2点を取って(トウーポイント・コンヴァージョンという)合計8点を取ることを2回やらないと同点にすら出来ないという難しいところに追い込まれたのだった。

昨日は解説者が幸いにも富士通の輿氏と現在は桜美林大学の監督とかの河口氏と人材が揃っていたので、その場面では「トウポイント・コンヴァージョンを2回やらないと追いつかない」と言ってくれてあった。私もアメリカと日本でかなり数多くのフットボールの試合を見てきたが、一試合でトウポイント・コンヴァージョンを2回連続で成功させた例を知らないので、果たしてどうなることかと興味津々で眺めていた。

それが流石に百戦錬磨のペイトリオッツの監督であり、優勝経験豊かなBradyで、第4Qに後1分足らずを残した場面で追いついて見せてくれた。そして、延長戦で見事にTDを獲って勝ってしまった。凄い精神力だし、テイーム全体の技術にも感心させられた。滅多に見られないような面白い試合だった。ファルコンズが4本ものTDで先行しながら追いつかれ追い抜かれたのは、矢張り「勝った方勝ち強いので、負けに不思議なし」の原則通りかと思った。


トランプ大統領の7ヶ国からの入国禁止の大統領令に思う

2017-02-07 09:14:36 | コラム
あの大統領令は誤りなのだろうか:

目下アメリカ全土を混乱させ、我が国で絶好のトランプ批判の材料と化しているあの「7ヶ国からの入国を禁じた大統領令」がそれほど乱暴且つ誤ったものなのかが良く解らなくなってきた。私はトランプ大統領はその権限で「大統領令を発すれば全米が畏まって直ちに実行するもの」と思い込んでいるのかと疑っている。私はアメリカの政治を知らないが、大統領はその実施の前には議会の承認が必要だったとはお考えではなかったのかとも考えている。

あの騒ぎ以来、ワシントン州の連邦裁判所だったかが、大統領令の停止を命じて問題の諸国からアメリカ入国が可能となり、多くの国際空港で足止めされていた人たちのが欣喜雀躍して入国し、それを出迎える親族や友人たちと抱き合って感動している場面がテレビのニュースで大々的に流され始めた。私はそれを見て「結構なことだ」と思う前に、「何故あれほど大勢のイスラム教圏の国々の者たち、中には全財産を処分してまでアメリカ移住を目指す者までいるのか」が良く解らなかった。自分の国を嫌うとは何事かと思ってしまうのだ。

アメリカがあの多くの異教徒を無制限に受け入れる価値(または経済性とでもいえば良いのかも知れないが「メリット」などという誤ったカタカナ語を使う気はない、念のため)が本当にあるのだろうかと極めて疑問に感じるし、感じてきていた。これまではアメリカは懐を広くして世界中から合法的な移民を受け入れてきたし、非合法的に滞在か居続けてしまう無法者に対しても寛容だった。その寛容さも限度に達していたのも良く解ると思っていた。

全くの余談だが、私の親しいアメリカの経営者の一人は「アメリカ建国の頃にはイスラム教徒など一人もいなかった。我々が彼らを必要とするのか」とまで、飽くまでも個人的な発言として聞いたが、言った人もいた。こういう考え方をしているアメリカ人は他にもいるのではないのか?

イスラム教圏の国々から入ってきた連中が大小のテロ行為を実行してきたのもまた事実だった。ISも目に見える脅威というか悪材料となったのも紛う事なき事実だった。トランプ大統領が指定し禁止した7ヶ国に正当性があるのかとの疑問を呈する向きもあるが、何時かは講じられてもそう不思議ではないと思わせるほど、アメリカを「夢の国乃至は安全な良い国」と見込んでは入り込んでくる外国人が多い。

しかも、テロリスト予備軍まで含まれていては、トランプ大統領が禁止に踏み切ったことにそれほど違和感はなかった。問題はその方法論ではなかったか。その方法論の裏に限りない「無知」の影が見え隠れするのが、私は怖いことだと思っているし、トランプ氏は無知ではないのか、または勉強不足ではないのかとずっと疑ってきた。周囲には良識ある人物が揃っていると報道はされている。であれば、良識派は何をやっているのかなと、ここでも疑問が生じるのだ。