新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月23日 その2 大坂なおみが決勝戦で負けた

2018-09-23 17:40:19 | コラム
正直なことを言えば:

「こんな時が遅かれ早かれ来る」と思っていた。決勝戦のテレビ中継があるとは知らずに、偶然にチャンネルを合わせた。画面を見た途端に「これでは駄目だ」と閃いた。セットカウントで1対0とリードされていたが、大坂なおみは表情にまるで精彩を欠いていた。それが疲れなのか、または相手のプリスコバなる者が強くて意欲を失っているのかは読み取れなかった。

結局は第2セットではほとんどやる気を見せない(と言うのか戦意を喪失したのか)ままに第1セットと同様に4対6で落として終わった。私は残念ながら「これで良かったのではないか」と受け止めていた。理由は簡単で、経験も浅い20歳の若さでUS Openを獲ってしまいその後で、またかなり格が高いと思わせる東レオープンまで勝ってしまえば「こんなに簡単な世界か」と安心してしまう危険性もあったと思っているからだ。とは言うが、大坂がそれほど簡単に慢心するとは思っていないが、危険性がないとは言い切れまい。

途中から見ただけだが、あのサービスの不正確さ、unforced errors の多さ、戦意喪失したかのようなラリー等々から感じたことは「当人が意識している以上に精神的疲労の蓄積」があったと思わせてくれた。プロのテニスの世界を見ていると、次から次へと世界の何処かで大小のトーナメントがあり、それに出続けていないことにはランキングも下がっていくようなので、大坂はそういう大変な世界に入っていった以上、何処かで本日のような敗戦を経験せねばならないようである。

ではあっても、若い身空でUSOまでで7億円以上も獲得しているのだ。大変なのは承知で入っていった世界だろうから、何時までも勝ち続けていられる訳がないと思う。だから言ったじゃないか「マスコミはそっとしておいてやれよ」と。


アメリカのビジネスの進め方の手法

2018-09-23 11:06:41 | コラム
安全弁を付けておく:

安全弁とは言ったが、これはこれまでにも繰り返して述べてきた contingency plan のことである。即ち、ある作戦に打って出る前に部内で慎重に審議して「もしも予定か計画した通りにことが捗らなかった場合をも想定して、第2か時によっては第3の予備の手を準備して臨むことである。これがその第1ので方が玉砕戦法にはならぬように考えるアメリカ式思考である。

解りやすくなるかどうかは別にして、フットボールにおける攻撃の手法をも採り上げておこう。それは攻撃の際にはスタンドの最後部(7~9万人を収容する客席の最高部がどれほどの高さになるかご想像願いたい)に設けられたスポッター席に陣取ったオフェンスのコーチが、それまでの試合の進行状況とその局面での状態を見て、ベンチにいるオフェンスのコーチに「次のオフェンスは用意してきたこのプレーで行こう」と指示を出すのだ。それをフィールド内にいるQBに遅滞なく伝えるのである。

事の序でに述べておくと「安全弁」=safety valve とは「パスのプレーを選択した場合に第1のターゲットに選定してあったレシーバーがマークに遭って投げてはいけない局面になった場合に予め用意されていた第2のレシーバー、即ち安全弁に投げて、幾らかでも陣地の進行を前に進めることを指しているのだ。即ち、contingency plan と同様な意味になるのだ。

今や近代化というかICT化された時代にあっては、QBのヘルメットないにはスピーカーが装着されておりそこに伝達される。それをQBが11人の選手を集めた円陣(専門語ではハドル=huddleと言う)の中で伝えて、全員がその体型にセットするのだ。そして、そのプレーが相手側のデイフェンスに読まれていて上手く行かない場合の第2の策も用意されていて、QB乃至はボールを持たされた選手が対応していくという図式だ。逆櫓とまでは言わないが、そこまでのプランは組み込まれている。

私はこのような contingency plan がフットボールで用意されているのは、ビジネスの世界での手法に倣ったものと理解するというか認識している。我が国では屡々大成功した有名スポーツ選手を引退後に招聘して、ビジネスの世界におられる方々が成功談を聞く会を催されているのを見るが、あれは順序が反対であると思う。極言すれば「ビジネスパーソンたちがスポーツ選手から教訓を学んでどうする」と切り捨てたいと思うほど本末転倒であろう。

と、ここまで申し上げてきて矢張りトランプ大統領が打ち出してこられた外交や貿易関連の強気の政策に思いが至ってしまった。見方次第では「胸のつかえが下りる」ほどの気分爽快な案件もある。それは関税率の引き上げとという簡単明瞭な手法で打って出られた対中国との貿易戦争と言うより、徹底的に叩きに出られた作戦である。私はこれを既に「正しい作戦」と評価したが、何処まで「善」であるかは判断しかねた。

そこで上記の contingency plan と言うか、フットボールにおけるオフェンスのプレーの選択論に戻ってみよう。私は習近平の独裁者的であり、覇権を狙っている危険極まりない戦法を叩いておくのは大変結構であると思うし、一国の大統領として巨額の貿易赤字を削減しようと図られるのも当然であると認めている。私が見る問題点はそこにあるのではない。トランプ大統領は閣僚協議を拒否してきた中国とのこの一大戦略が思った通りに事が運ばなかった場合の contingency plan が、どれほど綿密に用意されているのか、はたまた安全弁は付けてあるのかという点である。

そこには中国に真っ向から加えた圧力が周辺と関連する諸国に与えるだろう影響をも、詳細且つ精密にお考えになっていたのだろうと期待していて良いのかという問題もある。Fake newsか否かの判断は出来ないが「トランプ大統領は側近のご進講は聞かない」とか「長文の報告書は読まない」というような大統領批判の報道は幾らでもある。これまででも Going my way で進んでこられたトランプ大統領が、何処まで他国への影響に配慮されたかである。

例えば、大前研一氏はPresident誌の2018 10 15号では“イランへの制裁がイラン産原油への依存度が高いインド、韓国、トルコなどを窮地に立たせるが、トランプ大統領にとっては「知ったことか」程度だろう。”のように決めつけている。この辺りが、私が見る「大事の前の小事」であり、トランプ大統領は割り切って推し進めておられるのかと思って見ている次第だ。要するに、以前にも指摘したが、トランプ大統領の政策は「結果が出てしまうまでは何のかんのと論じても意味がない」と思っている。