新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日米首脳会談について

2017-02-15 16:13:17 | コラム
アメリカ・ワシントン州在住の昔の同僚と交信:

お断りするまでもないが、ワシントン州はトランプ候補?がクリントン候補に敗れた州であり、その事実と関係はないと思うが、7ヶ国からのアメリカ入国禁止の大統領令を停止させた連邦地裁がシアトルにある。

そこに住むL氏から「安倍総理は所期の結果を出したと思うか」との問い合わせが来たので、大要下記のように答えて置いた。

>引用開始
総理は帰国直後にテレビに出て語られたし、その会談の結果は過剰なほど報道はされていたので、私なりに纏めてみよう。結果としては、ゴルフ場会談まで含めてトランプ大統領にとっては不均衡な日米貿易や自動車問題や為替操作の疑い等々に物申すことよりも、一人の“good listener”となって、安倍総理から外交、TPPのメリット・デメリット(不本意ながらカタカナ語だが)、安倍総理の世界の諸国リーダーとの交流の経験談を聞く等の、言わば学習の場の如きであって、厳しい交渉事を持ち出す場ではなかったようだ。

また、トランプ大統領が記者会見と共同声明で日米間の絆と結束を強調され、日米安全保障条約の第5条に触れられて尖閣諸島がその対象となることを確認されたのは明らかに好結果だろうし、安倍総理はアメリカこそが世界のリーダーであり、トランプ大統領が民主主義のチャンピオンだと述べられたことは好印象を残されたと思うといった点を指摘した。

彼も、我が国の野党や一部の評論家の方々が案じている「トランプ大統領の安倍総理の厚遇振りを何か重荷を背負わされて、今後アメリカ側から過剰か不当な要求を突きつけられても拒否できない立場に追い込まれたのではないか」との点については、報道ではあの過剰とも見える接待の経費をトランプ氏が自己負担すると表明したそうでもあり、杞憂に過ぎないのではとも考えていると述べた。

それはL氏も十分に心得ていることで、我が生涯の最高の上司だった副社長兼事業本部長の我が国からアメリカのに来て下さるお客様を、競争相手である同業他社が先ずそこまでやることはないだろうと言われた、彼が所有するクルーザーをつかっての船上パーテイーや仕出し業者(catering)を使っての豪華なデイナー、本社ビルと工場往復の社用のヘリコプター等々を実行した結果で、彼独自の誠心誠意の表現は日本の得意先にご評価頂けたと確信している。

事実、その後には揺るがなき永続的な信頼関係を確立し日本市場で最大の占有率を当たられた結果を思う時、トランプ大統領に安倍総理に“obligation”を感じさせる狙いがあったとは、一先ず考えなくても良いのではないかとの意見も加えた。
<引用開始

以上に対するL氏からの返信は

「トランプ大統領が本心で何を狙っているかを読み取るのは極めて難しいようだ。それは彼が余りに多くの面というか問題に手を出し口を出し過ぎるからだ。結果的に彼は就任後僅か2週間ほどで要らざる混乱と恐怖(特に少数民族の間で)を巻き起こしてしまった。彼の狙いは従来にはなかったこと乃至は物議を醸し出しそうな案件を採り上げる事だった。だが、予期せざる大きな反抗にあって引き下がらざるを得ないようなことをした結果を招来していた。

しかも、こちらでは7ヶ国からのアメリカ入国禁止の大統領令や、160億ドルを投資するメキシコとの国境に壁を設ける件などはばかばかしい(原文ではridiculousで、とんでもないという意味もある)との非難を浴びている。こちらでは毎日次にはどのような大統領令が出されるかを案じてているような状態だ。」

となっていた。

先ほども病院で手術が終わるまで待ち時間に「ニューズウイーク」日本語版を読んでいたが、アメリカの主要なメデイアは、この良識ある技術者のL氏よりも遙かに反トランプであり批判的な論調であり、トランプ候補が勝利した州のマスコミの論調も聞いてみたい気もする。因みに、L氏はワイントン州の生まれ・育ちではない。

