新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月24日 その2 The Climate Changes

2019-09-24 14:24:29 | コラム
千葉県における災害に思う:

件名を敢えて英語にしたのは、小泉環境大臣がUNの会合においてこの言葉を使っていたので、それに準拠しただけだ。このまま日本語にすれば「気候変動」だが、気象でも良いのではないかとすら考えている。今回の15号台風による千葉県での広範囲に及んだ災害と災害に対する補償制度の遅れというのか不十分さの報道を聞くにつけても、この気候変動の深刻さをあらためて認識させられた。そこに、あのスエーデンの16歳と聞くグレタ・トウ―ンベリ(Greta Thunberg)さんのUNでのスピーチを聞かされても、その重大さをイヤと言うほど思い知らされた。

報道機関では小泉環境相のUNにおける発言に内容がなかっただの勉強不足だったのという批判を取り上げている。だが、それはその通りだとはしても、ここで小泉氏を批判していても事は進まないし、我が国における事態が改善される訳ではないのだ。確かに、我が国ではこの期に及んで化石燃料に依存する火力発電を主力にしている事実は、時代逆行だと言われても仕方があるまいと思う。それにも拘わらず、新環境大臣は「どのように原発を無くすかだ」と着任早々述べてしまった。

私はこの原発を否定する発言は親譲りであるにしても、今日の原発を止めてしまう決定を下したのは、3.11時点の民主党の菅内閣である。しかも、菅元総理は代替エネルギーとして太陽光発電を推進した。あの当時では一見して尤もそうな決定ではあったが、今となっては「やらずもがな」の政策だったと思えてならない。私は何も菅内閣の方針が今日の激変する“climate changes”を促進しているとは思っていないが、ここ数年の世界的規模の異常気象を見れば、火力発電は批判と非難の対象になってしまうのもまた止むを得ないと思っている。

しかも、あの悪評サクサクだった菅内閣の置き土産かと世間が(私が?)看做している原子力規制委員会すらが、再稼働を認めた多くの原発が地方自治体の長の反対に遭って再稼働が未だしの状態である。何も我が国だけが気候変動に大いなる負の役割を果たしている訳ではないのだと思うが、小泉環境相には少なくとも火力発電偏重の問題に何らかの形で言及して貰いたかった。いや、すべきだっただろう。後難を恐れずに言えば、あれではトウ―ンベリさんの声涙ともに下るとでも形容したいスピーチに食われてしまったのではないか。

ここ2~3年間に我が国を襲ってきた台風というか気候変動現象は異常だったのではないか。それに事前に備える手法を見いだせていない間に、毎年のように西日本を中心に襲ってきていた。それが今回は事前に気象庁から勧告があったにしても、千葉県は無防備のままに襲われてしまった。この状況に鑑みて、これから火力発電依存の態勢を変更しても遅くはないというか、私が好む英語の表現では“Better late than never”なのだ。このような姿勢を世界に示す必要はないと、小泉氏は認識しておられるのだろうか。

我が国でも一部には「木質バイオマス燃料」を東南アジアの諸国等から輸入して、発電のエネルギー源にする動きも始まっている。勿論、経産省はこのような動きを推進しておられる。小泉環境相は折角UNの会合に赴かれるのであれば、経産省ともじっくりと摺り合わせをされたのだろうから、あの場では「我が国は決して拱手傍観しているのではない」くらいのことを言って欲しかった。トウーンベリさんに遅れることなきよう、我が国も後世に悔いを残さぬように、“climate changes”対策を十分に講じておくべき時だと思う。


韓国政府のホームページに対抗策を

2019-09-24 07:22:39 | コラム
閲覧者が増えるかも知れない:

韓国政府がそのホームページに我が国を非難し貶める内容の6ページだかの日本語版を貼り付けたという報道は承知していた。だが、我が国の方でそのようなものを喜んで読む者がいることなど考えられないので、言うなれば「静かな無視」の姿勢で良いことだと思っていた。

