新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月22日 その3 「今更ながらトランプ大統領論」の一部を訂正

2018-09-22 18:59:02 | コラム
とんでもない誤った記述をしていました。お詫びします。

それは文中に

「換言すれば、リタイヤー後24年を経ても、未だにアメリカのビジネスの思想からの発言が多いのである。しかも偶然に飛び込んだ2社が典型的な支配下層の会社であり、多くの支配階層に属するリーダーたちの方針に従って行動してきた(自分では)珍しい部類に属する日本人社員だったと思っている。そこで、出来る限りの機会を捉えて、そういう人たちの考え方に基づいた米国的な考え方を述べてきたつもりだ。それが皆様方には「おかしなことを言う奴だ」と見えたのかと思っている。」

と言っていたのは上記の中で太字にした「支配下層の会社」は誤りで「支配階層の会社」であるべきでした。M社は私が転進した頃はアメリカの紙パルプ産業界の5位という名門。W社は所謂トップ・スリーの1社であり、常に2位を占めていた大手でした。

改めてお詫びして訂正します。

真一文字拝

9月22日 その2 今更ながらトランプ大統領論を

2018-09-22 16:10:54 | コラム
トランプ大統領は何処までおやりなれば気が済むのだろうか:

私は以前に「トランプ大統領は着実に多くの選挙公約を実行してきたし、その多くは前任者のオバマ大統領が実施した優柔不断な政策を覆して言わば『結果オーライ』だった案件が多かったと思っている。しかも物議を醸していた法人税の減税策も奏功し、活発な公共投資にも支えられてアメリカ経済は好況で、失業率などは4%を切るところまで来てしまった。将に『文句があるなら言って見ろ』とでも言える状況だ。

だが、その各項目というか結果を拝見すると、前後乃至は縦と横の脈絡が乏しいようにも見える点があるとの説も反トランプ派側にはあるようだ。その辺りを見ていると、コインの裏側にあるのが少なくとも大統領を支持しない派に属する人たちが unpredictable であるとか、中間選挙目当てか、ロシア疑惑の解消を視野に入れていると批判してしてきた。私はこれらのトランプ政策の底流にあるものが「アメリカファースト」であり「アメリカを再び偉大に」の選挙キャンペーン中からの旗印であると思って見てきた。

最新の状況ではバブ(Bobと書いて「ボブ」とは発音しないよ)・ウッドワード記者の“Fury”が示すように反トランプ派のメデイアは相変わらず批判を繰り広げているようだが、好況の経済下にあるとは言っても、中国との真正面からの貿易戦争開始や、関税率の引き上げや新たな賦課や、NAFTAの見直し、TPPやパリ協定からの離脱、イランとの協定からの脱退と制裁、アメリカ大使館をエルサレムに移転させる件等は、全アメリカ国民や全世界や全同盟国が拍手喝采で迎えているようでもないようだ。

私程度が見ているだけでも、既に帰らざる川を渡ったかに見える中国との貿易戦争に追加の関税を賦課するとの出方と、イランとの激突はその結果というか影響がこれから本当にと言うか本格的に出てくる危険性が極めて高い事態であるとは言え、イランが本当にホルムズ海峡の閉鎖の挙に出てきた場合には我が国や(韓国等)に与えるだろう負の影響は深刻であるとしか思えない。

私が知るというか経験した限りのアメリカのビジネス界の手法では「如何なる場合でも新規開拓か新規事業の開始に当たっては運動用語に言う『スカウティング』に相当するカントリーリスクまでを含めた事前の調査をこれでもかと徹底的に行って、具体的に実行した場合の成果と影響を十分に把握しておく」のが常識であり、それなしに打って出ることなど考えたこともなかった。だが、対中国の貿易戦争やイランに対する制裁の厳しさの度合いを見ていると、トランプ大統領は果たして周到なスカウティングを実行されたのか、我が国などが受けるだろう影響について安倍総理や大使館等の出先に通告があったのかと考え込まされてしまう。

即ち、アメリカにとって良いと思われる政策を実行される前に、同盟国や関係するだろう諸外国の利益や損害を何処までお考えだったのかと考え込まされてしまうのだ。いや、自国の為、オバマ大統領の優柔不断な政策の置き土産を覆すという大前提の前には何物もないのかというか、何時か引用した我が同僚を評していみじくも秘書が言った“nothing interferes his schedule”がそのまま当て嵌まるようなきさえするのだ。もっと言えば、20年を超えたアメリカの会社勤めの中で出会ったことがなかったようなひたすら“Going my way”の指導者なのだと思わせてくれる。

世論には「中間選挙での勝利が当面の目標」であるとか「2期目を目指しての布石」であるとか「アメリカを再び偉大に」する為の手段を着々と講じておられるといったような見方があるのも確かだ。それはそうだとは思う。私が懸念させられていることは、アメリカで矢継ぎ早に打ち出される各種の政策を見ていると、事前の調査は為されているのだろうが、それらが如何なるプラスだけではなく負の結果を関連諸国に与えるかまでには綿密な配慮が行き届く前に決断されたのではないかという点だ。

