Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

不純ノススメ?

2005-03-28 23:22:35 | 考えの切れ端
僕は歩く人だ。
走るのも、乗り物を使うのも、本当のところ性に合わない。
せいぜい自転車だと思っている。

歩くのだから、よく景色が見えているだろう、だとか、
息があがることはないだろうだとか、足腰が丈夫なのだろうだとか、
イメージされるかもしれないけれど、そんなことはないし、思ってもみない。

確かに、景色をみようとする時間は十分ある。
歩くペースを緩めれば、呼吸もすこやかになる。
客観的には、足腰は丈夫かもしれない。

しかし、それも、「そうしたなら」という場合に近い。

脇目をふりたくない何かがあり、
ペースを緩められない何かがあり、
足腰は疲労する。

それって何なのだろう。
たぶん、「繋がり」を感じ、思い、考えるからなのでしょう。

関係性やコミュニケーション。
言葉以前からあるものだと思います。

だとすると、知性が繋がりを遮断していくのか。
independentな存在などあるわけがないのだけれど、
まるで自らが独立した存在のように、周囲をみてしまうヴィジョンは存在すると思う。

知性を積み立ててなお、繋がりを見出すことや、新たな位相の繋がりを発見すること。
これって実は、純粋と反対のことなんじゃないでしょうか。
それでいて、真っ当なような。
「pure」という言葉は、けっこう怪しくないですか。

純度の高い水なんかよりも、混じりけのある水のほうが美味しいっていうことを
昨日、ラジオで聞いて思い出したのを、ちらと思い返したので、最後こう繋げて書いてみました。

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