新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月11日 その3 カタカナ語排斥論者は怒る

2018-09-11 15:31:53 | コラム
何故「パワハラ」などという奇怪な言葉を使うのか:

お陰様でテレビでは連日連夜塚原夫妻のパワハラ騒動で持ちきりだ。私は独り密かに悲憤慷慨している。無駄な言動だとは百も承知でいうのだが、こんな英語の熟語はないし、文法的には破綻している。でも有識者も、立派であるべき評論家も弁護士さんたちも躊躇わずに「パワー・ハラスメント」か「パワハラ」と言う。何故「権力者による不当な圧力か嫌がらせ」という日本語を使わないのかと、私は怒っているのだ。

それだけではない。新聞の投書欄を見ても一人の英語教師からの「このような出鱈目なカタカナ語を使うのは止めよう」という意見が出てこない。英語を教えておられる方々はおかしいとは思わないのかと、おかしいと思っている。誰か一人くらい出鱈目振りを指摘してくれないかと願っている。英語の先生方とすれば「メンタルは形容詞」であり、「パワー」を「力がある」か「力強い」という意味で使うのもおかしいと言って欲しいのだ。Oxfordでは「身体的な力がある」という解釈は4番目にやっと出て来るのだが。

私は最早カタカナ語の奔流を止めることは不可能だと認識しているし、「使いたい方はご自由に使ってください」と言っている。だが、情けないのは有名な大学で学んでこられた方々が何ら躊躇することなく「メジャー」だの「フリップ」だの「セキュリティー」などと言ってしまうことだ。おかしいとか恥ずかしいとは思わない感覚に呆れている。だから、「テレビ局にこう言いなさい」と指示されているのだと疑っている。そうだったとしたら、何故「間違ったカタカナ語は使いたくない」と抵抗しないかと奇異な感にとらわれている。

9月11日 その2 価値観の変化

2018-09-11 15:03:32 | コラム
価値観の変化か倒錯か?

台風21号に襲われて関西空港は停電もしたし、数千人(8,000人との説も出たが)のお客様が暗闇の空港に取り残された。一方では遙か北の北海道でも大規模な停電が発生していた。本稿の主旨ではないが、私は北海道の停電の件では菅直人の大失政を目一杯非難した。原発を止めさせたのは誰かと。

私がここに指摘したかったことは、関空でもそうだったし確か千歳空港でもと思ったが、電気が通るやいなや人々は電源に殺到してスマートフォンの充電に狂奔したのである。私は「何たることか。それよりも優先することがあるのではないか」などと野暮は言わない。驚くよりも何よりも、現代人の生活では「価値の基準がスマートフォンにあるのだ」と、あらためて痛感させられたのだった。スマートフォンなどを持とうとも(「持っても使えないだろう」って言うか)欲しいとも思わない。

だが、現在ではスマートフォンの用途及び応用範囲というか、その中の「アプリ」等が拡張され過ぎているようで、最早電話も出来る携帯用PCの如きであるから、生活必需品となっているのだろう。だが、食べ物も水も寝場所もない暗闇の空港でスマートフォンだけが使えても何の足しになるのかと思ってしまう。それとも電車の中で屡々見かけるように良い歳をした大人がゲームをして時間を過ごそうとでもいうのかと思った。もしもそうであれば、それは価値観の変化ではなくて倒錯だろうと思ったのだ。

とは言って見たが、現代では何事もスマートフォンなしではやっていけない時代になったのは間違いない。ではあっても、私にはPCが曲がりなりにも使え、台所にはIH式のコンロを導入した辺りまでで、85歳と80歳の夫婦としては時代の変化と進歩に対して善戦健闘していると自負しているのだが。どんなものだろう。


英語の言葉の分類 #2

2018-09-11 10:14:23 | コラム
Colloquialism =口語体:

このことも何年か前に採り上げたことだが、日本語にも同じことが言えるので日常会話で使っている言葉と社内の報告書や外部に出す文書では自ずと使う言葉が異なってくるので、英語にもそういう使い分けの仕方があると言うことだ。今回採り上げるColloquialismとは「文語」(=Literary language)と対極にある「口語」のことである。Oxfordには”A word or phrase that is used in conversation but not in formal speech or writing.”とある。私は文語の反対語で話し言葉くらいに考えておいて良いと思っている。信頼するに足る大修館の辞書「ジーニアス」には反対語は”literary”となっているようだ。私はこれと慣用句の区別は難しいと考えているが。

正直なことを言えば、私はこの「口語体」と「慣用句」はその両者の間で、何処に線を引けば良いのか解らなくなることがある。要するに「単語」だけを覚えていても、英語にはその文章の意味が把握できない表現が多いという意味でもある。

そこで、私が思う簡単な例文を先ず挙げてみれば、

I’ll be sure to get it done.=「間違いなくやり遂げます」というのがある。これはこういう意味になるのである。実は、何時のことだったか上司に面倒な作業をしておけと言われ「イヤだな」と思って何気なく I’ll try to see what I can do about it. と言ってしまった。すると途端に不機嫌な顔になって「それはやる気がないと言っているのと同じだ」と叱責されたのだった。そして教えられたのが I’ll be sure to get the job done. だったのである。

他にも幾つか例文を挙げておこう。

It’s up to you. =「君次第だ」か「君が決めること」

I’ll sleep on it. =「今晩一晩考える」

Let’s hit the sack.=「さー、寝よう」

How are you getting along in this hot weather? =「暑さの中で頑張っているかい」とでも言うか。

I’ll give you a buzz. =「電話するよ」

I’ll buy you a lunch. =「私が昼飯をおごるよ」

You are telling me. =「ご冗談でしょう」のことだが、No kidding. でも良いし Don’t fool yourself. などと言うのもある。

少し長い文章になるが、

Thanks a million for your kindness extended to me when I visited the United States last time. =「前回訪米した時の歓迎に感謝する」とでもすれば日本語の訳になるか。例文の”Thanks a million”以下は話し言葉であり、これを固い語体に書き換えればいくらでも言い方はあるが、

Let me take this opportunity to express my most sincere appreciation to you for your kindness and hospitality, during my last visit with the United States of America.
もその一例
になるだろう。

この辺りは所謂“Thank you letter”(=お礼状)に屡々登場する決まり文句のようなもので、日常的にはこういう話し方はしない「文語体」だ。なお、私はアメリカ人というかトランプ大統領が日常的に使う”I’m gonna ~.”(I am going to ~.”の省略)であるとか、”I wanna ~.”(I want to ~.の短縮形)も口語の中に入れても良いだろうだと考えている。だが、こういう言い方は I am going to や I want to と言う話し方が固まらない段階で使うべきではないと指摘しておく。

同様に広く使われていると思う例に”Me, too.”がある。これは文法的にも誤りであり、アメリカの知識階級の人たちが公式の場などでは使わない言葉である。即ち、厳しく言えば「私は無教養です」と告白しているのと同じだと言うこと。私はこういう言い方をせずに ”The same here.”か”I think so, too.”等を使って欲しいと思っている。

次回は slang を。