だが、23日の夜はどういう内容か気になる番組の他にW杯のラグビーにウエールズが初登場するとあってそれにも気を惹かれ、あっちこっちとチャンネルを変えていた。その中で出会ったのがPrime Newsで松川るい参議院議員が「この番組でこれを採り上げれば、かえって興味を抱いて閲覧する人が今でも増えているかも」と指摘したので、「なるほど、そういう考え方もあるのか」と初めて気が付いたのだった。

松川議員にせよ昨夜の司会だった松山も当然このホームページを読んであったので、その内容は韓国がこれまで主張し続けてきた慰安婦であり、大法院の判決であり、輸出手続きの変更であり、彼らの言うGSOMIA破棄の正当性だと聞かされた。何れにせよ古い話の羅列であり、今更そのようなことを並べ立てて何の効果があるかと思うのが普通かも知れない。だが、私が思うには松川議員が懸念して見せたように、我が国での閲覧者が嫌韓国派ばかりとは限らないのではと感じたのだった。

即ち、考えすぎかも知れないが、韓国政府が狙っている先にはこれまで散々我が国を貶めるような偽情報を発信したとか、我が国を批判し非難してきた政党や反日日本人たちが遺憾ながら存在しているのだ。彼らがこのホームページを閲覧すれば「そら見たことか。我が国はこれまでにこのような悪事を働いてきたのだ」と喜び勇んで、一層反日本的な言辞を弄する危険性が増すかと思わせられたのだった。勿論、これは悲観論者の私の考え方だが、このような結果を生じないとの保証もないかと危惧するのだ。


それにつけても思うことは、我が国は韓国に対抗する為だけではなく、海外向けに英語でも何でも良いので、我が国の正当性を主張する情報の発信でも広報宣伝活動でも良いから、“better late than never”で活発に行うべきではないのだろうか。佐藤正久前外務副大臣は外務省ではやっていると主張しておられたが、そうであればそれを一層強化すべきではないだろうか。韓国ではあの大統領の任期が続く限り、あらゆる手段を講じて我が国を貶めようとするとともに、海外の諸国向けに宣伝する行動を止めるとは思えないのだ。

私は我が国からも具体的な手法で、この虚偽と言いがかりばかりのホームページ作戦に対しても対抗して欲しいと願っている。先週、古森義久氏と木村太郎氏がアメリかでは韓国のロビーイングや我が国を貶める広報宣伝活動に対抗する動きがないと指摘していたのも大変気懸かりである。安倍総理、茂木外務大臣、宜しく善処方お願い申し上げます。


9月23日 その2 千葉県の災害に思う

2019-09-23 11:02:54 | コラム
あれから2週間経っている:

未だに停電や断水しているところがあると報じられている。あの台風15号の被害に遭われた方々はお気の毒だったと思うなどと言っていられるのは、気楽なことだと我が身を批判せねばなるまい。今朝の新聞には「家屋の半壊は補償の対象にならない」との記事があった。テレビの解説者は条令だか法の規定が追い付いていないのだと批判していた。私はその家屋の損傷の判定をするのが地方自治体の職員か県庁の担当部署か知らないが、恐らく初めての経験だろうから、正確に公平に判定出来るのかなと思いながら聞いていた。

それと言うのも、あの3.11の大災害の後で損保事務所の若き経営者から聞いた話では「損保会社の専門の部署では到底あの規模の災害の査定には手が回りきらず、関連する事務所からも手伝いに行ったそうだ。その仕事は実に大変なことだったと述懐していた。その分野の専門の人たちでも難しい仕事を、市役所や町役場の担当者がするのではもっと大変なことなのだろう。千葉県ではそれだけに止まらず、県庁の対応も不十分だったようだし、東電も設備の被害と損傷が予想以上だったことで対応が遅れて大いに非難されているが、今更ながら自然災害の恐ろしさを思い知らされたようだ。

去る12日に昔の取引先の幹部の方々との昼食会の予定があったが、その中の千葉市在住の方は「屋根瓦が飛ばされたし、庭の樹木が倒れたし枝や葉が落ちて始末に負えないので不参加」とのお知らせがあった。その後お見舞いのメールに対しては「未だに屋根瓦修理の職人に来て貰えず、ご老体がご自分で屋根に上がってブルーシートを張られた」と言ってこられた。お気の毒だと思うが、あれだけ多くの家屋が損傷されては、専門の職人が間に合わないのは仕方がないと思う。