2月14日 その2 私の情報源

2017-02-14 09:01:14 | コラム
私は何処から情報を取っているか:

11日に掲載した「アメリカとオーストラリアに駐在経験がある輸出入の専門家は言う」と関連したことです。実は、13日に「頂門の一針」を何気なく検索したところ「この人はこの記事のような情報を何処から手に入れているのかな」という、誰からかも解らない書き込み(?)がありました。

答える必要があるかと一瞬悩ました。私が書いていることは全て実際に日本とアメリカの会社と現地で経験した範囲内と、長い年月をかけて構築した交際範囲と紙パルプ産業とその関連業界をも含めた私独自の情報網からと、それ以外は多くの方に不思議がられる膨大な範囲の記憶から呼び起こしています。時には情報網の中の方に確認することもありますが、多くは記録を取っていなくて、記憶に頼っている例が多いと言えるでしょう。記憶力は年齢ともに退化しますが、高齢化する前に入った記憶は残っているものです。

自慢話めきますが、ずっと続けてきたことで、今更尋ねられても弱ります。

Englishならではの表現集

2017-02-14 08:12:47 | コラム
こういう使い方がある:

矢張り、Englishの特集を続けたくなった。

“I suspect that they raised the room rate without any advance notice.”
解説)「私は事前の通告なしに部屋代を値上げしたのに違いないとみている」なのだが、ここで重要なことは“suspect”の使い方。ここでは単純に「疑う」ではなく「そうだったと思っている」と、余り芳しくないことが起きていたと見なす場合に使われる。「疑う」には“doubt”があるが、これは「単に」というか素直に「疑っている」ことを言う場合に使うと思っていて良いだろう。

“A little bird told me that Mr. Smith would be leaving the company.”
解説)「噂によればスミス氏が会社を辞めるらしい」なのだが、「噂」が“rumor”ではなく“a little bird told me”となっているところが肝だ。普通ならば“According to a rumor ~”などと素直に言いたくなるだろうが、このような表現が口語というか会話では出て来ることがある。

“Too bad! He blew it at the very last minute.”
解説)「とんでもないことだ。あいつが最後の最後にへまをやって台無しにしてしまった」とでも言えば良いところ。少し俗語っぽい言い方で、blowの過去形だが、破壊したか壊してしまったと言っているのだ。

“The bottom line is that you should get the job done no later than the end of this month.”
解説)ここでは“bottom line”の使い方を言いたかった。割に頻繁に出て来る熟語で「最低限」か「本音だが」と言いたくて使われるようだ。従って、この例文は「本当のことを言えば、君はどんなに遅くても今月末までにその仕事をやり遂げておけ」となる。私は正直なところ、この表現は苦手でほとんど使ったことがなかった。

“I had to walk the length of the hall way to join him, as he was expecting me at the other end of it.”
解説)ここでは“walk the length of”が「如何にもEnglish」と言いたい表現で「~を端から端まで(歩く)」と言いたくて使われるようだ。「彼が廊下の反対側で私を待っていたので、会う為にその廊下を端から端まで歩かねばならなかった」となるのだ。「待っている」が“expect”になっているのも、Englishならではの使い方。

“The name of the game is to get the job done as soon as possible.”
解説)“the name of the game”は「事の本質は」という意味なのだが、私には“the bottom line”と区別がつけにくくて悩まされた。「最も肝腎なことはその任務を可及的速やかにやり遂げることだ」とでも言えば良いか。

“I have not grabbed this number out from the air.“
解説)「この数字は単なる思い付きで言っているのではない」なのだ。これは、我が生涯の最上の上司だった副社長が好んで使っていた表現だった。「架空のものではない」とも解釈でるかも。

