新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月12日 その2 英語の言葉の分類 #3

2018-09-12 14:44:09 | コラム
“slang”とはどのような言葉か:

厄介な言葉で「俗語」のことであるし「隠語」でもあり「符丁」とも言えると思う。これが我が国で最も広く誤解されている言葉である。思うに、学校の英語教育ではこういう種類の言葉があるとは教えていないのだろう。何が厄介なのかと言えば、残念なことにslangと未だ解説していない「汚い言葉」と訳されているswearwordとを混同しておられる方が誠に多いのである。日本語を考えても「俗語」や「隠語」や「符丁」を下品だとは言わないだろう。要するにslangとswearwordを混同しないことだ。

これらの二つを同じものだと誤解か誤認識すると、アメリカ人は「下品なスラングを多用する」と蔑視する方向に進む結果になってしまうのだった。かの大作家松本清張氏が「アメリカ兵が下品なスラングで話し始めた」と書いておられたのは良い(悪い?)例であるし、明らかな誤りである。兵隊たちやトランプ大統領の支持層のような人たちは確かにswearwordを多用する傾向がある。松本清張は“スラング”とスゥエアーウワードを識別できるほどの英語を理解していなかったのだと断じておく。

ここでもOxfordにはslangを何と言っているかを見てみよう。“Very informal words and expressions that are more common in spoken language, especially used by a particular group of people, for example, children, soldiers, criminals, etc.”とある。ジーニアスには「特定の社会や職業の通用語、専門用語。隠語、符丁、合い言葉」とある。「何だ、犯罪者も使うのならば下品ではないか」と言いたいだろうが、それは次回に予定しているswearwordの解説を読めば解って貰えると思う。

slangの例を挙げて見よう。

Uncle Sam =アメリカの連邦政府かアメリカ人を意味する。

I don’t care for booze. 「酒は嫌いだ」という意味だ。このboozeは「アルコール飲料」の意味でかなり広く使われている。

cop=「警官」なのだが、その謂われは警官のバッジが銅製なので、“copper”(「カパー」であって残念ながら「コッパー」ではない、念のため)を短縮したと聞いたことがあった。アメリカでの発音は「カップ」となると心得ておくべし。だから、Oxfordは犯罪者が使うとしているのかも知れない。

cabby or cabbie=「タクシーの運転手」。タクシーは“taxi cab”というから“cab”を縮めたのだろう。

goodies =お菓子かキャンディーのこと。

pop=古い言い方では炭酸系飲料だが、現代ではsoft drinkの代わりに使われている。

Give me a buzz.=「口語」のところでも例として採り上げた。「電話をくれ」なのだが“buzz”が俗語である。この代わりに“ring”を使っても同じことになるので、ringも俗語に入れて良いだろう。勿論、正式には“call”と言うべきだ。

gas=ガソリンで、元は“gasoline”なのは言うまでもあるまい。故に、gas stationとなる。「ガソリン・スタンド」は和製英語だから「会話」では使わないように。
the Big Apple =ニューヨークのこと。

telly =「テレビ」を意味するも俗語。

gotcha=こういう例も挙げておこう。(相手が言うことが)「解った」であり、誰かを「見付けた」ないしは「捕まえた」という意味にも使う。I’ve got you.を短縮した形。これは上品ではない部類だろう。「ガッチャマン」のことではない、念の為。

私は以下の硬貨の俗称もslangと考えているのだが。
buck=ドルである。10㌦ならば複数の“s”を付けねばならない。

quarter=25セント。すなわち、4分の1である。

dime=10セントなのだが、“a dime”とすると否定的に使って“I don’t care a dime about that matter.”で「そんなことちっとも気にしない」となって、ややidiom的な感も。

nickel=5セントになる。

penny=1セントである。


新生サッカーA代表の初戦観戦記

2018-09-12 07:37:06 | コラム
何と言って評価して良いのか解らない試合だった:

試合開始前の画面から受けた閃きでは「我が代表の勝利」だった。だが、相手のコスタリカは当てにならないFIFAのランキングでは32位で、我が方は55位という大きな開きがあった。実質的には2.5点対0点での勝利に終わったのは大変結構だったし、これまでのA代表がやらなかったようなサッカーをやっていたのは良かった。と言う意味は、これまでのような責任回避の横→横→後ろのパス展開が少なかったということなのだが。疑問点が多々あったので並べていこう。

第一はテイームの構成。森保新監督はこのままの顔ぶれで、ロシアW杯の出場者の中からは誰も加える気があるのかないのかが解らなかったこと。香川、長友、乾、柴崎、吉田麻也等を外すのは未だ時期尚早ではないかという気もするのだ。世代交代は確かに必要だが、あの顔触れだけでやっていこうと割り切るのは未だ無理がある気がした。だが、新顔の連中は新鮮な動きを見せてくれたし、パス交換の発想にも従来にはなかった斬新なものが多々あったし、、兎に角やる気に溢れていた点が良かったと思う。

次はこ新たな顔ぶれになっての初戦だから批判するのは無理があるとは思うが、あれだけパス回しに斬新な発想があり、動きも速く何度か今にも点が取れそうな良い形を作りかけてはいたが、決定力が不足していた。私には「俺が決めてやろう」といったような強烈な目立ちたがりの意識が少し欠乏しているかのように見えた。それは「形さえ作れば誰かが決めるだろう」というサッカーをやっているように見えたのでいうのだ。無理にシュートに持って行ったのは後半の終わりになって入った伊藤純也だけだった。

さて、コスタリカである。暫定監督とやらは「世代交代の最中」と言っているとのことだったが、何をしたいのかがサッパリ見えで来ないサッカーで、中々我が方のゴール前に迫っても良い形が出来ず、あの様子では点を取られる心配はないだろうと思って観戦していた。全員に「ここでやって見せてやろう」という類いの気迫が見えず、私に言わせれば、見せ場は後半の終盤にペナルティーエリアのかなり外側からデイフェンダーが放った強烈だったがGKの真っ正面を突いたシュートだけだった。

言い方を変えれば「勝っても余り手柄にはならない程度の相手の出来映えだった」と言うこと。彼らには時差があったはずはないし、何がしたいのかを一向に見せてくくれないのでは、相手にした意味が余りないと疑問に思った。だが、その分だけ堂安、南野、中島等々が思うがままに動き回ってくれて「この連中が順調に伸びていけば将来の展望が明るくなるのではないか」と思わせてくれたのが収穫だった。さて、香川たちはこの試合をどう見たのだろう。

なお、我が方の得点を2.5としたのは、最初の得点が相手の自滅ゴールだったからだ。