Fish On The Boat

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『未成年 上下』

2009-10-26 22:44:47 | 読書。
読書。
『未成年 上下』 ドストエフスキー 工藤精一郎訳
を読んだ。

貴族、ヴェルシーロフと農奴の女の間に生まれた私生児、
アルカージイの手記という形でつづられる物語でした。
タイトルにもあるように、アルカージイは19歳だったかな?
未成年なんです。そんな青年の未熟さや愚かしさを隠そうともせず、
アルカージイは(物語の中での)事実を述べていきます。

あまりにもおしゃべりで、なんでもかんでもしゃべってしまうところなんかには、
辟易としてしまうような部分もありました。
また、賭博にはまったり、父の金を当てにして豪奢な生活を
おくるところなんかには、未成年らしいなぁとも思えましたし、
事件の経過を知らずに、一人相撲をとってしまっているところなどにも、
頭がこんがらかってしまいそうな主人公の混沌ぶりがうかがわれて、
そういう時代(19世紀)には、そういう成年前の男子もいたかななんて
考えさせられるところもありました。

才気走っていて、屈折させられるような子ども時代の経験があり、
なおかつ私生児という出自を足枷とさせられながらも、
どこか、この小説の言葉で言えば「善美」というものを体現したいと
思っているのか、もしくは「善美」の方向を向く心をわずかでも
持ち合わせていたのか、どちらも半々くらいあったんじゃないかなんて、
感じましたが、そういう素直さというか、純真さというかは、
読んでいていやになるまどろっこしい部分がありながらも、
最後まで読ませるこの小説の魅力のひとつだったんじゃないかな。

ちょっと考えたけれど、
時代によって、つまり文化や環境のありようによって、
純真さや素直さがどういう形を取るかというのが
違ってくるんじゃないだろうか。
性善説とか性悪説とかの話になってしまいそうですが、
そうではなくて、
悪い時代に光るもの、良い時代に光るものっていうのが
あるような気がします。
ただ、こう、歴史を学んだり、時代を超えて昔の小説なんかを
読んでみることで、価値観を学んだり感じたりして、
おおよその、それこそ子どもが絵本や童話で知るような、
基盤としての人のあり方みたいなのが見えてくるような気がします。
それが今の時代、小学校、中学校…と崩れてくるような感じもするんですけどね。
ただ、その崩れに対して気持ち悪さみたいなものを感じる人も
たくさんいると思うんです。
そういう人はこの『未成年』なんかを読んでみると面白いんじゃないかなぁ。

この作品が発表された当時は、小説の方法論なんかが新しくて、
内容も衝撃を与えたものかもしれませんが、
今となっては、まぁ、30を過ぎた男が言うことですけれど、
適度なおどろきを受けつつ読み進められる本なんです。
ぐらっと考え方が崩れ落ちるようなこともなく、
ある程度の距離感、それはこの作品が発表されてからの時間の経過
によるものですが、そういったものを保ちつつ読めます。
でも、これは個人的な感想かもしれない。
みんながそうだとは限らないでしょう。

なんやかや書きましたが、面白かったです。
ドストエフスキーの五大長編は残すところ『悪霊』のみです。
これもそのうち読みたいです。
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