私的なことですが、本日から昨年4月の退院から10ヶ月を経てまた家内が別なことで入院となり、当分時間的にも精神的にも毎日更新を続ける余裕がなくなるかも知れません。

国語を破壊するカタカナ語

2017-02-13 09:26:58 | コラム
国語は既に破壊が始まっている:

無駄な抵抗を続けたくなった。その動機は今朝ほど何処の局だったか、14歳の女子中学生がフィギュアスケートで素晴らしい技を見せた件を採り上げインタビュー(カタカナ語なのでジーニアス英和を見ると「取材訪問、聞き込みの他に何とインタビューするとも出ていた)したところ「もっとレベルアップしなければ」と語ったと報じたことにあった。カタカナ語の害毒は最早ここまで回っていたのだと慨歎した。

そこで、念のためというか何気なくプログレッシブ和英で「レベルアップ」をひくと、例文に“raise the level of a soccer team”や“We must increase our physical strength.”が挙げられていて、ご丁寧に「レベルダウン」の例文には“Quality seems to have generally deteriorated (grown worse).”や“There has been a general decline in students’ academic ability.”も出ていた。即ち、この辞書は「レベルダウン」も「アップ」も日本語として公認していると解釈した。ここまでで、レベルアップもダウンも立派な日本語で英語では別の言葉を使うのだとお解り願えたと思う。

私はこれまでに何度も国会議員は言うに及ばずテレビに登場する有識者や専門家の方々が平気で「フリップ」と言ったり、安全保障を「セキュリティ」と言うのを嘲笑い且つ嘆いてきた。何処がおかしいか誤りかを今更ここに採り上げる気力も勇気もない。あの様なカタカナ語が罷り通るのを文科省の官僚や英語の教師の方々が何とも思っていない感覚が素晴らしいと言うべきか、恥知らずと指摘すべきか悩んでしまうのだ。

ここに、敢えてこれまでに採り上げてきた国語破壊の例を採り上げて、皆様のご参考に供したい。16年12月23日には

<ではどのような例が私の気に障っているかを、思いつくままに採り上げてみよう。「トラブル」の濫用はそれこそ日進月歩ではなかった日々濫用である。「揉め事」、「事故」、「故障」、「何らかの製品の品質問題」、「諍い」等々はすべてそれぞれ別個の内容であると思うが、すべてを簡単に「何かトラブルを抱えていませんでしたか」などと表現している。また「スタッフ」も完全に戸籍を得た日本語として定着した。私はファミリーレストランから居酒屋のような場所で(テレビでしか見聞したことがないが)「ホール・スタッフ」という役目を人がいると聞こえたときに"whole staff"とは何のことかと一瞬判断に迷った。ここでは「職員、部員、局員、社員、従業員」という意味でアメリカでは「参謀」をあらわす単語がカタカナ語されてあれほど普及したのには驚く以外なかった。中には「チーフ」などとの役職もあるが"the chief of staff”とは「参謀長」を意味するのだ。

すでに何度も採り上げてきたが、これらの他にも「シンプル」、「コンパクト」、「カジュアル」、「コラボ」、「何とかアップまたはダウン」、「アップ(ダウン)する」等々は完全にマスコミ、特にテレビに出てくるタレントとやら言われているアホどものみなら普通(マスコミ用語では一般人)の人までが真似させられているのは、私は漢字文化の破壊の第一歩、いや二乃至はそれ以上に進んでいるかと憂いている次第だ。

試しに、ここに挙げたカタカナ語を漢字化してみれば「シンプル」は”解りやすい、簡単な、単純な、易しい”等が当たるだろうか。「ノミネート」は言うまでもなく”推薦”だが「~賞にノミネート」という表現は厳密に英文法で言えば体をなしていないのだ。「コラボ」というのは私を驚かせてくれたカタカナ語だった。"collaborate"か"collaboration"という「(文芸・科学の分野で協力(共同する)、合作する、共同で研究する」とジーニアス英和にある言葉を知らなかったわけではないが、日常でも社内の報告書にでも使った経験もなければ使われていた例をほとんど知らなかったからだ。それが「コラボ」などと省略した形で芸人の行為の表現に当たり前のように使われている豊富な単語の知識に驚いたという皮肉である。>