そこに今度は17号が九州を通過して島根県等の裏日本を襲っているようだ。ここ数年の間に台風や豪雨で九州、中国、関西地方では甚大な被害が出ていたし、北海道には地震の被害も出ていた。私が実際に見た訳ではないが、3.11からの復興・復旧が完全に終わっていない状態の我が国には、あれ以来毎年のように自然災害が襲ってきている。何時のことだったか「コンクリートから人へ」と唱えた総理大臣がいた為に,土木や建築関連の専門の技術者と職人が激減したそうだ。そこにこの増える一方の自然災害である。

その時に新環境大臣は大いなる期待の下に華々しく登場されたが、いきなり見当違いの謝罪をされたかと思えば、原発はどうやって無くすかなどと言われた。今度はニューヨークに赴かれて誰かに高く評価された英語力でスピーチなどされていた。私にはどうもそういうことにかまけている場合ではないような気がしてならない。被害を被った地方の復興・復旧が環境大臣に仕事かどうか知らないが、役に立つのかどうか解らないようなUNなどに行っている場合かとも言いたくなる。

私は第4次安倍内閣にとってはアメリカとの通商条約、韓国問題の処理、イランとの対応、ロシアとの北方領土交渉等々難問山積だが、この日本全国と言っても良いかと思わせてくれる、自然災害からの速やかな復興・復旧に速やかに十分な財政面と人的な援助にも気を配られるべきではないかと思っている。「いや、そんな失礼なことを言うな。十分にやっている」と言われそうだ。だが、それであれば東電により速やかに動くように指示されたいし、森田健作知事にももっと敏速に動けと叱りつけて頂きたい気もしてしまう。


未だラグビーの話題から離れられない

2019-09-23 08:13:35 | コラム
W杯を開催してくれたことは評価する:

世界の強豪国の戦法:

私にとってはこれを観察出来ただけでも結構なことだった。と言うのも、これまでは大洋州やヨーロッパの強豪国の代表が本気で試合をするのをテレビででも観たことがなかったからだ。1990年代にヨーロッパの何処かでフランス代表の試合をテレビ観戦して「我が国のラグビーとは何処かが違うな」とは感じたが、落ち着いて味わっている余裕もなかったし、たった一度観ただけでは余り参考にはならなかった。

それが今回は立て続けにニュージーランド、オーストラリア、アイルランド、スコットランド、イングランド等の代表が本気になって試合をするところが観られたのだから、これほど結構なことはないと思う。「本気で」と敢えて言ったのは、時々我が国にやってくる言わば伝統国の体表が全て手の内を見せて試合をしているとは見えなかったし、スーパーリーグのテイーム等はクラブテイームと言うよりも多くの国の選手たちの混成軍と形容したくなるような任意団体だと評価していたからだ。

彼らのゲームプランを観ていて今更なから印象的だったことは「ボールキャリヤーが兎に角近場の相手に向かって躊躇なく突っ込んでいって激しく当たり合い、そこから素早く(なのだろう)球出しをしてそこからまた近場のバックスにパスして突っ込ませることの繰り返し」で、誰か解説者が指摘した「体力消耗戦を挑み合っているのか」と言うことだった。私が密かに期待していた、上記のフランスのような華麗なバックス間の展開はほとんどと言いたいくらい見せて貰えなかった。僅かに前半だけ観たイングランドが比較的展開するラグビーをしていたかの感があっただけ。

あれでは我が国の代表が15人中の半分くらい外国人を加えたとしても、あの体力消耗戦法に巻き込まれれば苦戦は免れないだろうと思わせられた。では、彼ら強豪国のバックス陣に展開力がないのかといえば決してそういうことはないようで、いざとなれば相手の厳しいデイフェンスを突破して単身でも走り抜く能力もあるし、抜け出したボールキャリアーに忠実にフォローしていく者がいるのだ。恐らく、彼らは十分にスカウテイングしてから臨んでくるのだろうが、試合開始とともに相手のデイフェンス力を試すような手を打ってから、何れのプレーを選択するかを考えるのだろうと思わせられた。

我が方にいる外国人選手たちは,規定により「本国の代表に選ばれていなかった」のであるから、如何にエデイー・ジョーンズ前ヘッドコーチに鍛え上げられたとは言え、あのアイルランドの激しい当たりと突っ込みに何処まで耐えられるかと危惧せざるを得ない厳しさった。そのアイルランドに負けたスコットランドにしたところで、予測していた通りの激しさを見せたので、あの一次リーグを突破するのは、ロシアに4本のトライを取ったとマスコミが喜んでいる場合ではないように思えた。

ラグビー界の風俗:
ここは正確に言えば、諸外国のスポーツ選手たちの風俗とすべきだったかも知れない。丁度1年前の9月22日に刺青について、こんな事を書いていたので、再録してみよう。

“BBC NEWSは「ラグビーの国際統括団体ワールドラグビー(WR)は、2019年9月に日本で開催されるラグビー・ワールドカップ(W杯)の出場選手にタトゥー(入れ墨)を隠すよう指示する方針だ。」と報じていた。BBCは我が国では入れ墨が反社会的勢力の者に多く見受けられ、ジムや公共の入浴場などで出入り禁止とされている文化に配慮したのだろうとの見方をしていた。

私はヨーロッパ、アメリカ、ラテンアメリカ等におけるラグビー、サッカー、フットボール、ベースボール、ボクシング等々に見られる多くは腕に見える入れ墨は大雑把に言えば「文化の違い」であって、我が国とは社会的な事情乃至は通念が大きく異なっているのだと、勝手に解釈してきた。だが、サッカーやラグビーやNPBに来ている外国人選手の入れ墨をどうしても好意的な目で見ることは感情的(生理的?)にも受け入れがたいものがあるのだ。”

結論的に言えば、このWRの通達は一向に守られていなかったと思う。いや、それどころか我が国にいる外国人選手たちの中から入れ墨無しを探す方が大変なくらいだ。私は昨年このニュースを聞いた時に「所詮は無い物ねだり」というか無理だろうとは思っていた。寧ろその前にあのドレッドヘアーというのかどうか知らないが、あのようなヘアースタイルは何とかならないのかと思っている。敢えて個人名を挙げれば、あのロシア戦で3トライを記録した松島幸太朗のあのようなヘアースタイルでさえも気に入らなくて「何とかしろよ」と言いたくなってしまう。

彼とか堀江とかは所属の企業があるようだが、まさか出社して勤務している訳ではないだろうな。とは言ってみたが、彼らはグラウンドに出て万全の働きをすることを期待されているのだろうから、ヘアースタイルの批判などは無用だとは解っている。でも、彼らに街中で出会ったら恐ろしいと感じるだろうなとは思う。だが、ここでは四の五の言わずに対アイルランド戦での全力での健闘を期待して終わる。


9月22日 その3 ラグビー雑感

2019-09-22 11:40:28 | コラム
私は決してラグビーのファンではない

我が国でのW杯開催の為に、暫くの間はトランプ大統領も、何処かの近隣の国のイヤらしさも、サウジアラビア(対イラン?)問題も、小泉進次郎新大臣の調子外れの発言問題も忘れて、ラグビーばかりを語っている状態になってしまったので、ここでも続けてみようと思った次第。

先ほどから、一所懸命に前回ラグビーの試合をスタンドで観戦したのが何時だったかを思い出そうとしているが、一向に出てこない。もしかすると、アメリカの会社に転進した1972年以前だったかも知れない。そんなことでラグビーを語るとか批判(しているのかな?)するとは不届きな所業かも知れないが、そこはご寛恕願いたい。

