魚なんていうのは、大体が海の中で自由に過酷に生きているものを
獲って食べているでしょ?養殖ものもあるけれど、やっぱり圧倒的に
多いのは、野生の魚だ。
肉はもう、野生ではなくて、ほとんど飼育されているものですよね。
野生のブタだの牛だのニワトリなんて、いない。日本では。
それでも、ごくごくたまに、鹿肉や猪肉を食べる機会もあったりする。
野菜はどうかというと、野生のレタスだのタマネギだのほうれん草だの、
まったく、考えたこともないくらい、栽培されたものという観念がある。
実際に、そんな野生の野菜なんて、山菜とかキノコとかをはぶくと、
お目にかかることもない。
でも、養殖も飼育も栽培も、もとをたどると、野生に行きつくわけですよね。
野生の米があり、野生の長ネギがあり、そういった食用のものを選んで、
食べるためとはいえ、庇護して繁栄させてきたんですね。
狩猟・採集時代の終点がそこになりますな。
そんな野菜たちや家畜たちって、人間が存在することを前提に
進化した生物なんじゃないかって思ってしまいます。
人間のエサとして、種ができたんじゃないかって、
ちょっとばかげたことを考えてしまいます。
きっと野生の野菜・穀物なんかは、それほど美味しくないんだと思う。
人間はうまく品種改良という、ちょっとした神の領域に足を踏み込んでいる。
クローン動物なんかも、この品種改良という行為の延長上にあるんじゃないかと。
その生物にどれだけの知性があるかということが、そういう、クローン技術への
反対する意見に組み込まれていたりしますよね。
そりゃ、やっぱり人間に置き換えてみるとイヤだもの。自分がクローンだったとして、
奴隷みたいに扱われたり、まったく同じ人間がもう一人いることを知ったら、
気持ち悪いですよね。自分が過去の偉人のクローンだったらどうだろう。
やっぱりそれでも、どこか、気持ち悪さ、自分という存在の失われた自由みたいなのを
感じるんじゃないかな。
野菜はそんなことを言わない。
だまって、作られるがままになっている。
彼らも、声にならない叫びや不満を実はもっているかもしれないのだが、
もはやそれは過ぎ去った過去のものだけなのかもしれない。
もうそんなことは、とっくの昔に先祖が諦めてしまっていますよ、
という感じなのかもしれない。
植物を切ったりしたりするときに実は悲鳴があって、
それを聴き取れる機械を作った話の、
『音響捕獲機』というロアルド・ダールの短篇がありますが、
もし、彼らの話し声、独り言なんかをきけたとしたら、
どんな感じだろう?人間よりもさばけた感じかもしれない、なんて
僕は思うのですけれど。
獲って食べているでしょ?養殖ものもあるけれど、やっぱり圧倒的に
多いのは、野生の魚だ。
肉はもう、野生ではなくて、ほとんど飼育されているものですよね。
野生のブタだの牛だのニワトリなんて、いない。日本では。
それでも、ごくごくたまに、鹿肉や猪肉を食べる機会もあったりする。
野菜はどうかというと、野生のレタスだのタマネギだのほうれん草だの、
まったく、考えたこともないくらい、栽培されたものという観念がある。
実際に、そんな野生の野菜なんて、山菜とかキノコとかをはぶくと、
お目にかかることもない。
でも、養殖も飼育も栽培も、もとをたどると、野生に行きつくわけですよね。
野生の米があり、野生の長ネギがあり、そういった食用のものを選んで、
食べるためとはいえ、庇護して繁栄させてきたんですね。
狩猟・採集時代の終点がそこになりますな。
そんな野菜たちや家畜たちって、人間が存在することを前提に
進化した生物なんじゃないかって思ってしまいます。
人間のエサとして、種ができたんじゃないかって、
ちょっとばかげたことを考えてしまいます。
きっと野生の野菜・穀物なんかは、それほど美味しくないんだと思う。
人間はうまく品種改良という、ちょっとした神の領域に足を踏み込んでいる。
クローン動物なんかも、この品種改良という行為の延長上にあるんじゃないかと。
その生物にどれだけの知性があるかということが、そういう、クローン技術への
反対する意見に組み込まれていたりしますよね。
そりゃ、やっぱり人間に置き換えてみるとイヤだもの。自分がクローンだったとして、
奴隷みたいに扱われたり、まったく同じ人間がもう一人いることを知ったら、
気持ち悪いですよね。自分が過去の偉人のクローンだったらどうだろう。
やっぱりそれでも、どこか、気持ち悪さ、自分という存在の失われた自由みたいなのを
感じるんじゃないかな。
野菜はそんなことを言わない。
だまって、作られるがままになっている。
彼らも、声にならない叫びや不満を実はもっているかもしれないのだが、
もはやそれは過ぎ去った過去のものだけなのかもしれない。
もうそんなことは、とっくの昔に先祖が諦めてしまっていますよ、
という感じなのかもしれない。
植物を切ったりしたりするときに実は悲鳴があって、
それを聴き取れる機械を作った話の、
『音響捕獲機』というロアルド・ダールの短篇がありますが、
もし、彼らの話し声、独り言なんかをきけたとしたら、
どんな感じだろう?人間よりもさばけた感じかもしれない、なんて
僕は思うのですけれど。