15年6月15日には

<最後に「ノミネート」も切り捨てておく。ピースという漫才なのかお笑いコンビなのか知らないが、その片割れの又吉というのが小説本を出して大当たりしたのは結構だと思う。しかし、三島賞は外れたが芥川賞の候補作に上がったそうだ。それは候補に推薦されたのであって「ノミネート」という必要はないと思う。私は何故に「候補に推薦された」という我が国の言葉を棄てて、ジーニアスには先ず「動詞」として出てくる”nominate”をカタカナ語にして使うのかと問いたい。

難しいことを言えば”nominate”には「推薦する」か「指名する」の意味はあるが、又吉の場合は推薦されたのであるから”He was nominated for 芥川賞.”と受け身であるべきなのだ。それを弁えずしていきなり「ノミネート」では無茶苦茶ではないか。しかも過去形であるべき。ここにも我が国の学校教育の英語の成果が垣間見えるではないか。これでは国語での表現力が低下する一方ではないか。

この他にも、これを使うことをおかしいとは思わないのかという珍妙なカタカナ語は幾らでもある。確か松坂大輔が言い出したと思う「リヴェンジ」も立派な誤用でありながらドンドン広まっている。”revenge”は基本的には他動詞であり、目的語(復讐する相手等)を必要とするが、単なる「仕返し」か「前回グラウンドに忘れ物をしたので取り返しに行く」という意味のことを言いたくて使われている。>

と述べていた。

私は間もなく漢字を排除してカタカナ語だけの日本語の時代が来るだろうと本気で心配している。同様に英語でも活字体だけしか通用しない時が来るのかも知れない。先日も大学で言語学を教えている先生に念のため確認してみたが、現在の中学や高校の英語教育では筆記体を教えられていないというか教えない場合があるのだそうだ。そう言えば、私が自慢の達筆で黒板に書いた英文を見た大学生たちがキョトンとしていた訳が解った。


2月12日 その3 無駄な抵抗だと承知の上で

2017-02-12 15:28:54 | コラム
カタカナ語排斥論者は嘆く:

近頃、政治家に加えてマスコミというか評論家や著名人がしきりに使われるカタカナ語に「ウインウイン」がある。あらためて言うまでもないが、その意味はジーニアス英和にもあるように「(交渉などで)双方が満足できる」ことだ。だが、ここには困ったことに使い方に誤りがあるのだ。それは“win win”はOxfordには“only before noun”であって形容詞となっていることだ。カタカナ語ではほとんど名詞として使われている。

私はカタカナ語排斥論者だが「どうお使いになろうとご随意に。但し、それは英語ではなく我が国で何処かの通信社が創り出したか、先人が苦心して編み出した純粋の日本語であるとお心得を」と言って来た。だから、件名は敢えて「無駄な抵抗」としたのだ。

私は我が国でカタカナ語を濫用するか、創り出す方々の語彙の広さには尊敬すべき点があると思っているともずっと言ってきた。私はお恥ずかしながら22年以上もアメリカの会社の一員として働きながら、こういう表現があるとは承知していたが“win win”などという難しい表現を使う機会などなかった。使えた記憶がある表現は“It appears we are in no-win situation.”だけだった。これは当に反対で「決して勝つ見込みのない」か「うまくいきそうにない」とジーニアス英和に出ている。しかも、チャンと“situation”という名詞の前で使っていた。

もうこれくらいで良いだろう。格好が良いと思ってカタカナ語を幾ら使っても私の知ったことではないが、“win win”は形容詞であって名詞の前に置くべき言葉であることくらいは、政治家もマスコミの方々も知っていてくれないのでは如何なものかと思う。この程度が我が国の科学としての英語教育の成果では情けないではないか。そんな連中が小学校から英語を学ばせようというのも困ったものだと思うが。