志村けんさんが逝去された。
新型コロナウィルスが、僕らから志村けんさんを奪ったのだ。
その訃報を知ってから、
新型コロナに対する憎さが僕のなかに生まれました。
お前らは敵だ。
それも、憎くてしょうがない敵だ。
正直、有名人が亡くなってこんなに悲しくなるなんて思いもよらなかった。
会ったこともない、テレビなどでしか目にしない人なのに。
夕飯を終えて自室に戻り、寝転んでいたら涙が止まらない。
もう30分以上も止まらない。
自分のじいさんやばあさんが亡くなったときより悲しいのだ。
小学生の頃、『8時だョ!全員集合』が一番好きな番組だった。
毎週、土曜8時が楽しみだった。
仮面ライダーよりも好きだった。
僕はあたまがとろかったところがあったのか、
そのころちゃんとわかってみていられるテレビ番組ってほとんどなかったのかもしれない。
そんななか、『8時だョ!全員集合』は爆笑して、のめりこんで観ていた。
なかでも志村けんさんが大好きで、出オチで笑ってたところもある。
あれだけ食い入るように、夢中になってみていたのだから、
『8時だョ!全員集合』を観ることは、僕にとって、
毎週一度だけ1時間、
志村さんに遊んでもらっていたのと同等の恩恵を得ていたと言えるかもしれない。
小学生の時分にして、もう一生分も笑わせてもらっていたような気がする。
あの笑いの内容が、小学生の情操に良いものだったか悪いものだったか、
考える人は考えるだろうし、
当時、PTAなんかからクレームがいったなんて話もあった。
でも、大人になった僕が志村けんさんの訃報にこれだけ涙するのは、
小学生の頃に享受した志村さんはじめドリフターズの笑いが、
自分を構成するその一部になっているからだと思う。
自分のどこの部分で一部になっているかはわからないけれど、たぶん、
もはやぐっと抽象化されてずっと深い部分を構成しているのだろう。
だから、こんなに涙が出る。自分の一部でもあるから、涙が止まらない。
そして、そんな自分を恥だとは思わない。
堂々と、志村けんさんの死に対して、止まらないほど涙したと言おう。
小学生以来、あまり志村さんの番組を観なくなったけれど、それでも涙が出る。
近年、NHKで放送された『となりのシムラ』もよかった。
けっこうな哀愁を帯びているキャラクターを演じる志村さんの笑いに、
こちらも笑うことで、その哀愁をふくめて共鳴した。
実像の志村けんさんを知らない。
僕が知っているのは虚像の志村けんさんだろう。
その虚像の志村けんさんの死に悼んでいたとしても、それで一向にかまわない。
実像だろうと虚像だろうと、
その人情を交えた仕事ぶりを受け取ることで、
僕は彼の存在を自分の一部としたのだから。
よく、亡くなった人の分まで生きていく、という言葉を表明する人がいる。
僕にもその意味がようやくわかったように思う。
自分の一部となっている彼の体温を、ずっと抱えたまま僕は生きていく。
僕の人生にも、彼の人生のベクトルが少しばかり宿っているのだ。
それを誇りに、生きていく。
憎き新型コロナを睨みつけながら。
志村けんさん、いままでありがとうございました。
天国ではいかりや長介さんが先に待っていて、
「お、志村、次にこっちに来たのはお前だったか」
なんて意外そうな顔をして言ってそうで、志村さんが苦笑いで応えていそう。
そういう想像をすると、涙のなかにもちょっと笑いが生まれてきます。
……ああ、やっぱり悲しいけれど、
お別れって、やってくるんだなあ。
さようなら、志村けんさん。
新型コロナウィルスが、僕らから志村けんさんを奪ったのだ。
その訃報を知ってから、
新型コロナに対する憎さが僕のなかに生まれました。
お前らは敵だ。
それも、憎くてしょうがない敵だ。
正直、有名人が亡くなってこんなに悲しくなるなんて思いもよらなかった。
会ったこともない、テレビなどでしか目にしない人なのに。
夕飯を終えて自室に戻り、寝転んでいたら涙が止まらない。
もう30分以上も止まらない。
自分のじいさんやばあさんが亡くなったときより悲しいのだ。
小学生の頃、『8時だョ!全員集合』が一番好きな番組だった。
毎週、土曜8時が楽しみだった。
仮面ライダーよりも好きだった。
僕はあたまがとろかったところがあったのか、
そのころちゃんとわかってみていられるテレビ番組ってほとんどなかったのかもしれない。
そんななか、『8時だョ!全員集合』は爆笑して、のめりこんで観ていた。
なかでも志村けんさんが大好きで、出オチで笑ってたところもある。
あれだけ食い入るように、夢中になってみていたのだから、
『8時だョ!全員集合』を観ることは、僕にとって、
毎週一度だけ1時間、
志村さんに遊んでもらっていたのと同等の恩恵を得ていたと言えるかもしれない。
小学生の時分にして、もう一生分も笑わせてもらっていたような気がする。
あの笑いの内容が、小学生の情操に良いものだったか悪いものだったか、
考える人は考えるだろうし、
当時、PTAなんかからクレームがいったなんて話もあった。
でも、大人になった僕が志村けんさんの訃報にこれだけ涙するのは、
小学生の頃に享受した志村さんはじめドリフターズの笑いが、
自分を構成するその一部になっているからだと思う。
自分のどこの部分で一部になっているかはわからないけれど、たぶん、
もはやぐっと抽象化されてずっと深い部分を構成しているのだろう。
だから、こんなに涙が出る。自分の一部でもあるから、涙が止まらない。
そして、そんな自分を恥だとは思わない。
堂々と、志村けんさんの死に対して、止まらないほど涙したと言おう。
小学生以来、あまり志村さんの番組を観なくなったけれど、それでも涙が出る。
近年、NHKで放送された『となりのシムラ』もよかった。
けっこうな哀愁を帯びているキャラクターを演じる志村さんの笑いに、
こちらも笑うことで、その哀愁をふくめて共鳴した。
実像の志村けんさんを知らない。
僕が知っているのは虚像の志村けんさんだろう。
その虚像の志村けんさんの死に悼んでいたとしても、それで一向にかまわない。
実像だろうと虚像だろうと、
その人情を交えた仕事ぶりを受け取ることで、
僕は彼の存在を自分の一部としたのだから。
よく、亡くなった人の分まで生きていく、という言葉を表明する人がいる。
僕にもその意味がようやくわかったように思う。
自分の一部となっている彼の体温を、ずっと抱えたまま僕は生きていく。
僕の人生にも、彼の人生のベクトルが少しばかり宿っているのだ。
それを誇りに、生きていく。
憎き新型コロナを睨みつけながら。
志村けんさん、いままでありがとうございました。
天国ではいかりや長介さんが先に待っていて、
「お、志村、次にこっちに来たのはお前だったか」
なんて意外そうな顔をして言ってそうで、志村さんが苦笑いで応えていそう。
そういう想像をすると、涙のなかにもちょっと笑いが生まれてきます。
……ああ、やっぱり悲しいけれど、
お別れって、やってくるんだなあ。
さようなら、志村けんさん。