私は少なくとも対イランの制裁によって我が国の石油問題に与える影響をご存じではなかったとは思えないのだが、「大義親を滅す」を優先されたので、同盟国である我が国や親友であるはずの安倍総理のことを考えるのは後回しだったのかと疑いたくもなる。総理は次回の会談でその辺りをキチンと確かめられ、「殿、それはないでしょう」辺りは真正面から申し込まれるべきだと思う。そう言わない限り、何もトランプ様でなくとも「言わない、反論がなかったではないか」と了承済みだと受け止めるのがアメリカ人だ。

最後に敢えて申し上げるが、私の論調は、これまででもことアメリカに関する限りはマスコミや所謂専門家とは一寸異なる場合が多々あったと思っている。それは「私が22年半(W社ではほぼ19年間)彼らアメリカ人の中に入って飽くまでも彼らの一員として受け入れられ、彼らと共に喜び、苦しみ、泣き且つ笑いながら対日輸出に必死の努力を重ねてきたことの結果である。即ち、彼らアメリカのビジネスの哲学・文化・思想・信条に基づいて行動してきたので、未だにその束縛から完全には解放されていないのである。いや、アメリカの支配階層の一部の代弁者的になってしまうと自分でも思っている。

換言すれば、リタイヤー後24年を経ても、未だにアメリカのビジネスの思想からの発言が多いのである。しかも偶然に飛び込んだ2社が典型的な支配下層の会社であり、多くの支配階層に属するリーダーたちの方針に従って行動してきた(自分では)珍しい部類に属する日本人社員だったと思っている。そこで、出来る限りの機会を捉えて、そういう人たちの考え方に基づいた米国的な考え方を述べてきたつもりだ。それが皆様方には「おかしなことを言う奴だ」と見えたのかと思っている。

トランプ大統領に対するこれまでの批判の数々も、彼ら支配階層のトランプ観をある程度代弁していたかと思っている。現に私の交際の範囲内にトランプ大統領ファンはいない。それは当然だろう。M社(今は社名が変わってしまったが)もW社もラストベルトに本拠を置く会社ではなかったのだから。願わくは「そういう奴だったのか」と見て頂いて寛容なお取り扱いをお願いする次第。あらためて、宜しくお見知り置きを。


プロの運動選手に見られる入れ墨の考察

2018-09-22 08:07:28 | コラム
世界ではプロの運動選手に入れ墨が多い:

BBC NEWSは「ラグビーの国際統括団体ワールドラグビー(WR)は、2019年9月に日本で開催されるラグビー・ワールドカップ(W杯)の出場選手にタトゥー(入れ墨)を隠すよう指示する方針だ。」と報じていた。BBCは我が国では入れ墨が反社会的勢力の者に多く見受けられ、ジムや公共の入浴場などで出入り禁止とされている文化に配慮したのだろうとの見方をしていた。

私はヨーロッパ、アメリカ、ラテンアメリカ等におけるラグビー、サッカー、フットボール、ベースボール、ボクシング等々に見られる多くは腕に見える入れ墨は大雑把に言えば「文化の違い」であって、我が国とは社会的な事情乃至は通念が大きく異なっているのだと、勝手に解釈してきた。だが、サッカーやラグビーやNPBに来ている外国人選手の入れ墨をどうしても好意的な目で見ることは感情的(生理的?)にも受け入れがたいものがあるのだ。

特にkazk様とはどうしても意見が合わないラグビー界では「外国人選手でも外国に移る(日本に来る)前にその国の代表選手に選ばれていなければ等々の条件を満たせば、移った国の代表に選ばれることが出来る」というのが気に入らないのだ。話は一寸逸れるが、我が国のラグビーが世界的にも強くなったと見られているが、私が見る現時点の強さは「日本代表」と言うよりは「日本に集まった諸外国の選手に日本人を加えたクラブテイーム」であるとかしか思えないのだ。

その諸外国から移ってきた選手たちには入れ墨者がかなり多いのである。私はそこまでを気に入らないと言うつもりはない。何分にも「世界全体で外国人選手をも加えたテイームをその国の代表とする」という規定が存在するのだから。だが、今回はWRが我が国の入れ墨に対する伝統的な見方と文化の違いまでに配慮したようである。WRは何でも長いシャツをユニフォームの下に着させて隠そうと指示したことらしく、選手たちも納得したとも報じられていた。

私以外にあのような入れ墨者たちを理論的にも感情的にも受け入れたくないと思っておられる方がどれほどおられるかなどは解らないし、意外にもこれまで何方とも入れ墨の選手について意見交換をしたこともなかった。

私は入れ墨の選手たちの存在については以下のように考えている。それは、私はアメリカ以外の国々で運動選手たちの入れ墨が如何に受け入れられているかは知らないが、アメリカのように厳然として現在では未だに少数民族(minoritiesと複数で表す)が、多数派である支配階層とは別個に存在する以上、彼らがアメリカ社会で1%とか5%とか言われている富有層かそれ以上の生活をしようと思えば、プロの運動選手になる道を選択するのが有力な手段である事は明らかで、その世界で成功した者たちに入れ墨も者が多いのだと思っている。

即ち、入れ墨とはある程度はその分野での成功の象徴のように思えるのだ。ラグビーでは世界の強豪国であるニュージーランドやオーストラリアの選手たちにも入れ墨をしている者が見受けられる。この両国には先住民族がいることは広く知られていると思う。偏見かと言われる前にここまでに止めるが、彼らがラグビーを生業に選んでいたのかなと思う時もある。