何と恐ろしい事件なのだろう:
点滴に異物を混入させて患者を殺害したと報じられているが、極めて恐ろしいことだと感じる一方で、何故そのようなことをされてしまったのか、あるいは出来たのかと理解出来ない思いである。私は2006年の最初の心筋梗塞による入院・治療に始まって、その後何度入院したのかは俄には計算できないほど入退院を10年間に繰り返してきた。と言うことは、その間に一体何回点滴を受けたかとなる。一日中点滴を付けていて、その間に何度も看護師さんが取り替えに来たこともあった。
その交換の作業にに誤りがあるかなどと疑う余裕などないのが重症患者であった私だ。確かに注射薬の袋には患者名が記載されているが、余程馴れてこない限り薬の名称や薬の状態等まで注意などは及ばない。精々、落ち方が早すぎるかあるいは遅いかな程度だ。本当に時偶「何という薬で、その注射の目的は」と尋ねたこともあったが、単なる好奇心からで警戒感からではなかった。
病院と主治医と看護師さんを信じて治療をして頂いているのだから、疑うことなど考えたことすらなかった。何かがあったと言っても、記憶が正しければ、たった一度看護師さんが「あら、間違えた」と言って薬を持ち帰ったことはあった程度のこと。
患者としては、テレビ報道に言う「薬剤部からナースセンターに運んできてそこの保管される」だが、我々患者の目には何処に置かれているのかなどが見える訳もなく、保管中に何かが行われても解る訳はないのだ。そういう状態のところで、今回発覚したような犯行(なのだろう)が実行されたのであれば、防ぎようがなかったと言えるかも知れない。だが、病院乃至はナースセンターの管理状態に何らかの付け込まれる隙があったのかなどと考えてしまう。
何れにせよ、かかる極悪な犯人がいたのならば許されざる卑劣な行為だろうと思う。患者としては病院を信じる以外に何があるのかだと思う。私は警察も病院側も全力を挙げてこの忌まわしい問題の解決に努めるべきだと思う。
それにつけても思うことは、我が国では病院長はお医者様がなるのが普通だが、アメリカのビジネススクールで取得するMBAの中には「病院の管理・経営」という分野があると聞いた点だ。如何にもアメリカらしいが、名医即名管理者であるか否かも考えても良くはないのかな。
点滴に異物を混入させて患者を殺害したと報じられているが、極めて恐ろしいことだと感じる一方で、何故そのようなことをされてしまったのか、あるいは出来たのかと理解出来ない思いである。私は2006年の最初の心筋梗塞による入院・治療に始まって、その後何度入院したのかは俄には計算できないほど入退院を10年間に繰り返してきた。と言うことは、その間に一体何回点滴を受けたかとなる。一日中点滴を付けていて、その間に何度も看護師さんが取り替えに来たこともあった。
その交換の作業にに誤りがあるかなどと疑う余裕などないのが重症患者であった私だ。確かに注射薬の袋には患者名が記載されているが、余程馴れてこない限り薬の名称や薬の状態等まで注意などは及ばない。精々、落ち方が早すぎるかあるいは遅いかな程度だ。本当に時偶「何という薬で、その注射の目的は」と尋ねたこともあったが、単なる好奇心からで警戒感からではなかった。
病院と主治医と看護師さんを信じて治療をして頂いているのだから、疑うことなど考えたことすらなかった。何かがあったと言っても、記憶が正しければ、たった一度看護師さんが「あら、間違えた」と言って薬を持ち帰ったことはあった程度のこと。
患者としては、テレビ報道に言う「薬剤部からナースセンターに運んできてそこの保管される」だが、我々患者の目には何処に置かれているのかなどが見える訳もなく、保管中に何かが行われても解る訳はないのだ。そういう状態のところで、今回発覚したような犯行(なのだろう)が実行されたのであれば、防ぎようがなかったと言えるかも知れない。だが、病院乃至はナースセンターの管理状態に何らかの付け込まれる隙があったのかなどと考えてしまう。
何れにせよ、かかる極悪な犯人がいたのならば許されざる卑劣な行為だろうと思う。患者としては病院を信じる以外に何があるのかだと思う。私は警察も病院側も全力を挙げてこの忌まわしい問題の解決に努めるべきだと思う。
それにつけても思うことは、我が国では病院長はお医者様がなるのが普通だが、アメリカのビジネススクールで取得するMBAの中には「病院の管理・経営」という分野があると聞いた点だ。如何にもアメリカらしいが、名医即名管理者であるか否かも考えても良くはないのかな。