“What do you doing?”はどうか?:
このような質問が渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」の読者から私宛に投稿されたとお知らせ頂いた。質問者はアメリカで滞在したホストファミリーでは納得する答えが得られなかったそうで、このような文法的に怪しい表現を正す小言幸兵衛」のような存在が必要ではお考えのようだった。私は考え方にもよるが、かなり面倒な質問だと思った。そこで下記のようにお答えしたので、ご参考までにご一読願うことにした。
“難しいというか多くの要素を含んでご質問だと思います。先ず、お断りしておきたいことは「私は英語学者でも言語学者でもない」という点です。ただ単に幸運でアメリカの支配階層に通じる英語とその話し方を学べる機会が終戦直後の子供頃からあっただけだったことと、現実にアメリカの支配階層とアッパーミドルに属する人たちが中心で運営されていた会社で、我が国の英語教育では学び得ないようなEnglishの世界で過ごしてきただけでした。
その“What do you doing?”という表現には接したことがありませんでした。そこで言えることは、失礼に当たるかも知れませんが,そのホストファミリーがそのような階層にあるかが問題だと思います。あのIt's me.”について答えてくれたMaryの一家では、父親が息子が読んでいた雑誌を「一寸見せて」と言う時に“May I ~.“と言って話しかけていました。そういう人たちの家庭だったかと言うことでしょう。
私が転進した1975年のWeyerhaeuserの東京事務所では、毎月各部門の担当マネージャーたちが本部に送る“Monthly report”は先ず原稿を副社長補佐のJ氏(ワシントン大学のMBA)がチェックして赤字で訂正し、何度か書き直してからでないと完成版を送れませんでした。その理由は「もしかして、社長にまで上がるかも知れない報告書に初歩的な文法の誤りやおかしな言葉遣いか表現があってはならないから」でした。我々日本人社員は鍛え上げられました。
ご指摘のような「小言幸兵衛」の存在は必要だと思います。私は特に現在の名前があれほど読めなくなった珍妙としか言いようがない当て字ばかりだけではなく、重箱読みも横行している現象を見れば、国語教育が如何にお粗末になったかと嘆くばかりです。英語というかカタカナ語の粗製濫造を見ていれば、この分野にも誰かその奇妙さを正すか、正当な指導ができる存在が必要だと痛感しております。
What do you doing?と似たような文法的におかしな表現には、一寸異なる階層に属する者が多い場に行けば普通に出会います。例えば“How are you?”は最早死語で“How are you doing?”は一般的になってしまったとも言えるでしょうし、それに答えて“I'm doing real good. Thanks.”も普通です。このrealはreallyとしたくなってしまうのが普通だと思いますが。先日も例に挙げた“Don't say nothing."のような二重否定は肯定文として通用します。
私が転進た時の技術サービスマネージャーは部下の技師が客先でプリゼンテーションをした際に黒板に書いた文章に文法的な誤りがありと見た途端に平然として“Hey, Bill. It's pidgin. Correct it.”とお客様に聞こえるのを構わずに注意しました。我が国でもこのような厳格さは同じだと聞きましたが、一流会社(我が社は当時はトリプルAの格付け)は全アメリカで第40位の売上高があった誇り高き製造業の会社でした。
我が社の自慢をしているのではなく、言葉についてはかくあるべしだと思うと申し上げています。“
如何でしょう。ご納得頂けましたか。
このような質問が渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」の読者から私宛に投稿されたとお知らせ頂いた。質問者はアメリカで滞在したホストファミリーでは納得する答えが得られなかったそうで、このような文法的に怪しい表現を正す小言幸兵衛」のような存在が必要ではお考えのようだった。私は考え方にもよるが、かなり面倒な質問だと思った。そこで下記のようにお答えしたので、ご参考までにご一読願うことにした。
“難しいというか多くの要素を含んでご質問だと思います。先ず、お断りしておきたいことは「私は英語学者でも言語学者でもない」という点です。ただ単に幸運でアメリカの支配階層に通じる英語とその話し方を学べる機会が終戦直後の子供頃からあっただけだったことと、現実にアメリカの支配階層とアッパーミドルに属する人たちが中心で運営されていた会社で、我が国の英語教育では学び得ないようなEnglishの世界で過ごしてきただけでした。
その“What do you doing?”という表現には接したことがありませんでした。そこで言えることは、失礼に当たるかも知れませんが,そのホストファミリーがそのような階層にあるかが問題だと思います。あのIt's me.”について答えてくれたMaryの一家では、父親が息子が読んでいた雑誌を「一寸見せて」と言う時に“May I ~.“と言って話しかけていました。そういう人たちの家庭だったかと言うことでしょう。
私が転進した1975年のWeyerhaeuserの東京事務所では、毎月各部門の担当マネージャーたちが本部に送る“Monthly report”は先ず原稿を副社長補佐のJ氏(ワシントン大学のMBA)がチェックして赤字で訂正し、何度か書き直してからでないと完成版を送れませんでした。その理由は「もしかして、社長にまで上がるかも知れない報告書に初歩的な文法の誤りやおかしな言葉遣いか表現があってはならないから」でした。我々日本人社員は鍛え上げられました。
ご指摘のような「小言幸兵衛」の存在は必要だと思います。私は特に現在の名前があれほど読めなくなった珍妙としか言いようがない当て字ばかりだけではなく、重箱読みも横行している現象を見れば、国語教育が如何にお粗末になったかと嘆くばかりです。英語というかカタカナ語の粗製濫造を見ていれば、この分野にも誰かその奇妙さを正すか、正当な指導ができる存在が必要だと痛感しております。
What do you doing?と似たような文法的におかしな表現には、一寸異なる階層に属する者が多い場に行けば普通に出会います。例えば“How are you?”は最早死語で“How are you doing?”は一般的になってしまったとも言えるでしょうし、それに答えて“I'm doing real good. Thanks.”も普通です。このrealはreallyとしたくなってしまうのが普通だと思いますが。先日も例に挙げた“Don't say nothing."のような二重否定は肯定文として通用します。
私が転進た時の技術サービスマネージャーは部下の技師が客先でプリゼンテーションをした際に黒板に書いた文章に文法的な誤りがありと見た途端に平然として“Hey, Bill. It's pidgin. Correct it.”とお客様に聞こえるのを構わずに注意しました。我が国でもこのような厳格さは同じだと聞きましたが、一流会社(我が社は当時はトリプルAの格付け)は全アメリカで第40位の売上高があった誇り高き製造業の会社でした。
我が社の自慢をしているのではなく、言葉についてはかくあるべしだと思うと申し上げています。“
如何でしょう。ご納得頂けましたか。