新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国の政治家の英語力

2019-09-13 08:11:17 | コラム
「英語力とは」を考える:

我が国では国際化(グローバル化?)が進んで来た現代にあっては、英語による自己表現がどれだけ出来るかが重要になってきた。よって「小学校3年から英語を教えよう」という愚にもつかない風潮が出てきた。そこに政治家にも国際的な交渉等々の場では英語力が必要であるという説も出てきたようだ。現に河野前外相はジョージタウン大学出身の英語力を活かして海外でも講演をされたり、韓国の康外相とも英語で渡り合うなどと活動された。

そこに、この度の内閣改造ではライトハイザーUSTR代表との交渉を無事仕上げ終えた茂木敏充前経済再生大臣が外務大臣に就任された。茂木新外相は何と言ってもハーバードの大学院で行政学終始を取得されている。そこに何処からともなく茂木外相の英語力を云々する件が流布されていると聞いたので、さて如何なる事かと検索してみた。するとどうやらそれは週刊FLASHが新閣僚や自民党の幹部の英語力の査定の記事をケビン・クローン(越智啓斗?)なる者が寄稿していたことよることのようだった。

その内容では90点が小泉進次郎新環境大臣、85点が河野太郎防衛相、75点が安倍晋三総理、、70点が岸田秀雄政調会長、50点が茂木敏充外相と加藤勝信厚労相とされていたという内容だった。この勝手な査定に対する反論のような記事では、茂木敏充氏に対する評価は如何に何でも低すぎるとなっていた。その茂木氏が外国人記者クラブでの講演に通訳付で語られた時の動画も出ていて挨拶までは英語でされていたが、私にはそれほど酷評するような質ではないように聞こえた。

私の経験上も言えることだし、アメリカの有名私立大学で教鞭を執っていたYM氏から聞いたことで、確かに我が国のビジネスパーソンたちやビジネススクールに留学してくる方たちの英語力の質には難点がある例が多い。だが,多くの方は修士課程は修了出来ているのだそうだ。そうであれば,かのハーバードで大学院の修士課程を修了された茂木氏は、相当以上の英語力を備えておられるはずだ。現にライトハイザー代表との難しい交渉を纏め上げられた実績があったではないか。

ここから先が肝腎なことで、問題は如何に上手に聞こえるように滑らかに話せるかとか、TOEICなどの試験で高い点数が取れていたかではなく、その人物がアメリカ人を始めとする諸外国の交渉相手に対して「説得力ある緻密な論旨の組み立てて行けるか」にあるのだ。それは同時に如何にして“debate”の力を養っておくかであり、アメリカ人が屡々用いてくる「これを言うことで失うものはない」のような交渉術に臆することなく感情を排して、論争と対立を恐れない断固たる姿勢が取れるか否かにかかっているのだ。私はそれこそが「真の英語力である」と信じている。


9月12日 その2 ヤマト様

2019-09-12 16:53:03 | コラム
ヤマト様

私のスポーツ経験談:

コメントを頂戴し誠に有り難う御座いました。身に余るお言葉で恐縮しております。そこで、この機会に私の野球とサッカーの経験を振り返ってみようと思いました。

既にご高承かと思いますが、私は昭和20年4月に旧湘南中学に入った時からの蹴球部員(現在ではサッカー部と言うようですが)で、野球は余技のような競技でした。但し、湘南では戦後になって設立が許された野球部では、慶応大学野球部のOBの佐々木久男氏(故人で、佐々木信也君の父君)が監督をされていました。その佐々木氏の力で慶応在学中の別当薫(故人でタイガース)や大島信男と加藤のバッテリー(中日でしたか)、矢野外野手といった一流の大学選手がコーチに来ていました。

蹴球部は野球部と同じサッカー場の広さしかないグラウンドを半分にて使っていたので、先に練習が終わった時にはその大学の名手たちの指導法を聞きに(見に?)行っていました。また、慶応大学の練習に参加してコーチ学を習得していた2期上の中学生助監督もおられました。その理論をベンチの横で聞いて知り得た知識の例には「一死で走者二三塁て四球を取ってきた者が叱られていました。それでは相手にダブルプレーのチャンスを与える危険性があると言ったじゃないか」というのもありました。

また、昭和24年に甲子園で優勝した時の三塁手で東大に進み、東洋紡の専務になってからの引退後に大阪大学大学院で経済学博士となった脇村春夫君は同期の同級生でした。彼は大学院に行きながら高野連の会長も務めていました。彼とは高校2年時の野球の野球部員も出て良いという異例の組別の軟式野球の校内大会では、テイームを組んで優勝しました。私は普段は投手兼三塁手で余技の野球を楽しんでいましたが、脇村君がいるので一塁手にさせられました。

