新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月7日 その2 9月7日はよくぞ耐えた

2018-09-07 17:31:18 | コラム
1日に4箇所も回ったとは:

7日(金)は朝からどんよりと曇った陰鬱な天候。これではまた低気圧に苛まれるかと気分が沈んだまま5時に起床。何とか体は動いたので、自らを鼓舞して先ずは朝食。だが、バナナを1本食べたところで戦意喪失。デイキャフのコーヒーも何とか半分飲んでから休息。本日の最初の予約は9時30分からの東京山手メデイカルセンターの大腸肛門科。早く着けば早く診て頂けるかと9時5分過ぎにチェックイン。受付番号は2。

9時半前に呼ばれて問題なしとの診断で3ヶ月先の予約をして会計に。会計を終えて今度は徒歩3分ほどの調剤薬局へ。ここまでで10時10分前だったので、19分のバスでジムに向かうべく一旦帰宅。薬と書類を放り出してからバス停に向かったが、十分に間に合った。10時40分にはチェックインが出来て一路4階のマッサージチェアに。15分間体をほぐしてから20分間のストレッチ。100 mのトラックを全速で(と言っても本日の体調では75秒掛かった)3周してバスルームに。

熱いシャワーを凝っている首筋や腰に十分に浴びせてからジェットバスに入浴。血行が良くなったと感じてからプラスティックス製の椅子に座って汗を流しながら休養。これが中々気分爽快。着替えを終えて外に出てみれば12時を回っていて雨の気配を消えていたので、イオンのスーパー(元はと言えばピーコック)内のリトルマーメードで昼食用に出来たてのパンを買って37分のバスで帰宅。

午後は大久保の新宿Hクリニックに3時の予約でプラセンタエキスの注射に行くので、「ここまでよく頑張った」と自分を少しだけ褒めてからソファーに横たわった。しかし、ふと気が付けば2時25分を過ぎており、新大久保駅前発42分のバスに乗らないと間に合わない状況。慌てて着替えをして痛む足を引きずって駅までの約700 mを必死で歩いた。バスには間に合った。疲れた。

帰りのバスは3時18分と42分だが、会計を終えて時計を見れば30分過ぎで18分には間に合わず、42分には間があるので「ままよ」と大勢の婦女子で歩行もままならぬ大久保通りを歩いて帰る決意をした。だが、歩いたお陰で解ったことは、あの若い女性に大人気で行列が出来ている韓国風の食べ物は「アリランドッグ」という名称で、言うなればアメリカンドッグにも似た串刺しにしてあり、何か色々とトッピングとでも言うものがゴテゴテ付いたファストフードだった。

兎に角、何処の国の人かも知らないお兄さんが「行列の最後尾」というプラカードを持って立っているほどの人気。あんなのを食べる為に彼女らは何処から来ているのだろう。「彼ら反日で抗日の異国の民を喜ばせる必要なんて何処にあるのか」と言ってやりたい気がしてならなかった。人混みの大久保通りを歩くのは兎に角蒸し暑かった。そこで、暑さと喉の渇きに耐えかねて我が家の前のイオン系の小型食品専門スーパーでサイダーを買って帰宅。

考えて見れば、あれほど多忙だったW社在職中でも1日に4社も訪問して回ることはなかった。それをこの低気圧と自律神経失調症に苦しめられている体で、この年齢で回ってきたのだから、我ながら良く保ったと思う。だが、脚の怠さも相当なもので、朝から歩き続けている間に私を追い抜いていった人は男女を問わず無数にいたが、ついぞ追い抜けた人はいなかった。でも十分な距離を歩かざるを得なかったので運動になったと思う。今夜はさぞかし熟睡できるだろう。


塚原夫妻の問題点を衝く

2018-09-07 08:19:56 | コラム
>70歳台が指導する時代ではない:

敢えて実名は伏せるが、今回都内の某大学のフットボールの監督に就任されたX氏はアメリカの強豪大学にもコーチ留学され、ライスボウル二連覇に導いた経験豊富な人物である。その彼は40歳台半ばに達した時に「もう私に出来ることは終わった。凄いスピードで進歩し変化していくアメリカのフットボールには付いていけない」と言われて大学のコーチを辞して、附属高校の指導者に転じられ、そこで成果を挙げられた。

他にも私が知るXリーグのオフェンスのコーチ経験者は「私は現場を離れて5年も経ってしまった。最早現在のフットボールのオフェンスの新たなシステムには到底付いていけない」と述懐している。もっと手っ取り早いれを挙げれば、1955年まで大学でサッカーをやっていた私はその後は仕事の為にサッカーから離れざるを得なかったので、現在の日本代表やJリーグのサッカーなどを見ていても理解不能な点が多過ぎる。時代の変化を痛感させられる。

それだけでない。現在のあらゆる競技の選手たちの体格と体力は1933年生まれの私には想像も付かないほど進歩し向上している。その体で近代的なトレーニングの方法で鍛え抜かれてきた者たちを70歳台の老人が偉そうに指導するのは烏滸がましいし、第一に無理があると思う。現在のNPBの監督で70歳台の者がいるか。サッカーのA代表の監督になった森保は何歳か。マスコミは一向にこの年齢層の違いを衝かないし、塚原夫妻にも自覚がないようだ。彼らは潔く引くべき年齢だ。

アメリカのビジネスの世界では1970年代にして「Forty out!」(=40歳にして芽が出ていない者は去れ)という言い方まであった。きついことを言うなと思った。というのも、私がW社に転じた時は既に42歳だったのだから。当時、CEOのジョージに次ぐ#2と言われていた上席副社長のB氏は36歳でその地位にまで昇っていたと聞いた。