新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

残業を考える

2017-02-16 08:15:23 | コラム
長時間残業は日本の企業社会の文化では:

私は今世間を賑わしている、一概に残業を何か悪いことのように決めつける風潮は如何なものかと思ってしまう時があるので、一寸私なりに考えてみた。

そこで、いきなりアメリカの会社のことから入っていく。それもサラリー制で年俸を事業部長との話し合いで決めている会社側の社員の場合の話しで、法律で保護されている時間給の労働組合員の残業料のことは除外しておく。年俸制と言ったように、会社側に雇われている者たちにはその本給一本しかなく、何の手当もないので、残業料などある訳がない。

各自には割り当てられた「職務内容記述書」(=Job description)があって、その同じ組織内にいる誰とも仕事の内容が重複していないというか、2人乃至は3人などで一つの仕事担当することは通常はあり得ないので、各人はその与えたれた課題を自分の持ち時間内に消化すれば良いのだ。だが、出来なかった場合には早朝6時に出勤するか、夜になってもその日にやり遂げておくべきことは21時だろうと22時だろうと残ってやっているのは当然だ。何しろ、自分以外に頼れる者はいないのだから。念のために申し添えておけば、秘書さんはボスの仕事を手伝うという契約はしていないのが普通だ。

ここまでで極めて大雑把にアメリカの会社で年俸制で仕事をしている社員たちの仕事ぶりを紹介したと思っている。それは飽くまでも個人が主体であり、集団でテイームワークを重んじて仕事をする文化の我が国との根本的な違いであると思う。朝早く来るのも、夜遅くまで居残っているのも、何らかの理由でその社員が朝8時(W社本社の場合)から17時まででは終わらないからである。それは能力の問題かも知れないし、客先の事情もあるかも知れないし、もしかしてJob descriptionで過剰に過剰な割り当てがあったかも知れないのだ。

日本の企業社会を振り返ってみよう。私も新卒後に17年半も日本の会社で使って頂いたし、アメリカの会社の支店から日本の会社を見ることも出来たので、日米間の比較がある程度以上可能だと思っている。そこで感じたことは既に採り上げた「皆でやろう」というか「課乃至は部の単位で動くのが一般的であり、アメリカのように個人が主体で仕事を進めていないということ」にあると思った。

次なる相違点は我が国の組織では「先輩」なる存在が新入の「後輩」をある時は優しく、ある時は厳しく、偶には言うなれば野球の練習でいう「千本ノック」のような苛酷と形容したいような可愛がり方もあると聞いている。しかし、我が国固有の文化ではかかる試練を乗り越えてこそ、一人前に成長するのだという「~道」と言われる鍛え方がある。その育て方なり鍛え方が「若いうちの苦労は買って出ろ」とばかりに過剰な負担をさせることもあるやに見えることがある。

噂に聞いた話だが、ある商社では新卒の社員がその未熟さと不慣れの為に課題をこなしきれずに会議室に2日連泊して業務を辛うじてこなしていたが、それを同期入社でより多忙な部門に割り当てられた者に嘆いたところ「何をそれしき。俺は2週間会社に泊まっている」と一蹴されたそうだ。こうして新卒者が伸びていくというか、彼らを育てていた時代があった。

また、ある事情通の解説によれば、例えば3人が一つの単位で仕事をしていれば、その中で長のような存在の者が訪問中の客先から帰社するまでは残る2には帰れず、客先で与えられた課題を2人に伝え終えるまでは全員が帰れないことになるし、最も若い(後輩?)はその内容を取り纏める報告書を明朝まで上司に提出せねばならず、結果的に全員が居残りとなる場合があるのだそうだ。

私は「課なり部なりの細分化された組織も会社全体も常に成長していかねばならないし、売上高も利益の伸ばさねばならない以上、屡々か時にはか、あるいは至上命令で新規の商いや得意先を開拓せねばならず、その手段の一つには同業他社の地盤をも奪っていかなねばならないのは世の常だ。

ところが、そういう懸命の試みがその組織か会社としての身の丈に余る物であれば、一日何時間働いても間に合わない事態に陥り、全員が時間外労働で何とか対応する以外ないと言った無理を生じているのではないのかと思う時もある。この辺りまで来ると、取締役であるとか社長の経営方針の問題であり、自社の使命とその能力の限界を考えた上で社員を適切に働かせる経営力の有無が重要になるのではないのかと思う。身の丈に余る受注をして社員を酷使しているのではないかと常に配慮している必要はないのか。

また、こういう実話もあった。そのメーカーの会社は翌月の生産分の注文を毎月20日で締めきっていた。ところが、最大の得意先は最終需要家(食品会社)は重要な納入先である数軒の大手スーパーマーケットチェーンからの受注量が確定するまでは中間の問屋さんへの発注をしてこないのが普通だった。その発注量が確定してから仕入れ先の加工業者に発注するのだ。加工業者は加工業者で原料と仕掛品の在庫等を調べてから翌月の資材受け入れの時期を検討した後で、仲介する流通業者に発注する仕組みになっているのだ。

流通業者は多くの場合、19日と20日は他の仕事を終えていても流通業者から確定的な注文が来るまで、遊んでいるように見える状態でもただひたすら待っているしかなく、その時間は残業になってしまうのだそうだ。そのメーカーの事務所では「あの部門の連中は何時も遊んでいながら残業をしているではないか」と批判されたそうだ。だが、営業である以上如何ともしがたいのが実情だった。

ここまで縷々述べたように会社に残っていると言っても、それぞれに独特の事情があるものであるし、上述のように日米企業社会の文化の違いもある。かく申す私は朝早く出勤し、時には20~21時までも残っていたし、土・日も出勤していたのは、私自身の能力不足もあったかと思えば、何とか処理し終えて“job security”に憂いなきように使用と心がけていたのだった。即ち、長時間働くのは自己防衛だったのだ。