その際に生真面目な脇村君に練習までさせられて指導されたことは「一塁手は悪送球の備えての捕球の練習と、無理に捕球しようとせずにベースを離れてでも、球を内野の中に残すように注意せよ。それは打者走者を二塁に行かせない為だ」でした。脇村君は帰国子女でアメリカで基礎の野球理論を身につけていました。因みに、投手は甲子園でベストナインに選ばれたセンターの根本君で、その他に甲子園に補欠で行った者が2人いたのでしたら、勝って当たり前のテイームでした。彼らは皆東京六大学野球並みの理論を承知していました。彼らから基本を学べたということです。

その上にアメリかでは会社というか、我が事業部の副社長がキングドームのボックス席を持っていたのでMLBの野球を見に行けましたし、ともに観戦した部の内外の野球通たちからも野球の理論を聞かされる機会もあるという幸運もありました。その1人はかの大魔神・佐々木主浩の投球を見て「この投手のあのフォークボールは投手に有利なカウントに持ち込まないと空振りは取れない」と指摘した途端にホームランを打たれました。彼らは確かにシアトルマリナーズを応援していましたが、我が国の仲間に気ばかり遣っている解説者よりも立派な野球理論に通じていたので勉強させられました。

私自身は社会人になってからは会社の野球を30歳になるまで内野手と投手をやって楽しんでおりました。本職であったはずのサッカーは28歳で一度止めてから、42歳で藤沢四十雀クラブで再開し48歳まで続けました。そして、70歳になった頃から昭和23年の国体で優勝し損なった顔ぶれが集まってフットサルをやっていました。それも私は72歳の末期に心筋梗塞を発症して止めることになりました。このフットサルの代表者は優勝し損ないの時の主将で、後のメルボルンオリンピック選手だったKさんです。

だが、遺憾ながら現在のサッカーは我々の頃のWMフォーメーションの時代とは別世界のような高水準にあるので、その試合振りを批評するのは僭越かと思うのです。だが、ついつい「俺にも言わせろ」となって妄言を吐いている次第です。私は精神主義は排除すべしと思っておりますが、現代のサッカー(だけとは限られていないと見えますが)の指導者の一部には未だそういう観念が抜け切れていないように見える時があります。

余談ですが、何かと言えば「パワー」だの「フィジカル」だの「メンタル」だの「ハードワーク」などと言う訳の解らないカタカナ語を乱用するのは止めて欲しいと思っております。こういう英語の表現はないのです。語ればキリがないのですが、何かのご参考になれば宜しいかと愚考し、簡単に解雇してみました。

真一文字杯

安倍改造内閣に思う

2019-09-12 08:55:26 | コラム
私の感想:

私はこれまでの何度かの改造を見ていると、第2次というのか民主党政権から自民党に戻った時の閣僚の顔触れが、最も優れていたと思えてならない。そして、改造される度に質が落ちた閣僚が入ってきたように見えて仕方がなかった。そこには党内の事情等々色々な背景があったのだろうが、しなくても済む改造で、言わば改悪かなと見ていた。専門家の先生方は未だに政治を志す者は「何時かは大臣になることを夢見ている」と解説される。だが、果たしてその適性とそれに相応しい見識があったかと思う大臣が増えたのは否定出来ないと思う。

そこで今回の安倍政権最後かとも言われている改造だが、野党と海外の諸国、就中韓国等の毎回決まり切ったように言う悪口は放っておけば良いので、それを採り上げて報じるマスコミも如何なものかと言いたくもなる。彼らは最側近の人たちを入れたというが、もしも4期目がないと言うか総理にその意向ないとすれば、今日までそばにいて支えてくれた能力ありと評価されてきた「お友達」を起用されたのには、不思議はないのではないかと思っている。

総理が閣内に止めるとされた河野太郎氏、茂木敏充氏は使ってみても能力ありと評価されて横滑りの処置を執られたのだろう。私は茂木氏がアメリカのライトハイザーUSTR代表とのさぞかし大変だっただろうと思って見ていた交渉を、あの線で纏め上げられたのをみて凄い手腕と能力の閣僚だったのかと思っている。11日のPrime Newsでは笹川氏が「能力は素晴らしいが人望がないと言われるのは下に対して厳し過ぎるからで、派閥の顧問としては忠告している」と言っておられたのが印象的だった。

私は対外的な交渉能力と組織の上に立って統率する能力とは別物だと思うが、茂木外相がどのように能力と手腕を発揮されるかに注目したい。茂木氏はハーバードで行政学修士をとっておられるので、英語力にも期待しても良いかと。河野新防衛相にも同じような見方ができるかと思っている。

私が唯一少し気になるのが橋本聖子氏のオリンピック担当大臣への起用である。現時点ではマスコミも適任などと言っているが、私は各種の競技団体の会長や幹部たちのその業界を離れて衆目に曝された時に見せた醜態を何度も批判してきた。それは如何に優れた運動選手であっても、その世界に中だけに止まっていたのでは一般社会とは途絶された存在になってしまうと言うこと。極端な例が相撲協会であろう。私は「彼らは長い歴史と伝統の下にある異文化の世界に生きてきた人たちの集団で、一般社会の常識と尺度で彼らを批判するのは無意味」と指摘して来た。

橋本氏もオリンピックピックで3位に入賞されてメダルとやらを獲得された輝かしき選手としての実績がある。だが、中央官庁のような大きな組織の上に立たれた経験があるのかなと危ぶんでしまいたくなるのだ。後難を恐れずに更に言えば、山下JOC会長と同様の個人競技のご出身である点だ。参議院議員5期の政治経験に期待しよう。

安倍新内閣には色々と期待したい事案があるが、どうしても即座に思い浮かぶのが「対韓国問題と言うか、あの国との関係」である。世論の動向をマスコミが報じるままに見れば最上位に来るのが「社会保障」だそうだ。私はそういう問題も非常に重要だとは思うが、日々変化し難しくなっていく一方の国際情勢に対する対応には、海外向けの広報宣伝活動の強化とともに機敏に臨んで頂きたいと願っている。


9月11日 その2 私の思考体系

2019-09-11 17:36:49 | コラム
私の感性はアメリカの影響を受けている:

私が言わば副業的に物書き業に入っていったのは1990年4月頃だった。その時までは全く「書くこと」については何の勉強もしたことがない門外漢だったが、紙パルプ業界専門出版社の編集長に「何を書いても結構ですから」と言われ、その気になってしまったのだった。即ち、自分が書いたものが活字になって多くの方に目に入っていく事態になったのだった。

この時はエッセイというか軽い読み物として月2回刊行の専門誌に「この向こうにアメリカとは如何なる国かが見えてくれれば良いか」という狙いもあって、思い浮かんでくることを書いていただけだった。他にも業界の評論の如きものも寄稿していた。

その頃長男に言われたことが「本人を知っていて、そういう人物ではないと承知しているから言えるが、活字になった文章を読んだ方にはかなりの硬派で愛国主義者的な人だと思われるだろう。とんだ誤解だがね」と言われた。何を言っているのかピンとこなかった。

次いで今となっては30年を超えるお付き合いをして頂いている某私立大学法学部のT教授には「永年アメリカの会社で過ごす間に磨かれた感性で書いておられる愛国者だと理解しております」と言われた。

2000年代に入っては初めてお目にかかる機会を得たメールマガジン「頂門の一針」を主宰しておられる元はNHK政治部の記者で故園田直外相の秘書官を務められた渡部亮次郎氏には「会ってみて優しい人だったので安心した」とも言われてしまった。私は渡部氏のこの一言は長男の言う「書いたものを見れば硬派と思われるのでは」を裏書きしていると解釈したのだった。

私が長い間のアメリカの会社でアメリカの思想信条と思考体系と文化の下で彼ら(と自分の職安全)の為に働いてきた経験と、A型である事による批判的な物の考え方に基づいて発表する意見は、屡々意図しなかったように解釈されるか、批判乃至は反論されてしまう結果になることは非常に残念だと思っている。尤も、そういう結果になる原因に「断言しないからだ」との意外なご指摘もあったのだ。そこで、あらためて私の考え方が何故そうなったかを振り返ってみようと思う次第。

私自身が認識していることは、22年半にも及んだ異文化のアメリカの会社でアメリカの為に働いていたことと、終戦直後から英語で自己を表現するアメリカ式な思考体系の中でも育ってきたことが、今日までの私の思考体系に大きな影響を与えていた点なのである。

特にウエアーハウザーを1994年1月末にリタイアするまでの最後の10年間は、明らかにアメリカ人たちの思考体系で「日本語でではなく、明らかに英語で物を考えねば間に合わない」という世界で過ごしていた。言うなれば、良いことかどうかは別として、アメリカ系日本人のような思考体系になっていたと自覚している。

私は英語で語り且つ文章を書く際には、英語の特徴であり我が国にはあり得ない二進法的思考(断定的に言う)が自然に働くようになっていて、断言する表現を多用するようになっていた。だが、一旦自国語に戻ると、チャンと「ここまで書けば後は言わずとも先方は解ってくれるだろう。以心伝心はあるだろう」のような日本語の思考体系なってしまうことが多いのだ。それは当然で公私両面で二つの言語を操る以上、頭の中で使い分けが出来ないことには、私は日本人ではなくなってしまう危険性があり、私は如何なる時でも「日本人であり続けよう」と努めてきた。

