新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月4日 その2 スポーツ雑感 #2

2018-09-04 16:35:42 | コラム
故毎日大谷翔平の動静のニュースを見せられるのか:

私は別に大谷翔平君に「アメリカのMLBに移って国威を発揚してくれ」などと頼んだ覚えなどないし、彼自身が個人の好みで敢えて安い年俸を顧みずにNPBを捨てて出ていったのである。でも、各テレビ局は今日はホームランを打ったの、三振をしたの、ノーヒットに終わった等々をこれでもかと報道してくれる。しかも、彼らは「二刀流」などという意味不明な言葉を創造して、かのベーブ・ルースに比肩する選手の如くに言うが、打率は3割にほど遠く、投手としては肘を傷めて休業中ではないか。

故に、私は各テレビ局が連日彼の出来を報道する意味はないと思っている。私は松井秀喜の場合には彼が如何に活躍しようとも「日本を捨てて出ていった者だ」とほとんど関心を示さなかった。その点ではアメリカのMLBに出ていった連中の成績に興味を示さない張本勲と同じような考え方であるようだ。エンジェルスの使い方を見ていると彼の素質は高く評価しているようだが打順も一定ではないし、DHばかりでしか使わないのは「珍種の客寄せパンダ」として採用したのかと疑いたくなる。

とは言うものの、私は大谷翔平君の類い希な素質を極めて高く評価している。恐らく現在NPBに残っている誰よりも上の逸材だろうし、二刀流(英語では簡単に two way となっていたが)などやらせずに投手だけで何処まで行けるかやらせてみたかった。今年を含めて2~3年は投手だけでやらせてみて、成功しなかったならば打者に専念させても遅くはないのではとすら考えている。その為には今年中は故障した肘を酷使しない為にも、投手は封印して置いて欲しいとすら考えている。

大谷翔平君の素質を認めるとは言ったが、サッカー出身者として極めて残念なことがある。それは昭和25年に湘南高校に衆樹資宏が入学して投手として期待されて野球部に入った際に、投球練習をしている衆樹の速球を見たサッカー部の監督に我々3先生が大目玉を食らったことを想起させるのだ。監督は「お前らは何をやっていたのか。あれほどの逸材を為す術もなく野球部如きに取られたとは大失態だ。あれは何十年に一人という素材だ」と言って怒っておられたのだ。遺憾ながらその通りだと思った。

大谷翔平君にも同じことが言えると思う。「現在のサッカー界にあれほどの素質を持つ者がいるのか」ということだ。残念なことをしたものだと、独り静かに悔やんでいる。衆樹は校内のサッカー大会に出場してシュートを放ったのを見たが、そのスピードには我々サッカー部員は遙かに及ばない凄さがあった。その衆樹は慶應からプロに行ってからは外野手になったが成功せず、藤沢に戻ってきて喫茶店をやっていたと聞いた。だが、確か40歳台で亡くなってしまった。あのシュートは今でも目に残っている。


雑感 090418

2018-09-04 08:57:33 | コラム
スポーツ雑感:

U―18 野球アジア選手権:


3日夜に偶然に無残な試合を見てしまった。これは高校生の野球のアジア選手権で我が国の甲子園野球の精鋭で固めた代表は予選リーグの第一戦で香港と対戦した。TBSのアナウンサーは「香港の高校には野球部がなく各校から同好会の者を集めた。また香港には野球場が2箇所しかなくその一つは閉鎖中で練習もままならぬ状況で出てきたようだ」と指摘していた。最初に出来てきた左投げの投手は言わばキャッチボールをやっているような程度で余りにも球速がないので、甲子園の精鋭も1回だけは三者凡退に終わった。

そこから先が無残で2回には出てくる投手を滅多打ちにして一気に19点も獲ってしまった。大会規定は5回終了時点で15点差であればコールドゲームにするとあったので、2回終了時点での19点差では試合終了とはならないのだった。私は「この試合はボクシングのようにセコンドがタオルを投げ入れてギブアップにすれば良いのにな」と思ってみていたが、そうとはならずに結局5回終了まで続き、26対0で終わった。無残だった。

香港には監督にMLBでの投手経験者がいたようだったが何ら為す術もなく26点も取られてしまった。今や申告制の敬遠がある時代であるから試合のギブアップの申告があっても良くはないかなど思いながら、2回までで観戦を止めてしまった。第二戦目はスリランカが相手だそうだが、21号台風に遮られない限りまた20点試合になるのではないかと思っている。問題は彼らが相手が日本となると「そんなに強かったのか」と驚かされる強さを発揮する韓国を如何にして退けるかだろうと思う。

余談だが、このメンバーに選ばれた金足農のかの吉田輝星君には、日本代表の帽子もユニフォームも呆れるほど似合っていなかった。いや、まるで垢抜けしてしなかった。何となく居場所を間違えているような感じさえあった。本人は甲子園までで1,500球以上投げても問題ないと強気のようだが、私はこの大会では投げさせずに温存して上げて、彼の将来に備えて上げるべきだと思うが、もしかすると最早手遅れかも知れない気もするのだ。どうする、高野連と朝日新聞さんよ。

塚原夫妻の行く手に何が待っているのか:

私にこの一件が報じられた時に閃いたことはといえば「塚原夫妻の野垂れ死に」だった。それは、細かい内容は兎も角として、レスリングの栄和人の場合と酷似している成り行きだと思ったからだ。簡単に言ってしまえば、天上天下唯我独尊的な思い上がりをしている点が共通していると思うし、それまでの実績の割りにはマスコミとマスコミが(意図的に?)形成する世論の支持が少ないという点も似ているのだ。

私は詳細は知らないが、暴力を理由にして速見コーチを宮川沙江さんから引き離した手口が、何名かの反塚原派が今になって証言した朝日生命のクラブに引き入れた手口と酷似しているので、見え透いたことをする夫妻だと思わずにはいられなかった。しかも、この点に関しては夫妻で知らぬ存ぜぬであるのも姑息的だ。協会の幹部もまただらしがなくて、塚原夫妻に対して真っ向から物が言えないらしく「権力を笠に着た理不尽な圧力」を立証するのに「第三者委員会」に委託して逃げてしまった腰抜け振り。

そこに今度は塚原夫妻が杖とも柱とも頼っているはずの朝日生命が第三者委員会の結論次第で「権力を笠に着た理不尽な圧力」が立証されれば、体操クラブの支援を打ち切るとの意向を表明してしまった。私は納得がいく流れであると思ってこの報道を聞いた。しかし、私は塚原夫妻を気の毒だとは思う。

それは、彼らが単独で思い上がったり増長した訳ではなく、そこまで行ってしまう過程で協会でも何処でも彼の周囲にいる体操界の幹部や取り巻き等が、為すべき助言も忠告も出来ていなかったのだから仕方がないと思っている。何れにせよ、彼ら夫妻は一刻も早く身から出た錆を落として、野垂れ死にしないように努めるべきだろう。