床にごろんと仰向けになり「なーんもねーや」と大きく息を吐いて、
眠るでもなく、じっとしている。
そんな気分でパソコンに向かって文章を書き始めてみると、
やっぱり「なーんもねーや」ってことを書きはじめていたりする。
本当に何もないのか。
感覚的なものが充満していないだろうか。
言語の入る隙間の無いくらい、ぼあーーっと何かが満ち満ちていないだろうか。
そして、そんな状態を、実は楽しんでいないだろうか。
そうやって堕落する気がする。
でも反対に、すごく大事な気もする。
きっと、これって意識と無意識の関係じゃないかな。
いや、意識内の何かと何かの関係かな。
理性と本能・・・・・・、
・・・・・・・・欲求と自制・・・・。
で、こうやってキーを叩いている状態が、その狭間に近いのかも。
音楽が欲しくなる。
意思へと結実させるならば、ビートはいらない。
意志へと結実させるならば、ビートを刻もう。
心音は意志だと思った。
鼓動を聴けとまでは言わないけれど、
鼓動に耳を澄ませてみるのも悪くないかもしれない。
他人の心音に、その人の過去や未来そして現在をを感じるのも悪くないかもしれない。
そして、「きみって、すごくオフビートなんだね」と訳のわからないことを言ってみても
悪くないかもしれない。
眠るでもなく、じっとしている。
そんな気分でパソコンに向かって文章を書き始めてみると、
やっぱり「なーんもねーや」ってことを書きはじめていたりする。
本当に何もないのか。
感覚的なものが充満していないだろうか。
言語の入る隙間の無いくらい、ぼあーーっと何かが満ち満ちていないだろうか。
そして、そんな状態を、実は楽しんでいないだろうか。
そうやって堕落する気がする。
でも反対に、すごく大事な気もする。
きっと、これって意識と無意識の関係じゃないかな。
いや、意識内の何かと何かの関係かな。
理性と本能・・・・・・、
・・・・・・・・欲求と自制・・・・。
で、こうやってキーを叩いている状態が、その狭間に近いのかも。
音楽が欲しくなる。
意思へと結実させるならば、ビートはいらない。
意志へと結実させるならば、ビートを刻もう。
心音は意志だと思った。
鼓動を聴けとまでは言わないけれど、
鼓動に耳を澄ませてみるのも悪くないかもしれない。
他人の心音に、その人の過去や未来そして現在をを感じるのも悪くないかもしれない。
そして、「きみって、すごくオフビートなんだね」と訳のわからないことを言ってみても
悪くないかもしれない。