Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

刹那メモ

2005-10-28 20:24:45 | 考えの切れ端
部屋の中とパソコンの中の整理をしたくなって、
少しづつやってきています。
どちらともちょっとしたメモが結構あって困る。

ブログをつけることもそうですが、一体なんのためにこんなに文章を
書くのだろうかと考えてしまいます(自己表現や情報伝達などではありますが)。
ブログの場合は、ブログという場所に固定されているからまだいいです。
部屋に散在していく類は、ノートに書くと決めて書けばいいし、
パソコンに混在していく類は、同じフォルダにテキストファイルを連ねていけばいいし、
実際そうやっていた時期もある。
ただその方法に対して気持ちが飽和してきた、あるいは乱れてきたために、
部屋の中やパソコン内に文章が散らかり、まとめる気にもなれずに捨てることになる。
刹那的だなぁ、と。

どうしてこう、刹那的になるのでしょうか。
きっと積み上げていきたいものなのに。

”思考と言葉が戯れる悦び”、
結果としてただそれだけのことになってしまっていやしないか。
そう書いていて、「それだけで何が悪い」、とほのかな思念が湧いてくる。
これまた刹那的だなぁ、と感じてみもする。

そんな刹那的な行為をずっと繰り返して、自分に何が残ったか。
この問いへの答えは、先日書いた読書についての記事でまとめたことと
同じようなところに帰着します。
”己の中心概念を育てる”というところ。
言葉を搾り出して組み立てていく行為を通じての、
自分をより多面化したり、
もともとの多面性を自覚したりしていく過程がある。
そしてその多面のそれぞれをネットワークで結びつけるのが
一種の理想なんです、たぶん。そうして多様性が生まれる。
ただ、それほど上手い具合に日進月歩していくものではないように感じる。

何かをつかもうと努力し、突っ走ることで、
実は他の何かを少しづつ失っていっているのを感じることがある。
だけど、その行為中に、「何か」でも「他の何か」でもない何か_________
______つまり、自己の多面性を創りだす部分がちょっとだけ鍛えられる。
それを微かに感じ、信じて、僕はあまりまとまりもなく文章を書いている
のかもしれないです。現実的にはそれだけじゃ足りなくって、
やっぱり建設的にくみ上げなきゃおいてけぼりを食ってしまう気が
するんですけどね。

ということで、刹那的の裏面には、ただの瞬間的快楽としてだけでは無しの、
自己の根幹へ勝負している気持ちの強い発現性があるのではないかと
仮定してみることにします。

まだ考えがまとまっていなくて、読みにくい文章になってしまいましたねぇ…。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする