Fish On The Boat

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『空より高く』

2019-07-15 19:28:42 | 読書。
読書。
『空より高く』 重松清
を読んだ。

東京のとあるニュータウン。
予定通りに反映することなく、人口も減っていく。
そんな街で閉校が決まった
「トンタマ」と呼ばれる高校の最後の世代の高校生が主人公の物語。

2005年の作品ですが、2012年に単行本化され、
僕が読んだ文庫版は2015年刊のものでした。
最近のものだと思って読んでいたら、
最近の高校生がまるで知らないようなネタがでてきて、「え?」と
思いましたが、書かれた時期がわかって納得。
昔の作品かあと思ってちょっと残念な気もしたけれど、
中身の部分は色あせることなく、
現代に当てはまっていて教えられるものがあります。

いつの時代でもずっと欠けているものがあって、
それは日本人の性質や文化が、
なかなか変わらないからだったりするかもしれない。
また、本作の主人公である高校生たち。
彼らのような若い世代、
つまり誰でも通る未熟な時期を描いているから、
普遍的な「欠けているもの」を描けているのかもしれない。

そういったところに気付いてなおかつ直視しそらさず考えて、
でも、硬くならずに平易に庶民の感覚で物語にしています、
それも夢のある形で。

こういう場面でこうできていたら、
きっとこういうふうに現実は進んで、
それはステキだったに違いない。
著者はそういった夢想の数々を物語の上に現実化していって、
積み重ねていく。
だから、読者はこの物語に、
数々のこれまでの後悔や鬱憤にたいして共感してもらったような感覚とともに、
本当はそうできたかもしれない失われた現実、選択しそこねた現実を、
読書でもって仮想体験する。

よって、読者がそこで直面するのは単純な感動ではなく、
胸の奥からこころが撹拌されて、活性する感動。
嬉しさもあるし、面白さもあるし、楽しさもあるし、
前へ進んでいこうとする活力も湧きおこる。
反面、苦さもあるし、悔しさもあるし、むずがゆさもあるけれど、
それらすべてひっくるめて、
自分自身と対峙できた反応なのだと思うのです。
小説という「虚」の世界を使う、つまり体験することで、
うまい具合に現実にフィードバックできちゃったりする。

自分と向き合わないことには、時間は進んでも人生は進んでいかない。
それどころは、後ろ向きに進んだりする。

この小説は、物語内の高校生たちがオトナになっていく道程で自分と向き合う。
そして、読者も、彼らの物語を通して、自分自身と向き合えるようになっている。
まあ、物語とは、往々としてそういうものなのかもしれない。

最後、ネタバレになりますが、世の中を料理に喩えて、
よい「ダシ」になりなさい、とするところはうまい表現でしたね。
そうなんですよね、いいダシだなあと感じる料理はたいがい旨い。
世の中もしかり、なのでした。


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