マスコミは専門家の範疇か:
昨22日には例によって例の如くマスコミ批判になるかと懸念しつつも「専門家の人たちの考察」を掲載したが、そこには嘗て我が友のYM氏がアメリカでivy League等の有名私立大学のビジネススクールの教員だった頃に語り合った、言わばマスコミ批判とも言える彼の見解は伝えていなかった。この件は今からおよそ10年前に採り上げて論じたことがあったが、ここに敢えて再録してみようと考えた次第。
それは、彼が言うには
「アメリカの有名な私立大学の経済学部には世界的に有名なエコノミストでもある教授たちが多くいるのだが、日本のマスコミというか新聞記者などが直接取材と言うべきか意見交換と言うべきかとの目的で訪問したという話は聞いたことがない。これは遺憾であり且つ情けないことだと認識している。尤も、そういう教授たちは極めて多忙で、アポイントを取るのは容易な技ではないと思う。だが、何とかして面談出来て議論してみないことには、理論的にも何も世界的やアメリカ国内の経済問題で良いニュースというか有意義な記事は書けないだろう。
また、仮令アポイントが取れて会えたとしても、英語で経済問題を丁々発止と議論するのは通り一遍の英語力では先ず無理だと思う。それだから我が国の特派員たちは結局はニューヨークタイムスやウオールストリートジャーナル等々の記事を信じてそのまま流すことになってしまったのだと見ている。日本の有名大学の教授の方たちだったならば議論を戦わせられるだろうが、そういう対談の例は余り聞いた記憶はない。先生方にそうしょっちゅうアメリカまで来られる時間的な余裕があるかは知らない。」
ということだった。(余計なことだろうが、仮に夏休み期間中にアメリカに行っても、多くの用心は休暇中で、本当に誰もいなくなるのがアメリカなのだ)
大要そんなことだったと記憶している。私はマスコミというか海外への特派員の人たちはニュースを的確に取材して、正確に報道する専門家であって欲しいと思っているが、YM氏との語り合いでは彼らには「専門家」の役割を果たしていない人が多くはないかと感じた次第だ。この件が諸賢の何らかのご参考になれば幸甚に思う。
昨22日には例によって例の如くマスコミ批判になるかと懸念しつつも「専門家の人たちの考察」を掲載したが、そこには嘗て我が友のYM氏がアメリカでivy League等の有名私立大学のビジネススクールの教員だった頃に語り合った、言わばマスコミ批判とも言える彼の見解は伝えていなかった。この件は今からおよそ10年前に採り上げて論じたことがあったが、ここに敢えて再録してみようと考えた次第。
それは、彼が言うには
「アメリカの有名な私立大学の経済学部には世界的に有名なエコノミストでもある教授たちが多くいるのだが、日本のマスコミというか新聞記者などが直接取材と言うべきか意見交換と言うべきかとの目的で訪問したという話は聞いたことがない。これは遺憾であり且つ情けないことだと認識している。尤も、そういう教授たちは極めて多忙で、アポイントを取るのは容易な技ではないと思う。だが、何とかして面談出来て議論してみないことには、理論的にも何も世界的やアメリカ国内の経済問題で良いニュースというか有意義な記事は書けないだろう。
また、仮令アポイントが取れて会えたとしても、英語で経済問題を丁々発止と議論するのは通り一遍の英語力では先ず無理だと思う。それだから我が国の特派員たちは結局はニューヨークタイムスやウオールストリートジャーナル等々の記事を信じてそのまま流すことになってしまったのだと見ている。日本の有名大学の教授の方たちだったならば議論を戦わせられるだろうが、そういう対談の例は余り聞いた記憶はない。先生方にそうしょっちゅうアメリカまで来られる時間的な余裕があるかは知らない。」
ということだった。(余計なことだろうが、仮に夏休み期間中にアメリカに行っても、多くの用心は休暇中で、本当に誰もいなくなるのがアメリカなのだ)
大要そんなことだったと記憶している。私はマスコミというか海外への特派員の人たちはニュースを的確に取材して、正確に報道する専門家であって欲しいと思っているが、YM氏との語り合いでは彼らには「専門家」の役割を果たしていない人が多くはないかと感じた次第だ。この件が諸賢の何らかのご参考になれば幸甚に思う。