新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月10日 その2 英語の言葉の分類

2018-09-10 15:00:53 | コラム
我が国の学校教育における英語の問題点:

私はこの件についてはあらゆる機会を捉えて繰り返してその至らなさを批判してきた。「科学としての英語」を教える無意味さと実用性の無さと、英語と日本語の間に厳然として存在する文化の違いに触れていない不行き届きを笑ってきた。と言うことは「余りにも効果が上がらない我が国の英語教育の在り方を憂いている」という意味である。その方針は余りにも実用性に乏しく、小学校3年の児童に早くから教えていけば効果があがると思い込んでいるのも、とんでもない誤りである。

今日までに繰り返して色々と私の勉強法を述べてきたが、一向に学校側は見向きもしないようだ。そこで、今回は経験上も学校教育では教えれていないとしか思えない「言葉の分類」を採り上げて、本気で「英語とは」を学びたいと思っておられる方々の参考に供したい。

英語の言葉の分類:

ここに採り上げるのは、文法に言う「品詞」=“a part of speech”ではなく、言葉の種類、すなわち「口語」=Colloquialism、Spoken language、「俗語」=slang、(通用語、専門用語、隠語、符丁等)、「慣用語句」=idiom、(成句、熟語)、「汚い言葉」=Swearword、(罵り言葉)を知る限り解説してみようとのかなりな難問である。だが、何とか試みてみよう。

Idiomとは:

「慣用語句」と訳されている。実際にこれを読んだり、聞かされたりしても直ちに「今、“idiom”が出てきた」と感じるようなものではないと思う。Oxfordには”A group of words whose meaning is different from the meanings of individual words”とあり、Websterには”An expression that cannot be understood from the meanings of its words but must be learned as a whole”となっている。即ち、慣用語句の中の言葉一つ一つの見当がつくか意味が解っても、全体の意味は把握できない。実際の会話などにはこの種の表現が非常に多く使われる。単語だけしか知らないと意味が把握できなくなる危険性が高い。だから全体を流れで覚えよ」ということである。例文を少し挙げておこう。

He gave in.=「彼は屈服した」

He burnt his bridge (boat).=「彼は退路を断った」

He saw the handwriting on the wall.=「悪い兆候が見えた」、「悪いお知らせだった」

I was between the devil and the deep blue sea.=「進退窮まったり」

Let’ get the show on the road.=「さー、仕事を始めよう」、「さー。出掛けようぜ」

It’s a piece of cake.=「朝飯前だ」なのだが、“cinch”も“It was a cinch.”の様に使われている。ジーニアスは“No sweat!”も例に挙げている。

How come you put up with such a bad treatment against you? では“put up with”は「我慢する」か「耐える」の意味である。

Let the cat out of the bag. (Oxfordから引用)=「誤って秘密を明かしてしまう。」

Let’s play it by ear. =「出たとこ勝負にしようぜ」

I’ll take a rain check =「今回は辞退しますが、次回にお願いします」

It does not ring my bell =「それには思い当たるものがありません」

次回は「口語」= Colloquialism を。

大坂なおみとセリーナ・ウイリアムス

2018-09-10 14:26:37 | コラム
余りにも対照的だった2人:

本日は生憎と新聞休刊日と言うか、余り愉快ならざる日。そのせいかあらぬか、各テレビ局は朝から競ってか挙ってか知らぬが、この大坂なおみとウイリアムスのことばかり。そこで、私なりの感想を。

大坂ネイオミ(彼らはNaomiと書けばこう発音する。アメリカには青木功という人物は存在せず、Aokiは「エイオキ」になってしまう)があの決勝戦で全てにおいて立派だったことは褒めたが、あらためて触れておけば「あれほどの醜態をさらけ出したウイリアムスの試合態度を見せつけられても動揺せずに、自分のテニスをして見せたのは余程コーチの指導宜しきを得て精神的に(テレビに出てくる連中何でメンタルと言うのか。mentalは形容詞だぜ)安定していたのだろうが、恐るべき20歳だし、あのウイリアムスの暴挙を何とも思わない太々しさが備わっていたのかと疑いたくなるほどだった。凄いと思った。

一方のウイリアムスは人種問題があるのかと一瞬疑ったほどの大醜態だった。あれほどの悪態を審判に向かってつくとは世界の一流選手がすることではない。いや、あれでは三流だ。試合中にあれほど感情的になってしまっては仮令格下が相手でも勝てる訳がないと思った。テニスのルール上ではもう一度警告が出れば没収試合だったそうだが、それにしても酷すぎた。観客があれほどブーイングをする意味が、長年彼らの中にいたので解らないでもないが、あれも非常に礼を失した態度で不愉快だった。

ネイオミの件に戻ろう。私は彼女はこれから先が大変だと思う。目の前の大変その一は「各テレビ局に引っ張りだこにされるだろうし、間もなく帰国(なのだろう?)すればインタビューの嵐だろう」ということ。即ち、彼女の目先の重大事項である最も大切な練習の時間を取られてしまうこと。USオープンに一度勝っただけでは真の安定した実力が付いた訳ではないと私は危惧している。ここからだ。

次は彼らが何かといえば使う「メンタル」だ。精神力のことをいいたいのだろうが、それならばその後に「ストレングス」でも付けないと意味を為していないのだ。プログレッシブ和英には emotional strength と出てくる。どっちでも良いとは思うが、彼女はこれまで通りの精神的な強さとその安定を維持して貰いたいのだ。私が危惧することは、後から後からチャンピオンとしてインタビューされチヤホヤされると、つい気が付かぬ間に増長してしまうことだ。これは非常に怖いことで、当人が余程気を引き締めていないと周りが見えなくなってしまうのだ。ましてや20歳の若き女性である。私は気をつけるべき責務はマスコミの方にあると言いたい。「彼女を持ち上げ過ぎるな」と。

私はネイオミは未だ発展途上だと見ている。これから先にどれほど多くのトーナメントに出ていくのか知らないが、そこでは鼎の軽重を問われるような試合をしてはならないと自戒して欲しい。一度でも「大坂なおみ未だし」のような試合をしてしまえば、軽佻浮薄で移り気なマスコミが何を言うか解らないのだ。特にアメリカのメデイアは要注意だ。何度でも言うが「大坂なおみはこれから」なのである。ではあっても、素晴らしい体格と精神力を兼ね備えたテニスプレーヤーが出てきたものだ。