その辺りを同僚たちに言わせると「君はその着ている物、話している英語、仕事の進め方を見れば明らかに我々の仲間だとしか思えない。だが、よくよく観察してみれば、君は明らかに骨の髄まで日本人だった」となるのです。事の序でに「骨の髄まで日本人」を英語では“You are Japanese to the core.”だったと記憶する。

頭の中で日本語から英語、更にまた日本語と常にギアを切り替えて話すように努めている為に、日本語にシフトした途端に英語の場合のように断定や断言することを避けてしまう傾向が出て来たのだ。即ち、日本語から英語に切り替えれば、二進法的な断定的な考え方になるという具合。このように切り替えて考えることは、英語を学ぶ場合では非常に重要な要素だと長年述べてきた、念の為。

私はアメリカの文化と思考体系等の我が国との明らかな相違点とその実情を、ごく一般的な同胞より少しは余計に経験し認識している者だと自負している。同時にその経験に基づいて、内側からアメリカとそのビジネスの世界、アメリカ人たちの物の考え方を、飽くまでも我が国と対比して解説し、時にはかなり手厳しく批判もしてきた。改めてお断りするまでもなく、私の主張はアメリカの会社で彼らの一員として彼らと共に仕事を推し進めてきた経験に基づいているのだ。極端に言えば「日本人としての視点で見ているのではない」とでもなるだろうか。

私は誰もが承知しているだろう、アメリカに数多ある我が国にはない優れた点を今更採り上げて礼賛する意図はない。これまでは両国の会社を経験したが故に見えてきた相互の相違点を取り上げて比較してきた。故に、今回も自分で学びとったアメリカの長所も礼賛をして来なかった。だが、アメリカが世界でも最も優れた良い国である事を疑いもない事実だと認めるに吝かでない。

ではあっても、アメリカに永住する気があったかと尋ねられれば、断固「ノー」と言うだろう。何分にも自動車の運転が出来ないことも一つの理由であるからだが、それだけが理由ではないと申し上げて終わる。。

W杯サッカー予選の対ミヤンマー戦

2019-09-11 08:15:35 | コラム
格下相手で勝って良かった:

10日夜のこのミヤンマー代表相手のW杯サッカーの予選は彼の地で豪雨の中で行われた、選手たちには気の毒な試合だった。でも、我が精鋭は悪条件を物ともせずに前半だけで2点も取って格下を寄せ付けなかった。午後9時20分頃だったかのキックオフは当方にとっては余り好ましくない時間帯で、前半の2点だけで先ず負けることはないと思ったので、後半はマスコミご推薦の久保建英が出ようと出まいと気にせずに、半分寝てしまった状態でテレビの音声だけ聞いていた。

これは私の偏見だと言われても抵抗しないが、香川真司を外してしまった森保監督は信用ならないと思っているので、この勝ち抜けて当たり前としか思えない予選リーグには余り関心がないのだ。マスコミご推薦のな中島翔、堂安、南野の新鋭も使われ始めた頃の輝きが薄れてきたので、何も期待しないで見るようにしている。特に南野はここぞというシュートを外し技量に長けているので信用していなかったが、昨夜は2点目を取ってくれたがそこまでのことだった。

先日懇談した某私立大学の熱心なフットボールファンの教授は「何故わが国の代表選手たちはパスを回してばかりいて,私の目にはシュートのチャンスだと見える時でもパスをしてしまうのか」と突っ込まれて答えに窮した。昨夜は中島も含めて相当数のロングシュートもあったが、アナウンサーがお為ごかしに「惜しい」と叫んでいた結果では何にもならないのだ。解説の北沢だったが、「2点というのは最も危険リードである。何とかして3点目を取れ」と言っていたのは誠に尤もな指摘で、丁度U―18の野球が韓国から3点目を取れずに延長になって敗れたのと同じ状況だった。

勝ったのは良かったと褒めて上げるが、どうしても気に入らなかったのが「相変わらず格下を相手にしても得意の後方への安易な責任逃れのパスを乱発し、それを受けた4人のバックス間で横から横へのパス交換をして前方で誰かがマークを外すべく動くのを待っているにも拘わらず、半端ないとか言う大迫が後方に戻って起点になろうとしたりする戦法は、誰が何と言おうと評価したくない。消極的に過ぎるし安全第一のサッカーなど見たくない。実は前出の教授にはこのように批判的に答えておいたのだった。

私はこの寄せ集め代表テイームは何としても決定力を強化することと、後方向けから横→横という消極的としか見えないパス回しのサッカーから一刻も早く脱却することを望みたい。彼らはサッカーは上手いのだから、もっと個性を発揮して目に物見せて欲しいのだ。大迫君にはワントップというポジションに相応しい豪快なシュートを決めて欲しいと依頼して終わる。