ラグビーは見ていて面白いか:
当方はかなりルールは承知しているつもりだが、あのように毎年のように変化させられては、一寸付いていくのが面倒に感じる時がある。でも解ったようなことを言うのは、私自身が同じ英連邦が発祥の地であるサッカー出身だということもある。だが、母方の叔父の1人が戦前の早稲田大学でレギュラーを張っていたので、その叔父と母親から「ラグビーとは」を子供の頃から吹き込まれていたことが、少しばかりの知識をつけられる原因になっていた。

それが湘南中学入学直後から蹴球部に入ったので、そこに集中した。そこに遠縁に当たる戦前のフットボールを知る者から、終戦直後にアメリカンフットボールの面白さを教えられて、藤沢の田舎(当時はかなりの僻地との感は否めなかった)の中学生が進駐軍に接収された明治神宮外苑競技場(アメリカ人たちは「ナイル・キニックスタジアム」と命名した)まで陸・海・空・海兵隊が争う「ライスボウル」などを観戦に行って、その面白さには十分惹かれていた。ナイル・キニックスタジアムが現在の建設中の国立競技場のこと、念の為。

そのフットボール好きはアメリカの会社に転進して増幅されたし、2人の息子たちが関東大学1部リーグの大学まで続けたので、一層のめり込んでいく結果となった。いや、サッカーやラグビーよりも面白いと惹かれていったと思う。息子たちを通じて強豪大学の監督さんたちからも本格的に「フットボールとは」を学べた。その上に本場のアメリカ人たちとともにNFLの試合を観戦したのだから、益々知識は充実し「フットボールこそが究極のスポーツ」と熱心なファンと化していた。

このような経過から言えば、観戦して最も面白いのが(アメリカン)フットボールで、第2位には突然野球が入ってきて、第3位に辛うじてサッカーが入り、ラグビーはサッカーと同率とは言えない第3.5位辺りかと思う。サッカーの評価を低くした理由は、我が国の代表のおざなりというか責任逃れのパス回しばかりか暇さえあれば「バックパス」と後陣での「パス交換」ばかりの消極性に嫌気がさしているからだ。あれは子供の頃からの育て方に問題があるのではと疑う。

ラグビーのルール:
屡々聞かれる「アメリカンフットボールも見たいとは思うが、何分にもルールが解らないので」という言い訳は大間違いだと何度か論じた。それは「得点の取り方というか試合の進行の決め事が解らない」と言っているのである。多くのフットボール系の競技でも「ルールを完璧に理解してプレーしている者などいない」と、私は見ている。現に、MLBでもNPBでも、ルールを理解できていなかった為の失敗が常にあるではないか。ラグビーの毎年のように導入される新ルールを承知して見に来ているファンがどれほどいるだろうか。

フットボールだって、ランニングバックが相手の厳しいデイフェンスを突破して長い距離を走ってタッチダウンを取る場面か、レシーバーガキ例にパスを捕って行く格好良さを楽しめば良いだけのことだ。私だってここでも常に変わって行くルールなどを承知して観戦している訳ではない。

私はサッカーにもラグビーにもどう考えても不合理だと言いたくなるルールがあると思っている。そういう矛盾点を解決して、後から言うなれば人工的に創り上げられたのがアメリカのフットボールであり、そのルールには矛盾点が少ないと思う。解りやすい点を挙げてみればサッカーもラグビーもいくら批判を浴びても審判員を3人しか置いていないので、見逃しと誤審が生じやすい。それを近頃はデイジタル的な機械を使って何とかしようとするので、屡々ゲームが中断される。それでも審判員を増やそうとしない辺りにUKの頑固さを感じるのはおかしいかな。フットボールは7人制である。

ラグビーのルールでこれだけは根本的にお変えになればと思うことがある。それはキックオフなのだ。即ち、ラグビーでは点を取られた方が試合再開の際に、得点をした有利な立場にある陣地に向かって蹴り込んでいるのだ。これでは、屡々得点をして勢いが出ている方に再び攻撃権を与えてしまう結果になる矛盾だと、私が決めつけている制度である。失点した上で再び攻撃権を相手に与えては何ともならないと思う。アメリカ的合理性はこの矛盾を解決して、得点した方がキックして相手方の攻撃になるように決めてある。ラグビー界もソロソロこの点を改正したら如何と思う。