10月29日、モスクワではソ連時代の政治弾圧による、犠牲者たちの
名誉回復運動が開かれている。
10月30日、ロシアでは政治弾圧による犠牲者を悼む日となっている。
1974年この10月30日は政治犯の日として制定された。
そのときソ連の人権擁護活動家コバロフ氏は、ソ連の物理学者でモ
スクワ人権委員会の創設者の一人、後にノーベル平和賞を受賞する
サハロフ・アカデミー会員の自宅で記者会見を開いた。
それから4年後の1978年、コバロフ氏は公衆の面前で、アフガニスタ
ンにソ連兵士を投入することに反対する立場を示した。
これに対しこれまでに政府から授与されていた、全ての賞が剥奪され
コバロフ氏はモスクワから7年間の追放を言い渡された。
今から35年前にサハロフ氏の自宅で開かれた記者会見では、ソ連の
政治犯の状況に付いて初めてジャーナリスト達に語られた。
そのときからソ連の人権擁護活動家たちは、10月30日を団結と闘いの
日として毎年祝っている。
1991年ロシアでは政治弾圧の犠牲者の、復権に関する法律が採択さ
れた。
10月30日はソ連時代に粛清された、犠牲者を悼む日として承認された。
無実の罪で弾圧された人々が、どの位いたのかに付いて正確な数字
を出す尊は不可能だ。
ただ1937年から1938年にかけての、スターリンの粛清時代には150万
人以上が検挙された。
その半分は銃殺され他の人々は収容所で亡くなった。
多くの人々の運命が明らかにされていない。
国際団体メモリアルは政治弾圧の犠牲となった人々の、名誉回復運動
を行っている。
メモリアルの理事は、この作業は犠牲者の無罪が証明された1991年か
ら始まったが、近いうちに終了する見込みはまず無いと述べ次の様に語
っている。
「1990年モスクワの(?)広場には、ソ連の最初の強制収容所があったソ
ロヴェツキー諸島から運ばれた、大きな石が記念の記しとして置かれた。
この石は今日まで、葬られた場所が明らかになっていない数百万人の
犠牲者を追悼するシンボルとして存在している。
毎年10月30日この場所には犠牲になった人々の親族や、現在では少な
くなった囚われの身から生き残った人々たちが訪れている。
3年前からこの記念日の前日、10月29日には犠牲者の名前を読み上げ
る運動が行われている。
この運動には誰でも参加することができる。
12時間かけてモスクワで射殺された人々の名前を読み上げる」
メモリアルの理事は、この様に話している。
10月30日の政治弾圧者の追悼の日には、(?)広場のソロヴェツキーの石
の周りに、過去に政治弾圧を受けた人々やその親族たちが集まり集会が
開かれる。
この集会は伝統的なものとなっている。
この様な活動はロシア全土で行われる。
国際団体メモリアルのデータによれば、現在ロシアの都市や村では、大量
弾圧によって銃殺されたり、強制労働に送られたり、あるいは収容所で亡
くなったロシア人達を追悼する記念碑の数が多くなっている。
しかしメモリアルの理事は、残念ながら国家全体としての共通した記念碑
が無く、ソ連の政治弾圧に関する国立博物館もまだ存在していないと述べ
ている。
※(?)は聴き取れず
10月29日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル