読書。
『ドナウよ、静かに流れよ』 大崎善生
を読んだ。
ウィーンにてドナウ川へ入水自殺した若い男女。
千葉という33歳の自称指揮者の男性と、
19歳の女子大生、渡辺日実。
とくに渡辺日実の人物像と足跡を軸に進められる
ノンフィクションです。
以下、ちょっとネタバレあり。
心中したという決定的な二人の結末から追うせいもあるかもしれないけれど、
どうしようもない雰囲気がずっと漂っていました。
それが、最終章へと近づいていくにつれて、様相が少し変わるのです。
そこには、日実の心の変化がありました。
序盤から示唆されていたのではありますが、
死へ臨む強さのようなものを感じずにはいられない。
奥手の少女だったはずなのに、病的な千葉との出会いによって、
急速に大人になっていったんですね、たぶん。
そして生まれた、愛する心は、もしかすると千葉への恋愛的な愛というよりも
博愛的なものに近かったかもしれない。
実際、親の束縛から逃れさせてくれた千葉へ恩返しをしたい、
という強い気持ちが日実にはあったようです。
千葉の描写や情報を読むと、
これは間違いなく精神疾患をかかえていると読めるのですが、
そこはやはり読み物の情報ですから、そう錯覚しやすいのかもしれず、
著者が知人の精神科医に千葉をどうみるか訊いてみると、
精神疾患ではないんじゃないか、と言われたそうです。
さらに、オーストリアで千葉がかかった精神科医も、
軽いノイローゼでしょう、という診断だったようです。
まあ、このあたりは闇の部分であり、
実際に彼がどこまで深く精神を病んでいたかは知る由もなかったりします。
また、日実の両親がお金持だったせいもあって、
日実にあれこれとお金をかけすぎ、
進路もレールを引いて歩かせようとしていた点に関しては、
日実も心の底から嫌だったろうなと思えたりもする。
それはきっと、言葉でいろいろ言える以前に、
もやぁっとイラつく感じのようなものだったんじゃないか。
父親には前妻との間に子どもがいただとか、
日実が多感な頃に不倫をしてしまっただとか、
それによって夫婦喧嘩の絶えない日々を長く送っただとか、
人生を振り回されているところがありました。
そんな日実になかば強制的に留学をさせていたように
読み受けられもして、そんなんじゃきっと、
わかりにくいかもしれないけれど、
SOSを出していたのではないかと考えてしまう。
この本の良かったところは、
千葉という男を精神疾患者だとしてしまわず、
そして悪者というわけにはしてしまわなかったところです。
千葉の奇矯さ、妄想や虚言など、かわいそうではあるのだけれど、
なかなかそういう振る舞いが病気によるものだとは思われず、
その人自身の性格だと思われてしまう。
本書ではそこまでは踏み込んでいないのが少しだけ浅いところです。
「精神疾患者ではないので悪者ではない」という間違った論理と
見受けられる部分があります。そこはちょっと残念。
とはいえ、
順を追って日実そして千葉の人物像を拾い上げていくことによって、
そして、最後に日実が行きついた迷いなき愛情で終わることによって、
ひとつのレクイエムに本書がなっているかのようでした。
どうしようもなさ、迷い、正解の無さ。
多くの人は常々そういうもののなかに身を投じているともいえます。
しかし、日実はきっとそこに生きていく芯を見つけたのでしょう。
そして千葉の存在を誇りの中に全うするために、
きっと日実から死を選んだのでしょう。
もどかしくて、くるおしさも感じて、そして最後は切ない。
そんな作品でした。
『ドナウよ、静かに流れよ』 大崎善生
を読んだ。
ウィーンにてドナウ川へ入水自殺した若い男女。
千葉という33歳の自称指揮者の男性と、
19歳の女子大生、渡辺日実。
とくに渡辺日実の人物像と足跡を軸に進められる
ノンフィクションです。
以下、ちょっとネタバレあり。
心中したという決定的な二人の結末から追うせいもあるかもしれないけれど、
どうしようもない雰囲気がずっと漂っていました。
それが、最終章へと近づいていくにつれて、様相が少し変わるのです。
そこには、日実の心の変化がありました。
序盤から示唆されていたのではありますが、
死へ臨む強さのようなものを感じずにはいられない。
奥手の少女だったはずなのに、病的な千葉との出会いによって、
急速に大人になっていったんですね、たぶん。
そして生まれた、愛する心は、もしかすると千葉への恋愛的な愛というよりも
博愛的なものに近かったかもしれない。
実際、親の束縛から逃れさせてくれた千葉へ恩返しをしたい、
という強い気持ちが日実にはあったようです。
千葉の描写や情報を読むと、
これは間違いなく精神疾患をかかえていると読めるのですが、
そこはやはり読み物の情報ですから、そう錯覚しやすいのかもしれず、
著者が知人の精神科医に千葉をどうみるか訊いてみると、
精神疾患ではないんじゃないか、と言われたそうです。
さらに、オーストリアで千葉がかかった精神科医も、
軽いノイローゼでしょう、という診断だったようです。
まあ、このあたりは闇の部分であり、
実際に彼がどこまで深く精神を病んでいたかは知る由もなかったりします。
また、日実の両親がお金持だったせいもあって、
日実にあれこれとお金をかけすぎ、
進路もレールを引いて歩かせようとしていた点に関しては、
日実も心の底から嫌だったろうなと思えたりもする。
それはきっと、言葉でいろいろ言える以前に、
もやぁっとイラつく感じのようなものだったんじゃないか。
父親には前妻との間に子どもがいただとか、
日実が多感な頃に不倫をしてしまっただとか、
それによって夫婦喧嘩の絶えない日々を長く送っただとか、
人生を振り回されているところがありました。
そんな日実になかば強制的に留学をさせていたように
読み受けられもして、そんなんじゃきっと、
わかりにくいかもしれないけれど、
SOSを出していたのではないかと考えてしまう。
この本の良かったところは、
千葉という男を精神疾患者だとしてしまわず、
そして悪者というわけにはしてしまわなかったところです。
千葉の奇矯さ、妄想や虚言など、かわいそうではあるのだけれど、
なかなかそういう振る舞いが病気によるものだとは思われず、
その人自身の性格だと思われてしまう。
本書ではそこまでは踏み込んでいないのが少しだけ浅いところです。
「精神疾患者ではないので悪者ではない」という間違った論理と
見受けられる部分があります。そこはちょっと残念。
とはいえ、
順を追って日実そして千葉の人物像を拾い上げていくことによって、
そして、最後に日実が行きついた迷いなき愛情で終わることによって、
ひとつのレクイエムに本書がなっているかのようでした。
どうしようもなさ、迷い、正解の無さ。
多くの人は常々そういうもののなかに身を投じているともいえます。
しかし、日実はきっとそこに生きていく芯を見つけたのでしょう。
そして千葉の存在を誇りの中に全うするために、
きっと日実から死を選んだのでしょう。
もどかしくて、くるおしさも感じて、そして最後は切ない。
そんな作品でした。