誰が「パワー・ハラスメント」などという言葉を創造したのか:
「パワー・ハラスメント」が余り馬鹿げているから、英語の講釈をすることにした。基になった英語は sexual harassment だと思うが、これは「性的な嫌がらせ」という意味であるし、ここからが問題にしたいところで、sexual という言葉は形容詞であって、我が国の英語教育式にいえば harassment という名詞に掛かっているのだ。形容詞だから当然だ。
そこを何処かにいるカタカナ語創造担当者は「権力者による嫌がらせ」というカタカナ語を作りたくて、形容詞ではない power という名詞を持ってきてしまった」のである。私がどう考えても power という言葉には権力者という使い方はないのだ。まー、屁理屈をいえば「名詞の形容詞用法」などという逃げ道もあるかも知れないが、これらの単語を二つ並べて「権力者による嫌がらせ」とはならない。こじつけだ。英語を全く理解していないからこういう珍妙な言葉が創れるのだ。
どうしてもこう言う意味の英語の phrase を創りたければ、harassment by superior とか、by の後に boss とか management とか managerial person とでも言うしかないと思うのだ。でも、これではカタカナ語にしても直ぐに理解できる人は100人の中に3人もいれば良い方だろう。そもそも、「パワー・ハラスメント」自体がこじつけなのだからどうしようもないのだ。素直に「上司(指導者)による嫌がらせ」という普通で誰にも解る日本語で表現しなかったこと自体がおかしいのである。
私が嘆かわしいと思うことは「かかる馬鹿な言葉を創ってそれをマスコミが恥ずかしくもなく使い、それを視聴者が理解してしまうこと自体が狂っている」のである。結局は英語という言語と日本語との文化と感覚の違いを全く弁えていない連中のやることはこんな程度だということだ。しかも「パワハラ」などという略語まで創り出して使っている感覚では、何時まで経ってもまともな英語がこの国に広まる訳はないと嘆かせてくれるのだ。
私はあらためてマスコミが珍妙な言葉を使って広めてしまう罪深さを糾弾したい。可及的速やかに「権力者乃至は上司による嫌がらせ」というまともな漢字を使った日本語を使えと厳命したい。
「パワー・ハラスメント」が余り馬鹿げているから、英語の講釈をすることにした。基になった英語は sexual harassment だと思うが、これは「性的な嫌がらせ」という意味であるし、ここからが問題にしたいところで、sexual という言葉は形容詞であって、我が国の英語教育式にいえば harassment という名詞に掛かっているのだ。形容詞だから当然だ。
そこを何処かにいるカタカナ語創造担当者は「権力者による嫌がらせ」というカタカナ語を作りたくて、形容詞ではない power という名詞を持ってきてしまった」のである。私がどう考えても power という言葉には権力者という使い方はないのだ。まー、屁理屈をいえば「名詞の形容詞用法」などという逃げ道もあるかも知れないが、これらの単語を二つ並べて「権力者による嫌がらせ」とはならない。こじつけだ。英語を全く理解していないからこういう珍妙な言葉が創れるのだ。
どうしてもこう言う意味の英語の phrase を創りたければ、harassment by superior とか、by の後に boss とか management とか managerial person とでも言うしかないと思うのだ。でも、これではカタカナ語にしても直ぐに理解できる人は100人の中に3人もいれば良い方だろう。そもそも、「パワー・ハラスメント」自体がこじつけなのだからどうしようもないのだ。素直に「上司(指導者)による嫌がらせ」という普通で誰にも解る日本語で表現しなかったこと自体がおかしいのである。
私が嘆かわしいと思うことは「かかる馬鹿な言葉を創ってそれをマスコミが恥ずかしくもなく使い、それを視聴者が理解してしまうこと自体が狂っている」のである。結局は英語という言語と日本語との文化と感覚の違いを全く弁えていない連中のやることはこんな程度だということだ。しかも「パワハラ」などという略語まで創り出して使っている感覚では、何時まで経ってもまともな英語がこの国に広まる訳はないと嘆かせてくれるのだ。
私はあらためてマスコミが珍妙な言葉を使って広めてしまう罪深さを糾弾したい。可及的速やかに「権力者乃至は上司による嫌がらせ」というまともな漢字を使った日本語を使えと厳命したい。