新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

世相を斬れば

2018-09-17 08:51:01 | コラム
自民党総裁選挙他:

憲法改正論:

安倍晋三と石破茂両候補の討論会の模様がテレビで流されている。党の広報宣伝活動なのかと思えば理解できるが、私には何となく鬱陶しい。その最たる理由は「憲法改正を巡って両者の意見が異なっている点」にある。両候補が異なる意見を述べて討論されることに特段の異議はない。だが、2人しか立候補しなかったのは仕方がなかったとしても、私は改正する以外の道はないと信じている憲法について2人の意見が違うのは好ましくないと思う。

それでなくとも改正に反対する勢力があちこちにいて、隙があれば安倍総理の改正への努力を踏み潰そうとしている状態である。そこに石破候補が登場して安倍候補とは異なる改正論をぶち上げては、野党や改正反対学者たちが絶好の機会と捉えて「党内でも割れているのではないか」と国民向けの逆宣伝の材料にするのではないかと、悲観論者の私は危惧しているのだ。

私は何処を改正するのかという議論もさることながら、この憲法が存在する為に我が国が何を失ったか、または失いかけているのかが余りにもハッキリしているので、占領軍の要らざる置き土産てある憲法は改正する以外ないと思っている。それだけのことだ。

ネバーエンド:
40歳になったという、私には何処が良いのか未だに解らない沖縄出身の歌手・安室奈美恵が引退するのしたのと言って各テレビ局が大騒ぎだし、引退すると言って泣きわめくファンが続出している状況を昨日から見せつけられて、私には世も末だとしか思えないのだ。そこを論じればキリがないが、私がここで論じたいのが「ネバーエンド」というヒット曲だという歌の題名なのである。

英語で書けば “Never end”となるのだろうが、これを単純に「ネバーエンド」と安室奈美恵が歌っても別に文句はない。だが、「支配階層にも通用する英語」という観点からすれば、これでは駄目なのだ。これまでに何と繰り返して書いてきたことだが、ここには “r―linking” という大原則があって、 never のお仕舞いの r と end の e とを繋いで発音するのが本当の英語なのである。故に、敢えてカタカナ書きすれば「ネヴァーレンド」に限りなく近い音になるのだ。

小難しい理屈を言うなと言われそうだが、別の簡単な例を挙げれば “There is a pen.”という文章がある。これは「デア・イズ」ではなく「デアリズ」となっていくようなことだ。There are pens. であれば「デアラー」となるということだ。こういう風に発音しないさいと教えられた記憶がある方はおられないだろうか。そう教えられていなかった方は「学校教育の英語には至らない点があった」と思い知って頂きたい。

これと似たような例に “liaison” がある。これは「連結音」と訳されていると思うが、これは「前の単語の終わりの字が子音で、次の単語の最初の字が母音であった時は、この2文字を続けて発音する」という言わば原則である。簡単な例を挙げれば、何時もラグビーの試合の中継放送で気になる専門語に “turn over” というのがある。意味の説明は省略するが、アナウンサーも解説者も忠実に「ターン・オーバー」と言っている。だが、この原則に従えば「ターンノーヴァー」に近くなるのだ。

別の例を挙げてみよう。韓国語にはこの連結音があるのだ。何時のことだったかソウルで、買い物をてして得意ではない韓国語で「幾らですか」(カタカナ書きすれば「オルマイムニカ」だろうか)と尋ねると「オチョノン」と言われた。一瞬「???」となったが、良く考えれば「5千ウオン」、即ち、「オ・チョン・ウオン」が連結されて「オチョノン」に聞こえたのだと判断した。正解だった。

学校教育の英語を批判するのも好い加減にせよと言われそうだが、私は我が同胞がアメリカやUKの人たちの英語の発音に付いていけない理由に、ローマ字表記とカタカナ書きがあると思っている。だが、「ターン・オーバー」だって通じるし、「オ・チョン・ウオン」と言ってもソウルで買い物は出来るだろうと思う。要するに「目標を何処に設定するか」と「最初に何処までキチンと教えられたか」が鍵であると思うのだ。私が我が国の英語教育を批判すると「ネバーエンド」だ。

悠木千帆が亡くなった:
私にはこの面白い女優は樹木希林というよりも「悠木千帆」の印象の方が強いので敢えてこちらを採用した。75歳で亡くなったとは、この長寿化の時代に早過ぎたと思わせてくれた。ご冥福を祈りたい。

だが、マスコミというかテレビと新聞は何故あれほど大きく紙面と時間を割いて報道するのだろうか。私には良く解らない。確かに彼女は面白かったし、見ている者を楽しませるという特徴があった。私は新聞も兎も角、テレビ局は芸人の動静を事細かに報道したがる傾向は私には納得できないのだ。芸人たちは彼らの身内なのだろうが、私には単なる数多い芸人の中の誰かとしか思えない。あれほどまでに報道するのは視聴者や読者をミーハーだと思って見下しているのだろうと思わせる。

馬鹿にするなと言いたい衝動に駆られる時がある。マスコミは芸能専門ではないはずだし、我々を十把一絡げにしてミーハー扱いするなと言ってやりたい。安室奈美恵如きを過剰に褒め称えているのもこういう姿勢の一環であると思って空しい思いがする。矢張り彼らマスコミや広告宣伝会社が対象にしている客層の中には、私は入っていないと痛感した次第だ。